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AI時代をどう生きるか

今日たまたまX(Twitter)を見ていたら、とても興味深いポストを発見した。

AI時代に、人類にいちばん大事なスキルは、「アイデンティティや自尊心を保つスキル」かもしれない。と考えながらご飯食べてる。

https://twitter.com/fladdict/status/1735115970363171271

このポストには続きがあり、概ね次のような内容が書かれていた。今後AIが進化すると、できることが増えたり、AIが生み出すものの品質がどんどん上がっていく。そのような世界では、「◯◯ができること」をアイデンティティとしている人にとっては生きにくい世界になるよね、と。興味のある方は是非読んでみてほしい。とても示唆にあふれるポストで、ついつい考えさせられてしまった。

もちろん、現時点ではAIが生み出す成果物は、あるスキルに精通した熟練者の成果物と比べると劣っているかも知れない。ただ、素人目に見れば区別がつかないような状況にはなってきている。

昨今、生成AIという言葉が連日SNSを賑わしている。最近人気なのは画像を生成するAIで、そのクオリティはそれこそ絵描きではない素人から見れば驚くようなレベルに達している。生成AIの進化はすさまじく、動画や音楽の分野でも日々進化を続けており、これからAIによって生成されたコンテンツを見る機会は飛躍的に増えることと思う。

そのような流れの中、反AIという動きも出てきている。反AIにも様々な意見があり、著作権などの重要な課題もあるのだが、中にはとにかくAIが憎い!という論説をSNSでぶちまけている人もいる。僕はその原因の一つとして、冒頭に引用したアイデンティティの問題があるのではないかと考えている。

想像してみて欲しい。今まで必死に絵を描く努力をして、ようやく絵を描く仕事についた人がいたとしよう。その人にとって絵を描くプロであることが自らのアイデンティティの一部であるとしたら、昨今の画像生成AIをどう思うだろうか。自分の大事にしている部分が得体の知れない技術によって脅かされているような気にならないだろうか。しかも、相手は人間の著作物をどんどん取り込みながら日に日に性能を上げてくるのだ。

ではどうすればいいのか。僕もすぐには納得できる答えが浮かばなかったので、ChatGPTと議論していたら、なんとなく今の自分なりの答えが見つかった気がするのでこの記事を書くことにした。

意思・意図を持つこと

最初に端的に結論を書いてしまうが、AI時代において重要なのは「意思・意図」を持つことだ。注目したのは「人とAIの違い」だ。AIのことをあまりよく知らない人のためにこれについてもう少し詳しく解説しよう。

AIというと、何か人間と同じようにモノを考え、知性を持っていると思うかも知れない。確かに、ChatGPTなんかを使っていると人間と区別がつかないような回答をしてくるので、そう思っても無理はない。しかし、少なくとも現時点でのAIが生み出しているものは、膨大なデータ処理と計算の結果でしかない。誤解を恐れずものすごくざっくり言うと、あらかじめ沢山のデータを用意しておき、与えられた入力に対して最もありそうな出力を計算して返しているに過ぎない。そのデータの量があまりに膨大になると、ここまでの性能になるというのは驚異的ではあるのだが。

いずれにしても、表面上は人間と同じように振る舞っていても、そこに至るプロセスは全く異なるというのがポイントだ。現時点ではAIに意思や意図はなく、単に与えられた命令に対して、ありそうな結果を返しているだけだ。つまり、AIが何かを生み出すためには、その背後に何かを生み出したい人間が必ず必要なのだ。あくまで、少なくとも現時点では。

僕は、AI時代を生きていく上での鍵になるのはこの意思や意図だと思う。それはつまり、こんな絵を描きたいとか、こんな音楽を演奏したいとか、こんな世の中になってほしいとか、そういう「想い」のことだ。AIは手段として進化し続けるだろうし、あと何年かしたら多くの分野で人の能力を超えてくると思う。でも、自らの意思や意図に基づいて行動することはできない。別の言い方をすれば、AIは目的を達成するための道具であって、目的自体を与えてくれるものではない、ということだ。

人が何かを実現したいと思う時、その背景には様々なものがある。遺伝、育ってきた環境、個人の経験、好き嫌い、情熱や価値観などが複雑に絡み合って、◯◯をしたい!という想いが生まれ、それが行動を推進する原動力になる。ここで挙げたどれをとっても、AIには持ち得ないものだ。この「◯◯をしたい!」という強い意志や意図こそが、AI時代を生き抜く上での最大の武器となると僕は思う。

たとえば、画像生成AIによって絵を描く技術が進歩したとしても、その絵に込められる意味や感情、その背景にあるストーリーは、人間にしか生み出せない。自分の絵を通して伝えたいメッセージや、それを描くことで感じる喜びや充実感は、AIには真似できない。それが、たとえ技術的に優れたAIが生み出した作品であっても、それには「なぜそれを作りたいのか」という人間の意図が欠けている。

ここまでの話をまとめよう。僕は人間とAIの違いに着目し、AIは優れた手段にはなり得るが意思・意図を持つことができないと考えた。もしそうなのであれば、意思・意図の部分にフォーカスして生きることがAI時代の一つの生き方ではないだろうか。

AI時代を生きるポイント

では、意思・意図にフォーカスして生きるというのは具体的にはどういうことか考えてみよう。これは簡単に言えば、やりたいことを見つけることと同義だ。いくつか自分なりに考えてみたのでポイントを紹介したい。

自分の熱源を知る

自分が何に興味があって、何が好きで、何が得意なのか。どんな時に楽しいと感じ、どんな時にやる気が出てくるのか。いわゆる自己分析と言われるものだが、知りたいのは「熱源」なので、短所などを悶々と考えていてもしょうがない。自分の行動力の源泉になり得るものは何か、という観点で考えてみよう。

行動・経験の積み重ね

考えただけでは意味がなくて、「これ面白そうだな」というものを見つけたら実際に試してみよう。ここは本当に重要で、世の中試してみないとわからないことは本当に多い。仮に試してみて失敗しても、それも経験の一つとして自分の中に蓄積され、どこかで役に立つかも知れない。

見識を深める

例えばやりたい仕事を探す時に、世の中にどんな仕事があるかを知らなければ探すことができないのと同じように、世の中にどんなものがあるかを知らなければ、やりたいことなど見つかるわけがない。世界を広げよう。そういう意味では、いわゆるお勉強的な知識よりも、文学、歴史、哲学、芸術など、様々な分野をかじってみることをおすすめしたい。

AIとの共存

AIにはまだまだ様々な課題があるものの、既に有効活用されている事例は山ほどある。つまり、うまく使うことで物事をかなり効率的に進められる。例えば僕はプログラムや文章を書く際にAIを活用しているが、AI登場以前と比べて効率が段違いになった。効率が上がることで、数を打てるようになる。ここが重要だ。

アンチパターン

では、AI時代におけるアンチパターンも考えたので紹介しておこう。基本的には上記の裏返しになっているが、ついついやりがちなので自分への戒めも兼ねて。

意思・意図の欠如

自分自身の意思や目的を持たず、周囲の影響や偶然に流される生き方。自分の情熱や価値観を見出す努力をせず、目標や夢を持たない。このような受動的な生き方では厳しい時代になると思う。理由は明らかで、意思・意図が欠如している場合、容易にAIに取って代わられる可能性があるからだ。

挑戦の欠如

リスクを避け、挑戦や失敗を恐れる。変化に適応することを嫌い、既存の枠組みに囚われる。世の中の進化がこれほど激しいと、何もしないでいることは安全志向でも何でもなく、逆にリスクが高いと思う。

知識と経験の浅さ

限られた分野の知識や経験に留まり、新しい学びを避ける。文化的、社会的な多様性に触れる機会を自ら遮断する。新しいものに触れるのは楽しくもあり、時に面倒でもある。ただ、悲しいかなモノを知らないと新しいアイデアは生まれてこない。

AIへの依存

自分の思考や決定をAIに委ね、自主性や独創性を失う。AIの意見や結果を盲目的に受け入れ、批判的思考を欠く。AIがいくら便利だからと言って、自分で考えることをやめてしまってはいけない。その意味で、AIは活用すべきではあるが依存すべきではない。

如何だっただろうか。結局のところ、AI時代を生きる上での最大の課題は、技術の進化に圧倒されず、自分自身の内面を深く掘り下げ、自分だけの「意思・意図」を持ち続けることにあると僕は考える。それによって、僕たちは自分自身のアイデンティティを保ち、それが充実した人生を送ることにつながるのではないだろうか。


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