【日々のエッセイNo.1】大切にしたい感覚について
留学に行く前に友達からもらった手紙をふと読んだ。封筒に入っているものもあれば、ポストカードの裏に書かれたもの、絵だけのもの、真面目そうな字、少しくちゃっとした字、大人びた字、それぞれの手紙に個性が出ていた。
一つ一つ読んでるうちにふわっと笑顔になった。心がじんわり温かくなった。
この感覚がなんなのかよくわからないけれど、これがとても大切なものだということはわかる。
私はすぐ頭で考える、言語化しようとする。感じたことをもみ消していくように。
そのままでいい。感じたままそのまま。感じたらそれを浴び続ける。それでいいんだと思う。
私は友達とご飯に行くのがあまり好きではない。相手が楽しんでるか気になって常に気を遣うから疲れるし、話を聞くことが多いから利用されてると思ってしまうし、お金もとぶし、美味しいごはんも1人の時よりあまり味わえないからだ。
でも、友達とご飯に行って話を聞いているその時、私は別にそんなことは思っていない。いつも帰り道にそれらのことを思うのだ。帰り道に1人になった時、考えてみたらこの時間によって自分は損してるんじゃないかって。
でも、1人の時間が大好きな私のその思い込みは、何かが違うのかもしれないと思った。そのご飯の時間のあの感覚だけで良いのではないかと。人と話して、笑って、気を遣って、それでいいのかなって。その友達とのご飯に何の意味があるのかはわからないし、自分の時間は削られるし、自分の人生に大きく影響を与えるアドバイスがもらえるとかではないと思うけど、この友達とご飯に行っている時間、雰囲気、感覚は、なんだか素敵なものな気がする。
友達と将来について語り合う雨の後のスタバ、友達のいつもと変わらない恋愛の悩みを聞きながら食べる美味しいエスニック、何話したのか覚えてないけどおかずを交換したことは覚えてるほかほかの日本料理。
私がボーイフレンドとのご飯がすごく好きなのはそういうことなのかもしれない。多分好きだけでいい、理由がなくていいからだ。
人に良いことをしないととか、人に良いことをしても自分が損するだけとか、なんかそういうことじゃない。あの手紙を読んだ時の、温かい感覚だけで良いんだと思う。それだけでいい。
そんな風に自分が判断する前の感覚を大事にしたいと思う今日この頃。全てを論理的に説明しようとするこの現代社会、そのままを感じ、大切にすることはとても難しい。だからこそ、自分の頭で考えないようにすることは結構大事なことかもしれない。
あの温かい感覚で人生を埋め尽くしていけたらいいなあ。ふと、友達に電話をした夜。
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