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ご機嫌に暮らしたい

お店をはじめたのは35歳のときだった。

自分ひとりではできないサイズの仕事を
最初から思い描いてしまっていたので、
はじめにふたりのスタッフを雇って
朝から晩まで働いてもらった。

仕事はありがたいことに
順調すぎるくらいだったと思う。
いつも準備がそろわないうちに
身の丈より大きい課題がきて、
そこに自分たちを合わせていくので
精いっぱい。
そんな日々が続き、
スタッフも徐々に増えていった。

ようやく少し息をつけるようになった頃、
自分がいわゆる「リア充」じゃないと
この人たちに気持ちよく働いてもらえない、
ということに気がついた。

わたしはかなりハードな形で
「修業」をしてきた類の人間なので、
自分を追い込んで仕事をすることはできた。

でもその時間が終わって
人を雇う立場になったら、
そのための訓練は全然していないことに
はっとした。
「自分が一番頑張っているのに」では
絶対だめ、じゃあないか。

どうしてわたしたちは
自分のことはいつも後回しに
してしまうんだろう。

アウトプットしすぎたり、
心身を酷使しすぎたりして
ああ、もう何も出せるものがないかも、
というギリギリの状況を何度か迎えた末に
「自分をいたわることはただの義務だな」
と思うようになった。

わたしの場合は
責任からそう思うようになったし、
仕事だと思ってやっと優先できる部分も
あるけれど、
本質的には、誰にとってもそうだと思う。
大人になったら
自分の人生の責任は
自分にしかとれないのだもの。

自分をいたわるって、
自分の中のいちばんか弱い存在の声を
絶対に無視しないこと、だと思う。

わたしの場合は
少しでもやりたくない、と思うことは
一切やらないと決めた。
それを許すと、
ほんとうに大事なときに動けなくなる。

そして、積極的に自分のご機嫌をとる。
心地よさを優先して、
好きな服を着て、好きなものを食べて、
好きな人に会う。

仕事をしたくないときも、
思い切ってやらない。
それは、大好きな仕事に対する
自分なりの忠誠心でもある。

20代の半ばから
わたしの生活は
ほぼ仕事のために存在していて、
その状態をあとになって
すごく脆いな、と思うようになった。

このころから、
勉強だと思って、うつわも服も
それまでの自分が見たら
びっくりするくらい買った。
当時お店のすぐ近くに住んでいて、
あまりに生活が仕事に侵されていたから
ついには家も買った。
通勤時間が3分から30分になり
仕事と生活が切り離されて、
やっと自分に朝ごはんを作ってあげることが
できるようになって、
そのために生活を組み立てるようになった。

そこまでしてようやく
一緒に働く人に余裕のある気持ちで
接することができるようになった。

好きなものを知って、
自分の暮らしをととのえていくことは
人の気持ちを理解することでもあると思う。

わたしの感じる心地よさが
わたしの仕事を通して、
誰かの心地よさを作り出せるといい。
でもそのためにはまず自分。
心からそう思う。
そう思えるようになったのは、
割と最近のことだけれど。


2020.1 北欧、暮らしの道具店 メールマガジンに寄稿
https://hokuohkurashi.com/note/202032

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