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【イベント報告】語り合いの記録「太宰治ワークショップ23〈転生する太宰治・アダプトされる太宰治〉」              

語り合いの記録
「太宰治ワークショップ23〈転生する太宰治・アダプトされる太宰治〉」
2023年8月2日(水)13時から 日本女子大学 百年館低層棟7階 演習室72 

〈参加者〉
 A・B・C(1年生)
 D(2年生)
 E・F(3年生)
 G・H・I(4年生)
 J(大学院博士課程前期2年生)
 K(学術研究員)
 山口俊雄(教員・モデレータ)

自己紹介

【山口】それでは、ワークショップを始めたいと思います。
 ちょうど1年前、マンガ・アニメ・ゲームにアダプトされる太宰治や「文豪」について、学生どうしで気軽に語り合うという趣旨のワークショップを初めて行なってみて、10名程度の学生・大学院生が集まってにぎやかにしゃべり合い、それなりに盛り上がって、私としても手応えを感じました。それで、今回第2回目を企画したら、今年もしっかり10名余りが集まってくれ、無事開催の運びとなりました。
 このあと自由にどんどん発言してほしいのですが、最初に自己紹介をお願いします。学年と、何年生れかというのもお願いします。去年も出てた人から、えっとHさんからお願いします。

【H】2001年生まれの日本文学科4年次のHです。
 去年参加していて印象に残ったのは、「文スト(文豪ストレイドッグス)」であったりの太宰を読んだり視聴したりして、本当の作家としての太宰と距離が出来てしまったというような話を伺って、私自身そういう体験が無かったので、そういう人もいるんだと、すごい勉強になりました。
 あと、今回考えたいなというか、皆さんにお聞きしたいなと思ったのは、去年は太宰治中心だったんですけど、そうではない作家の転生、新しいマンガなりなんなりになっているものについて、皆さんがどう思っているのかなというのがちょっと気になっていて、聞きたいです。

【山口】はい、ありがとう。同じような感じで、Fさんもお願いします。

【F】日本文学科3年のFです。2003年生まれです。
 去年も参加した際には、メディアミックスを楽しむにあたっての元の作者や原作へのリスペクトの在り方のような話題が結構盛り上がっていたと思います。現在関心があるのは、太宰の作品を読んだ人たち自身の体験の共通性などです。お願いします。

【山口】あと去年出ていたのが、JさんとIさんだよね。Jさんからお願いしていいですか。

【J】はい、Jと申します。1999年生まれです。
 前回参加させていただいて、印象に残ったのは、太宰に対する印象が結構分かれている、二つあるなと思うので、私は太宰を結構破滅的なイメージでいると思っていましたっていうお話をさせていただいたんですけど、皆さんの中ではそういうイメージがあまりなくて、普通に面白いものとして読んでいたっていう方もいらっしゃって、その方は、太宰が好きな学校の先生から、太宰作品を習ったみたいなお話をされていた気がするんですけど。やっぱり、どういう風に小さい頃、文学っていうのと付き合ってきたか、付き合わされてきたかということが、大事なんだなっていう風なことは、すごく感じました。
 今回皆さんと何を話したいかというのは、先生が送ってくださったコンテンツ・ツーリズムの論考*があったと思うんですけど、最近やっぱりそうやっていろんな聖地巡礼をやっている人もいると思いますし、今「スラムダンク」がすごくて、滅茶苦茶再熱していて、私の住む鎌倉とかも「スラムダンク」のファンの方が来たりしているので。そういうこともあって、そういう場所に行ったことがあるというような人がいたら、そういう方の話も聞いてみたいなというふうに思っています。
よろしくお願いします。

*増淵敏之「コンテンツツーリズムとその現状」(『地域イノベーション』1、2009・3、法政大学地域研究センター)

【山口】はい、ありがとう。次、Iさんか。

【I】2002年生まれのIです。中国出身です。
 去年も参加させていただきましたが、一番印象に残ったのは、やはりマンガなどの太宰を先に知っていると、ちょっと印象が変わるということです。

【山口】はい、ありがとう。去年出ていた人はこれで一巡したかな。
次に今回初めての人にも一周してもらいたいので、学年的に言うとGさんかな。お願いします。

【G】4年のGと申します。2001年生まれです。
 去年もやったディスカッションが今年も開催されるということで、お知らせを見て、参加してみたいなというふうに興味を持って参加しました。
 研究対象が私は太宰ではないので、あまり詳しくないので、深いお話とかはできないかもしれないんですけれども、太宰治作品を取り上げる近代文学演習II(山口担当)とかを一昨年に受講したりして、少しだけ太宰をかじっているので、皆さんのお話に少しでも参加したり、皆さんからいろんなお話を伺いたいなというふうに思っています。
よろしくお願いします。

【山口】ありがとう。
 太宰だけにそんなにこだわらなくていいので、メディアミックスとか、それこそそういう文豪ものとか、ああいうのについて、あなたなりの意見なりがあると思うので。
 3年生はいないから、次に、2年生のDさんお願いします。

【D】2年のDです。2003年生まれです。
 私の周りにあまり文学に関心がある人っていなくて、親とかも、太宰とか芥川とかそういうのを読まない人で、全然こういう話をする機会がなかったので、今日はいろんな人の意見を聞けたらなと思ってきました。
 太宰は好きなんですけど、読むだけでそれ以上に踏み込んだことがあまりないので、今日楽しみにしてきました。
よろしくお願いします。

【山口】ありがとう。
 あとは1年生ですね。Aさんからお願いします。

【A】1年生で、2005年生まれのAと申します。
 前回の覚え書きに、ワークショップのボーカロイドとか、「文アル(文豪とアルケミスト)」とか「文スト」とかゲームとかアニメとかに文豪がなっている、という話が出ていたと思うんですが、前々からそのことについて考えてみたいと思っていて、その流れ的に、文豪ブームが来ているなと思っていて、そのことをいろんな人と意見交換できたら楽しそうだなと思い、参加しました。

*山口俊雄「転生する太宰治・アダプトされる太宰治―太宰治ワークショップ覚え書き」(『日本女子大学大学院文学研究科紀要』29、2023・3)

【山口】ありがとう。Bさんお願いします。

【B】1年のBと申します。2004年生れです。
 日本文学科に来た理由が「文アル」というコンテンツだったりしたので、今回の会に興味を持って参加させていただきました。文学に関する知見はまだ浅い方なので、優しく教えていただければありがたいです。
よろしくお願いいたします。

【山口】ありがとう。
 去年もその話になりましたが、Bさんも「文アル」あたりから日本文学科という進学先が出てきたというわけですね。あとでぜひ聞かせてください。
 それからCさん。お願いします。

【C】2004年生まれの1年のCです。よろしくお願いします。
 私も文学に興味を持ったのが、メディアミックス、「文アル」「文スト」とかの方からなので、そっちの太宰のキャラクター像とかは割と見てるから分かるんですけど、本来の太宰の方は、あまり深く触れてこなかったりとかやっぱりちょっと隔たりがあるように感じて、せっかくなら、いろんな文豪のことをもっと知ってみたいなというのがきっかけで、今回参加させていただきました。いろんなお話聞けたら嬉しいです。お願いします。

【山口】はい。ありがとう。あ、それからKさんがいた。自己紹介をお願いします。

【K】Kと申します。私は1983年生まれです。
 太宰治については、中国で彼の作品を読んでいたときには、神経質な人だなとしか思わなかったのですけれども、日本に来て、太宰治の作品を読んで、彼はかなりの勤勉家で、慕ってくる学生さんにも熱心な人だなと、すごく人間性のある人であることも分かってきました。
 ただ私は、マンガもゲームも全然ダメな方です。マンガといったら、せいぜい「鬼滅の刃」しか読んでなかったんです。上の子2人は、転生というようなもの、転生系の物語やアニメにはまっていますので、私も転生とは何だろうと、すごく興味を持つようになりました。
 太宰治という人間はキャラクター化されていますね。日本で日本文学を読んだ学生さんとか研究者は、もともとの教科書から太宰の写真を見ていたので、太宰治の本当の姿が分かるんですが、中国では、このようなゲームやマンガを読んで、キャラクターからハンサムみたいなイメージが湧いてくると思います。
 日本人がどのようにキャラクター化された太宰を読んでいるか、すごく興味を持っています。今日は勉強の気持ちで参加させていただきました。
 息子は今、9歳ですので、そろそろこっち系になるかなと思っています。ぜひ、皆さんのお話を伺いながら、どうやってこんなに立派な学生さんになれるかな、と私は勉強して、子どもを育てたいなと思っています。よろしくお願いします。

【山口】ありがとう。
 お子さん3人いるからね。子どもからそいういうのとつながっていくって感じかな。子育てのためにも、いろいろ勉強してください。

【K】はい。

4コマ文庫など

【山口】さて、これで自己紹介が一巡しました。
 では、どんな話題から始めましょうか。Hさんあたり、どうでしょう。

【H】さっきも言った太宰以外のもので関心があるというか、今すごい文豪が変化されているというか、変化させられているというかって思うのは、YouTubeのTikTokとかで、短い動画が流行っているじゃないですか。その中で4コマ文庫っていうのご存知の方いますか。
 4コマ文庫っていう、短い動画のものがあって、その中で、例えば作家であったりとか、その作品であったりとかっていうものを、どういうものなのかあらすじを簡単に説明する、歌付きで説明するというものがあって、そういうもので知っていくっていうのに対して、皆さんどう思っているのか聞きたいです。
 それはもう、正直私が勉強不足なのもあって、マイナーのものから有名な作家のものまでいろいろ幅広くあって、実際に太宰の写真を模した絵というか、そういうものも使われているので、そういうところからイメージが膨らむっていうのもあると思います。皆さんがそういうものをどう思っているのか。

【山口】どうですか、YouTubeの4コマ文庫とかについて、どう思っているのか、皆さん意見ありますか。Bさん、どう。

【B】私は時々、LINEのVOOMみたいなものでよく見かけるんですけど、きっかけとしてはすごくいいかなと思っていて、ざっくりしたあらすじを見たときに、これ興味あるなとか、こういうジャンル私好きだなというのをたびたびやるので。
 それできっかけになって読んでみようと思った作品のうち、いくつかまだ読めていなくて、でももし、次図書館に行ったときにこの本置いてあったら、読みたいなというふうにリストアップした作品がいくつかあるという感じ。

【山口】そうですか。差し支えなかった作品名を教えてほしいんですが。

【B】海外の作品なんですけど、ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」という作品がすごい気になっています。

【山口】ああ、一時期とても読まれたやつですね。なるほど。
他の人いかがですか。Fさんなんかは、どう?

【F】4コマ文庫は、私も何度か見ました。ある程度どういう話の筋なのか分かっていた方が読みやすい人にとっては、安心して読むための足掛かりになると思います。作品紹介を目的としているチャンネルに限らず、SNSでの誰かの発信を機に本を買ったり読んだりする人は多いですよね。
 少し話題が逸れますが、さきほど上がった「きっかけ」については、コンテンツ・ツーリズムの話にも繋がると思います。あれはどちらかというと、作品の中に登場している舞台とか、関係のある土地とかへの観光をメインに指す用語ですけど、似た形で、有名人のショート動画やブログで紹介された作品とか、名前が挙がった作品から興味を持って、そこを入り口として、作品に触れてみようかなと思う人は少なくないと思っていて。
 例えばある有名人がこういう本から影響を受けて、今ここにいます、という場合は、その有名人のファンなどが、その人のことをもっと知りたい、どういうメッセージを受け取ったのか気になる、という理由で本を買うみたいな。
 他にも、「オモコロ」って分かります? オモコロっていうブログや動画をメインで掲載しているウェブ・メディアがあって、その中でも、「本を読んだことがない32歳が初めて『走るメロス』を読む日」という記事が以前すごく話題になっていたんです。
 ついさっきも、同じ方が今度は『オツベルと象』を読むという記事(「本が読めない32歳が初めて電子書籍を読む日」)を読んでいたんですけど、読書に苦手意識のある人が本を読んでいく過程や、読了できたという成功体験を共有することもまた、本を読むこと自体へのハードルを下げてくれるきっかけになるのかなと思います。

【山口】作品との出会い方、ということですね。それは大事なことかなって。
 他の皆さんも、どう出会っているかっていうのは、いろいろ考えてみると面白いテーマですね。
 さっき出た4コマ文庫だと、基本的にあらすじから入ることになるのかな。

【H】そういう感じですね。どういう話なのか、どういう登場人物が出てくるのかっていうのを話して、この後どうなるみたいな感じに展開されていって、青空文庫で読めますよと。基本的に青空文庫で読めるものをご紹介していらっしゃるかなと。

【山口】例えば、波乱の多い人生で知られている生身の太宰のほうじゃなくて、作品のほうだよね。

【H】そうですね。太宰の名言というか、太宰はこういう情景を書いた、太宰は何といった、こういう風に言っているよ、その話はこの中に入っているよ、みたいな風に、紹介という形で出会って、そんなワードがあったっけ、っていうので私も読み直すきっかけになったりとかします。

【山口】中身というかあらすじとか、中の言葉とか、それを押し出しているってあたりが、ミソなんですね。
 あんまりカッチリとやりとりしなくて結構なので、だんだんずれていくっていうのも当然あっていいのですが、今の話で言いたいことあるって人いますか?

【K】はい。子どもが3人います。先生が仰っていたとおり3人、9歳と6歳と2歳で、一応家ではTikTok禁止って言っちゃったんですよ。
 文学作品だと、例えば、太宰治の『走れメロス』、うちの子の保育園では、『走れメロス』の絵本があります。そのほかには、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』もあるかなと思います。名作であれば、やっぱり本から読む、というような伝統的な古い考え方を持っています。本を手に取って、やっと作品の存在を感じられるようになります。
 テレビでボタンをポチって入れれば、TikTokでじゃんじゃん演じてくれるんですが、それを観るだけでは、文学に関するものを吸収すると言えるかどうかは、私本当に分からないです。ずっと前から、文学作品は、紙媒体を通して知って、理解して読んで、そして、自分なりの考え方をまとめているタイプでした。
 でも、アウトプット、インプットをするのは、紙バージョンだけではなかったんですね。大事な情報を教えてくれてありがとうございます。私だけこっそり見てみたいと思います。

【山口】うちは娘が中3になって、中学に入ったあたりからスマホも自分のを持たせているので、もうコントロールがきかないですけね。(あまり文学好きという感じではないのですが、あとで尋ねたところ、4コマ文庫は知っているとのことでした。)

「文アル」から日本文学科進学へ

【山口】さっき自己紹介してもらった時に、BさんとかCさんだったっけ、「文アル」とかそのあたりから文学という方向性、つまり大学のどういう学科に進もうかと絞り込みを行なう中で文学という選択肢が出てきた、というふうに言っていたと思うんですけど。そのあたりも、ちょっと聞かせてもらえますか。
 Cさんからお願いできますか。

【C】私はまず家が中学卒業までスマホ禁止で、それで、姉が上に2人いるんですけど、そのうちの年の近い姉のほうが、先に「文アル」をやっていて、中原中也とかが好きだって言って詩集とかが家にバンバンバンって置いてあって、なにこれって言いながらパラパラって読んだりとか、ゲームをやってる風景を見させてもらったりとかしていました。
 まずゲームとかの方で興味を持って、自分も入れてやり始めたら、いろんな作家がキャラクター化されてるので、それで作品、作家が書いた作品がゲーム内でもタイトルがいろいろ書いてあったりして、そのタイトルでなんかこれは面白そうだなって思ったやつを、読んだりとかして、そのうちどんどんハマっていく感じになりました。
 私はそれから、「文アル」にハマった後に「文スト」の方を知って、でもそっちは正直言って、そんなすごい文学に関係してるかって言われると、「文アル」よりはそうじゃない。
 根本的に、たしか1巻、1巻か2巻のあと書きに、文豪同士で異能力ゲーム、異能力の戦いしたら面白そうじゃない、みたいな感じの発想から生まれてるやつなんで、小ネタとかはちょいちょい入ってるんですけど、すごい深く投影してるわけじゃないなあっていうので、それでズレがあるんだなっていうのを感じて、それでまた、実際にある本の方を読もうかなっていうほうにどんどんずれていって。
 それで大学決める時も、せっかく本好きだし、文豪とかいろいろ研究したら面白いのかなって思って、文学部に行くっていう感じです。

【山口】そっかそっか、やっぱり、お姉さんとか兄とかの影響ってありますよね。
 すごく身近に「文アル」があってっていうことで、やってみたらっていう、それはある種環境、そういう環境だったっていうことですね。
 重要だなと思ったのは、「文アル」をやって、作家と作品の名前がいろいろ出てくるからって作品に接しようってなったところですね。
 去年のワークショップで、「文アル」をやる人みんなが必ずしも作品に行くわけじゃないって話も出てました。一応、ドンパチするゲームですしね。そこで、でもCさんの場合は作品のほうに行ったっていうのが面白い。

【C】ゲームのイベントとかで、一つの雑誌とか本とかそういうのが取り上げられたりして、それに関連するキャラクターたちが喋っていく感じのがあるんですけど、その時に、ゲーム内だったとしてもうっすら関係が見えて、この本はこの人たちがこう作ってるんだな、っていうのが気になったりして読んでたのもありますし、ただ単純にそのキャラクターが好きだからっていうかちょっと気になって、それでじゃあ実際はどうなんだろうって思って読んだのもあります。
 初めて読むとき、やっぱり難しいんじゃないのかなって思って読んだんですけど、短篇からとかそういうちょっと工夫をして、自分で理解できるだろうなっていうレベルの本を探して、読んだりはしてました。

【山口】なるほど。大事なこと言ってるなと思ったのは、作家同士の関係性みたいな、同じ雑誌やってたりということで、ある場みたいなのが見えてきたのかなというところ。基本的に、「文アル」はいわゆる史実に基づいているのでね。
 さっき言っていたように、「文スト」は史実とあんまり関係ないところに、いろんな作家に一応作品に因んだ異能を背負わせて、あとは勝手にやってるところがあるからね。泉鏡花が女性だったりとかも含めてね。
 だから、Cさんの場合はやっぱり「文アル」じゃなきゃいけなかったわけですね。

【C】文学を読むきっかけになったっていうのは、やっぱり「文アル」。

【山口】はい、ありがとう。じゃあ、次、Bさんお願いしていいですか。

【B】直接的な関係だったり、太宰の関連からは少しはずれちゃうんですけど、私はもともと心理学部にすごい行きたくて、3、4年ずっと行きたいって言ってたんですけど、受験直前の11月くらい、母に「進路変更をしろ」ってすごい言われるようになって、多分母自体が文学部に、日本文学科に行きたかったので、その関係もあってすごい言われてて……。
 でもちょっと変えたくはなかったんですけど、変えることになって、どうせ変えるんだったら好きにならなきゃいけないなって思ったので、とりあえずお友達のオススメで、「文アル」を入れてやってみて、好きになったキャラクターが中野重治さんという方なんですけど、その方がもともと自分のやろうとしていた文学を、時代柄というか転向させられちゃって、それでも転向させられてもなお、後悔も背負って書き続けるみたいな、人生を送られた方です。
 そういう動きを調べてとか聞いたりして、自分が心理行くのを、曲げたことをずっと私は後悔してたので、あんな好きだったのに捨てたんだみたいな、それを変えてもそこにいい道があるかもしれないんだな、それでもいいんだなっていう風に思えるようになったので、それですごい好きになって、自分も日文科で頑張ろうかな、みたいに思えました。

【山口】ありがとう。お母さんがなかなか干渉的ということで、それで自分の第一希望じゃないところにまさに転向した、転向させられたんですね。だけど、「文アル」とかに付き合ってみたら、中野重治っていう作家がいて、まさに転向っていうのは、彼をはじめとするプロレタリア作家の大多数に関わる大きなテーマですね。
 Bさんの場合、「文アル」を通じて具体的に中野重治という作家と出会があったというのが、非常に大きいわけですね。

「文スト」の面白さはどこにあるのか

【山口】Gさんなんかは、「文アル」とか「文スト」とかにあまり接してないですか。

【G】「文アル」というか、ゲームの方は全然知識がないんですけど、「文スト」のほうのアニメとかは少しだけ見ているっていうのがあります。「文スト」のアニメを見ていて、名前だけ借りて、キャラ自体はみんなそれぞれオリジナルの作られたものというか、あまり史実、人間関係とかもあまり史実に基づいた感じじゃないのかな、っていうのを感じています、というのが「文スト」の感想です。

【山口】基づいてない。事実・史実に反している。年齢関係なんかも怪しいのがあるもんね。芥川より太宰の方が偉いとかね。
 これについて良い悪いでも良いし、ついていけないとか逆に面白いとか色々反応の仕方あると思うんですが、そのあたり、Gさんは、率直なところどうですか?

【G】実際の、本物の作家文豪たちとは違う。でも、私の中では結構線引きされています。
 別のものっていうふうな見方をしていて、ちょっと話が変わるんですけど、さっき「文アル」から日本文学に興味を持って、というお話をされていて、「文スト」のほうは本来の文豪とはちょっと分け離れている感じが、あんまりそっちからは日本文学の興味も出なかったみたいなお話だったと、ちょっと違いますか。

【C】どっちも好きでしたね。少なからず影響があったかな。

【G】分かりました。どちらかというと「文アル」ですか。

【C】どちらかというと「文アル」。

【G】二次創作とか、ちょっと言葉がうまくまとまらないんですけど、あまりにもデフォルメ、実際の文豪とかのイメージとかけ離れすぎると、メディアミックスから興味を持ったとしても、史実を知った時に、全然このキャラと違うんだなというのが分かると、文学と日本文学の研究の世界に入りにくいのかなと思いました。
 きっかけにはなるけど、キャラ設定とかが実際の人とあまりにもかけ離れすぎていると、別物として見てしまう傾向にあるのかなと思っています。あまりにもキャラ設定とかに乖離があるとあまり良くないのかなというところもあります。

【山口】そうですね。
 それじゃあ、「文スト」の面白さってどこにあるんだろう、ということになりそうですね。
 Cさんなんかは、「文アル」は「文アル」だし、「文スト」は「文スト」だし、とさっきちらっと言っていたように思うけど。
 やっぱり現実の作家とか作品とかということであれば、「文アル」の方が圧倒的にそちらに近いわけだし、そっちに誘導かけてくると思うんですが、そうじゃない「文スト」の魅力は、Cさんはどのあたりに感じていますか?

【C】私は、「文スト」は最初ぼんやりと概要だけは知っていて、それで単純に元々バトル系のマンガとかが好きだからというのもあって、ちょっと面白そうだし読んでみようかなというので、読んでいって読み進めていくと、本来の文豪って言われている方の太宰とか芥川とか、そういう人たちとはまた違くて。
 一回作者の方が分解して、再構成してキャラクター化したみたいな感じで。ある意味、その作者の解釈とか動かしたいキャラクターとしての人物像というかキャラクターたちなのかなって思いながら読んではいます。単純に、そういうバトル系が好きで面白いから読み進めているところと、あとはキャラクターの個性がかなり強いので、そこが掛け合いとかが面白いなというので、読み進めているところがあります。

【山口】なるほどね。「文スト」は「文スト」でバトル系として独自の魅力がある、と。
 ちょっと面白かったのが、いったん作者が人物像を解体しちゃってキャラクターとして再構成しているという理解の仕方。そのあたりについて、具体的かつ首尾一貫した説明ができたら面白いなと思います。私も最新刊まで一通り読んでいますけど、完全に勝手なことをやっているのかいうと、そうでもないと思わせるところもないわけではないので、そのあたりの加減がね……。
 Aさん、今までの話を聞いていて、何かあればぜひお願いしたいんですけど。

【A】メディアミックスに触れる前から文豪が好きで、特に宮沢賢治がすごい好きで、「文スト」は一回マンガを読んだことがあって、宮沢賢治が出ているらしいということで、私は史実の宮沢賢治が動いているみたいなのを想像していたのですが、現実の賢治とはだいぶ違っていて、見た目が金髪の少年で、「文アル」の方も確かそんな少年的な金髪の少年?(茶髪)アレンジで明るくて長めだったのが驚きました。
 「文スト」の方がちょっとだけ読んでいたので詳しくなっちゃうんですけど、ちょっと田舎っぺというかそういう感じで、実際の賢治はお金持ちで、ハイカラだったからこそ孤立していたみたいなのが好きだったので、想像と違いました。
 もちろん「文スト」にも、中原中也との掛け合いでそこからも史実とつながっているなって思えて、楽しいところはあるんですけど、どうしても名前がつながっているというか、結構賢治成分が多いだけにリアルの方の宮沢賢治と切り離せなくて、ちょっと、解釈違いで読むのが途中でやめちゃったところがあります。
 ただ、文豪に触れるきっかけとして、良いと思います。本屋とかにもだいぶ、「文スト」コラボの書籍が角川から出ていて、表紙買いする人もいると思うので、「文スト」とか「文アル」には文豪を親しみやすくする力があると思っています。

【山口】Aさんは、宮沢賢治がもともと好きだったということで、別に「文アル」や「文スト」で初めて出会ったわけではないし、そういう意味では、大学進学するときに文学部日本文学科みたいなところに行こうかというのは、別に「文アル」、「文スト」に出会わなくてもそのコースだったかな、というところでしょうかね。
 Iさん、お願いします。

【I】「文スト」の楽しさなんですけど、個人的に感じたのは、時々ある作家のネタですね。例えば、中原中也のキャラが帽子をかぶっていることとか。あとは、泉鏡花が女性に変わってしまいましたけど、兎のグッズとかがついてるとか。あとは、織田作之助はカレーが好きとか。時々、作家のネタが見れるのが嬉しいです。
 「文アル」のほうで一番好きなのは、作家から作家への手紙が見れることが一番楽しいと思います。作家と作家の間の繋がりがそこで見えますので、そこが一番楽しいと思います。

【山口】「文アル」での作家同士の手紙のやりとりを覗くのが、Iさんとしては楽しい。さっきもCさんだったか、関係性が見えてくると言ったけど、それはやっぱり「文アル」の一つ特徴であり、魅力なんでしょうね。
 Fさん、何かありますか。

【F】私は「文アル」に詳しくないので、「文スト」に絞っての話になりますけど、登場人物の趣味嗜好やキャラクターデザインの話については、先ほど挙がった再構成という単語がとても分かりやすく感じました。
 例えば、与謝野晶子の「君死給勿(キミシニタモウコトナカレ)」という異能力はその代表だと思います。作中の彼女は幼少期、瀕死になった人を完治させるという能力を軍事的に利用されてしまって、自分がいる限り兵士が半永久的に戦場から撤退できないという状態にとても苦しんだ過去があるんですね。
 こういう形で元になった作品や人物の一部分を抽出してきて、再構成して反映しているのが「文スト」なのかなと。「文アル」が、皆さんの言うように史実を比較的前面に推すタイプなのであれば、「文スト」はヒントを散りばめているタイプだと感じました。
 あと先ほど、史実とかけ離れすぎていると、現実の文豪や作品に対する興味への直接的な入り口にはなりにくいのではというお話がありましたが、必ずしもそうではないように思います。これは去年話した内容とも被りますが、国語便覧にでも軽く目を通せば、太宰と芥川の関係性や泉鏡花の性別のような表面的な乖離にはすぐ気付けるはずなんですよ。
 逆も然りで、織田作之助が好きなカレー屋がどこだとか、太宰と中也の悪口の内容とか、ああ、そういうところは史実なのかと、今度はネットで検索してみてやっと知るみたいな。調べていく上で、史実と関係しているのか関係していないのかっていうのを見つけていく面白さっていうのは、「文アル」とはまた違う気がします。
 名前はオリジナルそのままで、中身は原作や史実と異なるという構成は、最近始まったものでもなくて、「ハウルの動く城」(2004年)のようなジブリ映画などでもよく見かけますよね。キャラクターの役回りであるとか属性みたいなものは借りてきつつ、性格や結末は改変してっていう。この場合もやはり、映画だけを単体で楽しむという選択肢とは別に、原作の本を読んで、確かに色々と違うけど、ここは引き継がれているのかと知れる楽しさがありますよね。
 言ってしまうと、本歌取りみたいに新しい作品だけでも楽しめるけど、本歌としての下敷きになっているものを踏まえて、その差を見ることでより奥行きが出る、っていう面白さはあるんじゃないかと思いました。

【山口】「文スト」の面白さということで、「文アル」はかなり事実に忠実で史実そのままが基調なのだけど、「文スト」の場合は、抽出し、散りばめてるという感じかな。だから、気づいたら面白いってことですね。有名な反戦詩の文言「君死にたまふことなかれ」といった与謝野晶子の重要な部分は、ズバッと捉えている。それが異能として、異能バトルみたいなものの中で、うまく活かされている、と。
 それから、もう一つ、アダプテーションとして捉えて両方を眺めるという面白さですね。原作との違いはあるんだけど、その異同・改変の仕方を踏まえることで享受する際に奥行きが出てくるってことですね。

【山口】さて、Dさんにもちょっと喋ってもらおうか。

【D】私はあまり物事に批判的な態度をとることは、得意ではないんですけど、二次創作というか、尊敬の仕方でも文豪でも戦国武将も新撰組も全部、それはそういうものだと、その人はそう考えていると、受け入れられるようになるんですけど。
 例えば「文スト」というのは、あくまで考えているのが1人なので、抽出作業をする人も1人、多くても2人か3人でやっている。「文アル」みたいなゲームだと、その作業をする人が多いから史実要素が増えるのかなと思っていたんですけど。
 あとは、後世の人々の考え方が反映されているっていうのに関してなんですけど、いろいろゲームをやっていて、その中にフェイトシリーズ(Fate/Grand Orderなど)というのがあって、あれって、アーサー王が女の人になったりとかするんです。あれって、一応召喚される前の英霊が待機する場所みたいな感じで、座(ざ)っていう場所があって、座から人間がいる場所に降ろされるときに、後世の人々の思いが反映されるという設定があるんです。
 例えば、牛若丸、源義経が今剣という短刀を持っていてもおかしくないし。沖田総司が使っていた刀は、加州清光と大和守安定と言われているんですけど、降ろされてくる沖田総司は一文字則宗という後世の創作によって、付与された刀を持っていたりとか。あとは文豪で言うと、日本の文豪はひとりも出てないんですけど、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが、アンデルセンって例えば、「人魚姫」とかちょっとひどいっていうか、バッドエンドの話が多いんじゃないですか、アンデルセンは。だからそんな話を書く人は、さぞひどい人物だったんだろうと、無辜(むこ)の怪物というスキルを付与されて、たとえば人魚の鱗が体中にあったりだとか、「雪の女王」みたいに凍傷を患っていたりだとかになっています。
 そういう、後世の人々の思いが反映されたっていう設定があるので、後世の人々の思いっていうのが、やっぱり「文アル」や「文スト」に、そういう設定があるかどうかにかかわらず、反映されている部分は大きいんじゃないかな、というふうに思っています。賢治が少年化されていたりだとか、「文スト」の太宰に自殺癖があるとか、そういう人だったんだろうっていう思いが強いんじゃないかなと思いました。

【山口】なるほど、フェイトシリーズっていうのを引き合いに出して言ってくれて、なかなか面白いなと思いました。
 だから後世の思いっていうのは、作家なりが生きていた時代よりもあとの時代の思いというのは、同時代性と違って、後々の人からどんなふうに受け入れられてきたかっていう、その部分が関わっているんじゃないか、ということですね。キャラを作っていくときなんかにね。
 これはちょっと面白い着眼ですね。このあたりもうちょっと、掘り下げて説明ができそうな感じですね。

「文スト」の異能力の由来はどこにあるのか

【山口】あ、Eさん、いま着きましたね。自己紹介をお願いします。

【E】2002年生まれの、3年生のEです。よろしくお願いします。

【山口】Eさんは去年も出てくれましたね。
 Eさん、何かありますか。

【E】私、実は卒業論文で「文スト」の題材と、史実の題材を比べるみたいなものをやろうとしているので、皆さんにお聞きしたいこととして、「文スト」とか「文アル」っていうのが、文豪のどの部分が作品として表れているかというのを、皆さんにお聞きしたいです。
 先行論だと、どちらも文豪の関係性が重視されているみたいで、例えば、太宰と織田作之助だったりとかあと坂口安吾だったりとか、中也と太宰という関係が結構重視されて、そこを中心に作られているんじゃないかというものが、先行論にありました。
 私としては、「文スト」だと異能力の作品の登場人物がかなり重視されて、作られているんじゃないかと思っていて、太宰は「人間失格」の葉蔵に似ているな、と私的には思っています。中島敦と芥川龍之介に関しても、敦と芥川が結構似たところがあると言われる考えもあって、そこは「山月記」と「羅生門」が似たところがあるのではないかと、私は高校の授業でやったりしています。
 やっぱり「文スト」は作品の登場人物とか内容とかが反映されているんじゃないかなと思っていて、「文アル」自体は作家本人から反映されているのではないかと、そういうふうに考えているんですけど、皆さんはどういうふうに考えているのか。卒論に関わるので、ぜひ聞いてみたいなと思いました。

【山口】皆さん、どうでしょうか。「文スト」の場合と「文アル」の場合と、今非常に大雑把に言うと、「文スト」はどちらかというと作品から来ているということですよね。ある特徴的な作品から、キャラの特徴とかを作っているけど、異能の名前とかも作品名であることが多いしね。
 それに対して、「文アル」は、やっぱり作家の史実性とかも深めて、どちらかというと全体的に作家という、もちろん作品を書いている作家なんだけど、というあたりの違いのところですよね。
 このあたりはどうですか、こうも言えるんじゃないかというのがあれば、Eさんが考えるヒントになるということですが。

【B】先ほど言っていた「文スト」からの抽出に少しかぶってしまうんですけれども、「文アル」の方はわりと、出身地とかのネタが引用されることが多いかなという風に感じていて。その話し方だったり、食べ物とかも出身地の影響が時々見えたりするかなと私は思います。

【山口】なるほど。他にどうですか。

【F】Eさんが来られる前に出ていた話を軽くまとめると、「文アル」の方では手紙のような具体的な形で、史実に基づく作家同士の関係性を埋め込んでいて、「文スト」は、原作の朝霧カフカ先生が物語を作る上でこれを入れたら面白そうだと思ったものを、文豪や作品から一度抽出して再構成しているから、性別や関係性が反転するようなことが起こるのではないかという内容でした。
 Dさんのご意見も踏まえて思ったのは、人間的な歴史の方を重んじているか、神話的な文豪っていう風に認識されているかの違いかな、と。「文アル」は、作家が人間として生きてきたことを踏まえて、ゲームを作るにあたって、より詳しく反映させようっていう意図があるように感じて、逆に「文スト」は、ある種、神話チックな文豪像にフォーカスを当てている気がしました。
 ギリシャ神話やローマ神話で、よく同じ名前の神が複数の神話に登場していても、どうやら話によって起こしている出来事が違うようだぞみたいなことがあるじゃないですか。でも、愛の神だとか、豊穣の神だったらしいといううっすらとしたイメージにさえ沿っていれば、なんとなく受け入れられてしまう。そしてその内側の細かいところは、必要に応じて引き出しが開くという点で、「文スト」の登場人物の描かれ方に神話性があるなと。
 Fateシリーズもそうですけど、メディアミックスにおいて、実在の人物が現実世界や現世とは少し違うところにいるような描かれ方をする場合はとくに、神話と同じように、それまでの見られ方が顕著に表われるのかなと思いました。

【山口】Fさんが実に上手にまとめてくれたのですが、いろんなことがつながってきて面白いなって聞いていました。他の人、いかがですか。

【H】私が卒論の研究対象が織田作之助で、「文スト」の織田作之助の異能力が作品から来ているのかっていうのを、今考えていたんですけど、あんまり反映されていない。確かに今挙げられていた例は、確かにそうだなって思ったところもあるんですけど、織田作之助に関してはどうかなっていうのがあって、「文スト」の作者の動かしたいように、太宰にひとつきっかけを与えるために、いいように構成され直して作っているように、私には思えて、織田作之助に関しては、ちょっと作品の中のっていうのとはやっぱり違うかなっていうのが、私の感じ方です。

【山口】織田作の異能って何だったっけ?

【F】「天衣無縫」じゃないですか。

【H】「天衣無縫」の話と「文スト」のキャラクターとしての関係はちょっと、結びつかないですね。

【山口】ということは、「文スト」もなかなか一筋縄ではいかないかもしれないね。鏡花も「夜叉白雪」って、作品名ずばりじゃなかったよね。作品名と主人公の名前を混ぜたネーミング。

【C】尾崎紅葉のほうが「金色夜叉」っていうので、そこと近づけようとしていると思われます。もともと師弟関係だったというのがあったので、そこで結びつけようとしているのかなっていうのはあります。

【D】もともと鏡花の能力じゃなくて、母親から譲り受けたというか。それも都合がいいんじゃないか。

【山口】だからまあ、ちょっといろいろあるよねっていうところだね。Eさんの卒論にしても、そこがうまく全部包括的に説明できるといいよね。

マンガ化される作家と、されない作家と

【山口】他に、こういうことを聞きたいっていう人いませんか。

【E】Hさんの話を聞いていて気になったところがあって、織田作之助って私はわりと有名な人だと思うんですけど、転生とかマンガ系で扱われているのが、「文アル」とか「文スト」くらいしか見たことがないというふうに感じています。マンガ化される文豪と、されない文豪の違いみたいなのって、どういう違いがあるのかなって疑問に思っています。

【山口】これ、皆さんどうでしょうか。マンガ化されるかされないかの、分かれ目、基準、理由。
 織田作に関して、あまり広がらないとすれば、Hさん、なぜだと思います?

【H】織田作は、実際に大阪に行った感触としては、大阪の人はやっぱり好きというか、「織田作ね、はいはい、わかる」っていう感じなんですけど。やっぱり自分の同世代で喋っていると、織田作ってピンと来てなくて……。
キャラクター化すれば結構面白いというか、関西弁でしかも太宰、有名な太宰と仲がいいというか、関連があって、自分が一番好きなところは、割と愛妻家っていうところがあって、そこら辺を使うと、キャラクターとしては結構入れる要素というか、人気になる要素はあるのかなって思うんです。
 でも、やっぱり知名度的にはないんじゃないかな。我々の中だったらやっぱり、我々の中ってくくりで見たら、有名になるけど、だーっていっぱいいる中で、織田作之助って……。大阪以外だとピンと来ないのかなという気がしていて、だからされないのかなと思ってます。

【山口】なるほど、やっぱり、Hさんが言ったように知名度が全国区レベルではないってことなのでしょうかね。
 ここからは、織田作のみにこだわらなくてもいいんですけど、やっぱり、どういう作家がいろいろいじられやすいのかっていう、何か基準みたいな、理由みたいなのがある程度あるとしたら、どのあたりにあるのか。これもあんまり、かたくるしく考えなくていいと思うんですけど。お願いします。

【I】やはり人生にドラマ性がある作家がマンガ化されやすいかな、と思いました。
 例えば、太宰治が心中したり自殺したり、いろんなことが起こっていて。ある意味で一つのドラマ性があると思いました。
 他だと、例えば泉鏡花だと、自分の妻確か、泉すずという芸者さんですかね。恋愛の方面も、よく恋愛ドラマに映画化されています。例えば「明治東京恋(れん)伽(か)」とかと、「文豪失格」というドラマCD知ってる人がいらっしゃいますか? そんなに有名ではないですが、文豪失格シリーズのドラマCDで登場された泉鏡花も、自分の妻をとても愛している、というイメージの人です。
 こういう作家自身の人生もドラマ性がある人だと、取り上げられやすいのかなと思いました。

【山口】鏡花は、芸者と結婚するっていうんで師匠の尾崎紅葉に猛烈に反対されて、しばらくは絶縁状態みたいになって、ていうのがあって、大変だったんだけれども、それでも結婚しています。そういう万難を排して一緒になるという非常にドラマチックなエピソードがある。
 織田作もね、非常に若く、34歳くらいで亡くなったんだけど結核でね。最後はもうある種自暴自棄っていうか、結核でヘロヘロになっているのに、聴衆のいる前で覚醒剤の注射を打ちながら講演して、なんていうのが話題になっていたけど、う~ん、やっぱり活動期間が短かったっていうのもあるのかな。ある程度名前が知られるようになってから10年行ってないくらいだから。確かに太宰なんかに比べれば事件も少ないし。

【E】取り上げられていない人の一つのタイプとして、プロレタリア作家の方が多いんですけど、思想性・イデオロギー性が強い作家たちは、メディアミックスとかでいじりにくいていうか、脚色を加えがたいっていうのは、ニュース記事で目にしたことがあります。

【山口】確かに、小林多喜二とかも扱われてないかな。

【B】多喜二は、「文アル」だけですね。

【山口】「文アル」には出てたね、多喜二も中野重治も。

【C】「文アル」は舞台化もしてるんですけど、そっちの舞台とかのほうではプロレタリア作家は本当に取り上げられてなくて……。扱うのが難しいのかな。

【山口】そうだね。プロレタリア文学系はやっぱり、いろいろ言う人もいるだろうってなると、ちょっと、やっぱり警戒しちゃうかな。
 一方、織田作何かやばい、まずいってことはないと思うんだけど。

【H】唯一何がやばいか、妻のほうがやばい。最初に結婚した妻が軟禁を一回されちゃったくらい。

【山口】う~ん、恋ゆえに、ってことで、やり過ぎとは言え、そこまでの減点材料にはならなさそうだよね。何かがブレーキになってるっていうよりは、やっぱり……

【H】知名度の問題……。

【山口】うん。

線引き・検索避け

【山口】他に何かありますか。

【E】線引きや検索避(よ)けの問題について、原作、アニメでキャラクターが好きで、そこから二次創作を楽しんでいる人もいるんですけど、検索避けをしないことや、実際の作家さんなどとの線引きをしないことでかなり問題が起きてしまっており、公式から注意も出ていたりするので、その点に関して皆さんどういう風に考えているのかについてお聞きしたいです。
 検索避けなどをしないと、実際の作家が好きな人が検索をした時にアニメなどの二次創作が出てきてしまって問題になってしまいます。

【A】私、実際の宮沢賢治が好きで、本人のグッズや作品の関連のグッズも好きなので、調べるのですが、本人より、「文スト」とか「文アル」のグッズがたくさん出てくるんです。私たち、普通の人が嫌っていうのは自由ですけど、やっぱり、子孫、親族の方がいらっしゃるので……。
 本人の目に触れることはないんですけど、多分、nmmn(ナマモノ)系になるのかなと。普通のグッズとかでも、ある程度のマナーとか、子孫の方が不快に思われないような、配慮はやっぱり大事かなと思っています。

【山口】著作権継承者の問題は難しところがあるけど、「文アル」で取り上げられる作家は、だいたい著作権が切れてるよね。それ結構一つ大事なポイントだと思う。著作権が切れちゃってると、もはや文句は出ない、出せないということはあるんですけど、ただ、子孫はいらっしゃるのにって感覚は、真っ当だし、大事だと思いますね。その作家が好きだって言うんだったらね。

転生もの、異世界転生もの

【山口】転生もの、異世界転生ものっていうのが結構流行っているっていう印象があって、私は格別詳しいわけでもないので、ちらちらっと視界に入ってくるって感じですけど、太宰関連でも「異世界失格」、太宰が自殺、亡くなった後、異世界に転生して、山崎富枝と対戦することになったり、いろいろ頑張らなきゃいけないっていう設定です。
 別に太宰に限らずなんですけども、転生もので何か言いたいことある人いますか。Cさんあたりどうでしょう。

【C】一応「文豪とアルケミスト」も、転生ものとして扱うと思います。

【山口】ああ、そうだね。

【C】ゲーム内の用語として転生っていうのがあって。ちょっとこれアニメの方の話になっちゃうんですけど、アニメの方の説明で、転生した文豪は当時、その時代を生きていた文豪がそのままコピーされて転生するんじゃなくて、現代の人たちのイメージとか固定観念とか、そういうのが混ざったものが、形作った思念体っていう言われ方をしているので、近い点があったとしても、必ずしも同一人物になることはないっていうのが、面白いところであるのかなっていうのは思っています。

【山口】思念体、そうでしたね。これって、さきほど(「「文スト」のおもしろさはどこにあるのか」のところで)Dさんが言っていた、後世の思いがキャラに加わる、というのと直結していますね。
 そころで、その時に自分が転生したっていう自覚、前の生の記憶はあるんでしたっけ?

【C】記憶が割と残っている人と、断片的にしか残っていない人と、全然残っていない人で分かれていて、それこそイベントによって、過去が曖昧な状態からちゃんと自分が転生までの過去なんだっていうのを、自覚する人もいれば、そのまま曖昧なままの人もいますし。そこは割とバラバラです。

【山口】そこは丁寧に作ってあるなっていう印象ですね。
 転生ものについて、どこか安直だなと思ってしまうのは、前世の記憶がしっかりあったりするでしょ。そこのところがどうもね。さっき名前を出した「異世界失格」も、記憶は継承されている。
 でも、むしろそれが普通なのかな。「推しの子」とかもそうですよね。うちの中学生の娘が好きみたいでフォローしてますけども。
 例えば三島由紀夫の有名な『豊饒の海』4部作なんていうのは、長いタイムスパンの物語の中に転生が大事な要素として組み込まれているんだけど、生まれ変わったと見られる存在は、前に自分が日本人の何とかだったとかいう記憶はないわけですよね。輪廻転生とか転生って、本来そっちが主だと思ってたんですが、今わりと流行っているやつは、そのまま記憶が継承されるので、「推しの子」もそうだけど、むしろ別の体に入っちゃうって感じかな。
 もともとそういうなんかの拍子に体が入れ替わるっていう話も多いよね、彼と彼女と身体が入れ替わっちゃったとか。そういうのと合流してるんだろうな、っていうふうに勝手に思ったりしてるんですけど。
 「文アル」はその辺かなり丁寧に作ってあって、あの辺は面白い。記憶がかなりある人とない人があるっていう、グラデーションを作っているあたりも含めて、そこは大事なところなんでしょうね。
 「異世界転生」は、太宰が山崎富栄と心中して亡くなったあと、結局、ふたりとも同じ異世界に移って、二人がむしろ対立関係になって戦う、元の世界の関係をねじれた形で引き継ぐっていうか、そういうところが設定的に面白いんだけど。
 どっちもちゃんと記憶はあるので、太宰なんかもむしろ記憶があるからこそ、元の世界での太宰らしさを異世界の別の文脈の中でもひきずっていて、そこから何ともいい味出してるっていうかね。だから、過去の記憶があることで、ある種奥行きが出ているっていう作り方になっている。
 ひと口に転生ものって言っても、流行りではあると思うんだけど、なかなかいろいろあるなっていうところがあって、そこがうまく、違いと共通性みたいなのもはっきりさせつつ、でもやっぱりここが根本で一緒だっていうのが、うまく説明できると面白いかなと思うんですけどね。

【H】転生もので、最近発見したというか、太宰じゃないんですけど。「JK漱石」ってご存じですか。
 漱石が女子高生に転生したっていう話で。私ちょっとまだ試し読みっていう感じで、入りしか見てないんですけど。やっぱり私の中でも、漱石のイメージが伝記の漱石のイメージがあって、で、「JK漱石」を読むと乖離があるみたいな。そこに先生がおっしゃってたように、魂が入るというか、浮遊している魂がそこに入って、しかも性別違って、転生、自分じゃないものに変わるっていうのは、面白い。
 これも、記憶持ってるんですよ。自分の記憶を使ってどうやってこの後生きていくのかみたいなところを見るのが面白いのかな、って個人的に思ってるんですけど。そこに面白さを感じて、転生させたのかなと思っています。
衝撃でした、個人的に。それで、転生に関して、どういう風に思っているのか、皆さんの意見を聞いてみたいなって。

【山口】読んだことある人います? 私も後でチェックしてみますが、入れ替わる前の記憶があるんですね。

【H】女性になったからには、次は女性の喋り方を学んで、みたいな場面があったりとか。女子学生といったらこういう喋り方だろう、友情関係とか人間関係に敏感だったりっていうところが、「こころ」から持ってきているか、みたいな。
 ただ、女性になってるっていうところが、性別が変わってるっていうのが、私には衝撃的で、転生ものも男性が女性に入ったり、女性が男性に入ったりって、結構少ない、あるにはあるけど、そんなに多くないのかなっていう風に思ってて、私がちょっと知らないだけかも知れませんが、性別が変わるっていうところも気になります。

【G】転生ものについての意見なんですけど、異世界転生ものってLINEマンガのイメージがすごい強くて、LINEって確か韓国のアプリだったり、LINEマンガも韓国の人がたくさん書いているイメージがあって、日本で爆発的に人気になっているというより、韓国ですごい流行っていて、それが日本でも結構参入してきているので、韓国から人気になって、日本に上陸した、そういうイメージがあって、記憶があるまま誰か別の人間になるという設定は、一種のパロディー、亜種みたいな感じなのかなって。
 それだったら元々日本でも、よく二次創作、現代パロディとかよくされていたから、確かに今、転生ものが流行りではあるけど、もともと日本にもそういった傾向はあって、その文化が参入してきたことによって、結構、表立って見える、人気、活発になっているようには見えるけど、もともと日本でも流行っているというか、されてきたことではあるのかな、というイメージがあります。

【山口】LINEマンガという話ですが、男女が入れ替わったり、他人の体に入っちゃったってのは、確かにそうですね、韓国ドラマとかで結構多いというイメージもありますが、だけど韓国が発祥の地というよりは、日本のマンガで男女が入れ替わっちゃったりというのは、ずっとある気がしますね。映画化されたり、アニメ化されたりもあるし。

【G】「とりかえばや物語」とか。

【山口】そうそう、古くからありますよね。やっぱり、設定というか、その設定からいろんなことが起きるというので、そういう設定としての普遍性はありますね。異性装とかも含めれば、かなりパターンとして広がるし、もちろん西洋でもあるし。だから、流行りは流行りとしても、大きな文脈の中に置いてみると、面白いかもしれないですね。

【F】補足になりますが、転生モノが韓国から参入した文化というのはやはり言い過ぎのような気がしていて、それより前から、日本では転生モノのライトノベルやマンガが人気を博していたと認識しています。実際にその影響で、ラノベ業界のターゲット層が中高生寄りから大人向けに変化したという話も聞いたことがあるくらいなので。
 それと、少し話が変わるんですけど、少し前に挙がった「JK漱石」は、じゃあ、なんで漱石を現代のJKにしたのかっていうことなんですが、転生先を異世界やゲームにすれば、作者が世界観を司る神みたいなものなので、都合が悪いことが起きても世界の方を変えて解決させられると思うんですけど、現実世界ってなると、少なくとももう物理法則は無視できないし、JKだったらきっと校則とかもありますよね。
 そこへ漱石が転生してきて、JKになったら、もし漱石が自分の記憶をしっかり持っていても、本来の文豪の姿ではいられない、例えば、性別の転換や年齢の変化、時代の違いで削ぎ落とされてしまう要素が多いじゃないですか。そういう削ぎ落しを用いることで、知識的についていけない本来の漱石を描かずに済むので、フィクションとして確立できるのかなと考えました。

【山口】そうか、だから「JK漱石」は異世界転生ものではない。今時のJKになっちゃう、むしろ現代パロディ。そして男女入れ替わり要素も入る。
転生ものって言っても、異世界への転生かどうかで違ってきますね。

【E】転生というか、さっきFさんがついていけないから女子高生の体になった、みたいなことをおっしゃってたと思うんですけど、思い出したマンガで、魂の入れ替わりというか侯爵令嬢に入れ替わってたみたいな感じのものがあって、それは、入れ替わってしまった魂の持ち主の記憶が、受け継がれていて、だから問題なく過ごせるっていうような設定になっていました。そこらへんは、作品の内容によって結構都合を変えているのかなと思います。
確かに現代人が、昔の侯爵令嬢の生活ができるかどうかと言われると、絶対にできないと思って、そういうところは、記憶に関しては設定によって、結構変動するのかなという風に思いました。
 あとは転生かちょっと微妙なんですけど、ディズニーの「ツイステッドワンダーランド」っていうゲームは、主人公がいきなり違う世界に飛ばされてしまって、転生なのか転生じゃないのかというのが、いま議論されていて、いきなり魔法が使える世界に飛ばされてしまって、その世界について行けないから、漱石が女子高生になるように、やっぱり主人公もそっちの世界にいたら、魔法が使えるようになる体になるのかなと思ったら、全然使えない、主人公になってしまってというところで、設定が幅広くなってきているなという風に思いました。

【山口】いろんな例を出してもらって、面白いです。転生、入れ替わり、記憶の継承……と、いろいろつながると同時に、ヴァリエーションも多く、なかなか広がりがありますね。

【F】さきほどの「ついて行けない」という言葉、私が主語を抜かしていて申し訳なかったんですけど、漱石がJKの生活について行けないということではなくて、漱石の史実を反映するにあたって、私たち読者側の知識がついて行かないということを言いたかったのです。
 それこそ漱石の作品を読んだ人にしかわからないことばかりを思考回路や言動に取り入れすぎると、一般向けにどこまで成立するか分からないので、JKという性別や年齢を枷(かせ)としてうまく用いることで、見せたい要素だけを抽出できるメリットもあるのかなと思いました。

【山口】だから、女子高生なら女子高生にすることで、いろんな要素をかなり削ぎ落として、ただここはエッセンスみたいなところはちゃんと描くってことですよね。

【B】「JK漱石」の、まずJKが選ばれた理由が、わりと海外に比べて日本って女子高生という立場が優遇される、特殊な立ち位置みたいな感じで囲われることが多い、っていう記事をニュースで目にして、JKをモチーフにした作品がすごい多いのも、起因してるんじゃないかなって。
 あとなんか、漱石が選ばれた理由が、わりと誰もが知ってて、それこそ授業とかで結構真面目に取り扱ったりした内容で、かつみんなが知ってるっていうのがすごい大きいポイントだったんじゃないかな、というふうに、感じました。

【山口】確かに女子高生ってカテゴライズして、いろんな表象で活用する、あるいは搾取するって言い方もされますけど、それが日本は独特だねってよく言われますよね。海外では、欧米では、そこまで消費の対象として成立しないって言われてますよね。
 その点、JKにしてみようっていうのはパターンとしてあるかもしれないけど、よりによって漱石を女子高生にしてしまうっていう思い切りですよね。

【K】転生の国際色、韓国から日本へ伝わってきたかもしれないということならば、中国はどうでしょうと言ってみます。中国にも、ある人がトラックにぶつかってどこかの病院で寝たきりだった女性の体に入ったあと、女性の体として生きていく、みたいなドラマもあります。
 ただ、中国で、たとえば魯迅先生を転生させたらどうなるか、とすごく気になります。漱石が女子学生にされているのも不思議だと思いますが、魯迅先生が剣を持って戦っている姿は想像できないです。
 では、なぜ日本だけ、このような文学創作活動が許されるのでしょうか。韓国の文学作品の中で、国民的な作家さんがこのような転生させられたりする作品があるのでしょうか。
 中国では、今年、古代の李白たちの時代の、李白たちのキャラクターを使って、結構盛大なアニメの映画が作られていたニュースを見ました。といっても、古代の物語です。

【山口】李白は転生するの?

【K】転生しません。そのままです。李白さんたちは、唐の時代の中で、どうやって生きているのか、48首の詩を全部歌っているそうです。中国ではすごくブームになっています。

【山口】じゃあ転生ものに登場するのは、やっぱり有名じゃない人ってこと? 無名の人ってこと?

【K】はい。一般の小説家が、どこかに飛ばされていたくらいかなと思います。魯迅先生が飛ばされたらどこに行くでしょう? 女子学生の中に飛ばされていったら、たぶん中国人としては感情的に受け入れられないと思います。なぜ、日本ではこのように飛ばされている物語が創作できたのでしょうか。

【山口】でもやっぱり、日本でも、漱石を女子高生にするというのには批判も出そうですし。やっぱりインパクトあるよね。太宰だったら、そういえば「女生徒」を書いているしとか、理屈がつけられそうだけど、お札にもなった国民的作家・漱石だもんね。

【C】こちらとしても、インパクトがすごい。

【山口】だから、李さんが言うほどすんなりではないと思うんですけどね。

【K】たぶん中国だったら、魯迅先生を女子高生さんの体に飛ばして行くことは、書かれていても公に刊行ができないかもしれないです。

【山口】だって、魯迅は特別でしょ、神様みたいになっちゃってるからね。

【F】魯迅先生だったらダメなんじゃないか、という話題に関してですけど、「山海経(せんがいきょう)」という、神獣などについても詳しく書かれている中国の古い地理書があって、日本で言うと鵺(ヌエ)にあたるような生き物が大量に載っているので妖怪辞典みたいな側面もあるんですけど、それをオマージュした中国コスメのシリーズが出ているんですね。
 他にも、韓国の会社が開発して日本や中国でリリースされている「ブルーアーカイブ」というゲームには、「山海経高級中学校」という学校が登場したりしていて、どちらも割と娯楽的な方面に変換されているじゃないですか。
 これはやっぱり、細かい事実まで分からないほど古かったり、逸話や神話が混じっていたり、ある程度曖昧なものだからOKみたいな、お国柄としてのラインがあるのかなって思いました。

【山口】コスメのほうは中国で、ゲームは韓国ですか。

【F】コスメは中国の会社が出しています。ブランドの名前はCATKINと、GIRLCULTで、今のところその2つから山海経モチーフのリップグロスやパレットが出ています。
 「ブルーアーカイブ」のほうは、韓国の会社が日本で流行ることを目標の一つとして開発したゲームです。ただ、運営の大元は中国上海の企業です。

【K】「山海経」ですね。私はあまりコスプレはわからないんですけど、なんか最近中国のチャットアプリのところで、いかにも「山海経」の中に出てきそうな妖怪さんの真似をしたすっごく綺麗な女性が出てきました。狐の真似をして化粧もしていましたが、ゲームではなさそうです。

【F】ある程度好き勝手やってもよいくらい古くて、曖昧さが残されている文献くらいでないと、エンターテイメント化は難しいかも、という感じですよね。

【K】タイムスリップでも、秦の始皇帝時代だったらOK。最後の清朝までもまだまだ大丈夫ですが、毛沢東主席の時代は、ちょっと無理ですね。

【山口】それは、絶対無理だよね。魯迅もそうだけど、神格化されているんだからね。

【H】ひとつ思い出したことがあって、いいですか。
 女子高生に転生するっていうので、文豪じゃないんですけど、そういう作品があって、それが、中国の「三国志」のキャラクターが女子高生に転生するっていうのがあるんですよ。劉備とかが男子高生女子高生に転生しちゃうっていう話があって。今、話を聞いて、そういえば「三国志」あったなみたいな。それは別に女子高生だけじゃなくて、男子生徒になるのもいるけど。

【山口】でも元は全員男性だよね、「三国志」だからね。

【F】(スマホで試し読みのページを開きながら)本当だ、一見普通の少女マンガなのに、モノローグに《生まれかわって女子高生になった…》《劉備徳子(16)》ってありますね。

【山口】劉備徳子か、よくわかんないけど(笑)、なんていうマンガなの?

【H】「劉備徳子は静かに暮らしたい」っていうマンガです。横にいるハーレム状態の男の子も転生してる、みんな「三国志」。
 これもキャラクターとしてあるものを「三国志」から抜き取る。キャラクターを抜き取って、そうやって作ったものは文豪とは変わってくるんですけど、この人ってこういう人なんだっていうところを作ったのかなって。女子高生にするっていうのと関連してくるかなと思いました。

【山口】なるほど。「三国志」の場合はやっぱり人間関係があるでしょ、学園ものっていうジャンルになると思うんだけど、まとめてね。そこは、「JK漱石」の場合はどうなんだろうね。史実の漱石の場合、たくさん弟子がいるわけだけど。

【H】本当に入りとしては、ある女子高生2人がいて、1人は転生していて、女の子がJK漱石に夏目漱石の話が読みたくてって言って、漱石の話を読みたいのか!って話から展開していく話になってます。で、夏目漱石自身が自分のことを話すとき、どうやって考えてるんだろうみたいな、マンガの作者の解釈が見られます。

【山口】「JK漱石」、みんなでちゃんと読まなきゃいけないね。検閲というか、マンガの作者が大変なことになるってことはないだろうけど、そのあたりみんなで確認しないとね。

ボカロ、文学と音楽

【A】転生とも関わるんですけど、ボカロ(ボーカロイド)の曲で「走れ太宰」っていう曲を てにをはさん っていう方が出しているんです。曲の始まりが、《ある朝起きたら太宰になってゐた》で、その始まりがよく分からなかったんです。
 太宰が元いた人を乗っ取っているんだったら、ある朝起きたらじゃなくて、現代に太宰が来た、みたいな感じの歌詞になると思うんですけど。元の体の人の自我がありつつ、太宰もいるみたいな。他の歌詞は、“芥川賞取りたい(ギブミー頂戴芥川賞)”とか、“応募するけど文体古い(文体古いと叩かれた)”とか、現代人ではない、太宰色が強めになっていくんですけど。その転生っていうか、“ある朝起きたら”は、カフカの『変身』から引っ張ってきているのかな。
 今まで皆さんから聞いてきた転生とちょっと違うのかなって思って、そのような転生について皆さんの意見を伺いたいなと思いました。

【山口】カフカの「変身」も、いちおう本人は元の意識があるよね。だけど外観が毒虫になっていた。だんだんその人間の意識も失われてゆく感じだけど。
 このボカロの歌詞では、元の本人プラス太宰要素も入っている。

【G】記憶って受け継がれてるんですか?

【A】最初の歌詞以降、太宰的な要素も結構強くなるので、“昼夜中也と争う”みたいな感じで、中也も出てきて現代に中也も転生しているのかと疑問はあるんですけど、そこの歌詞は、韻みたいな感じかも。よく分からないんですけど、太宰が現代にいるという感じですかね。

【C】太宰の自我が強いといったら、太宰の自我があって、もう一つある方の自我はどちらかというと、第三者視点、干渉できない感じ、そこで変わってくるんじゃないかと思って。

【A】主導権がなく、芥川賞を取りたい(ギブミー頂戴 芥川賞)と言っていますね。

【G】海外の例で、モデルをやっていた女性が交通事故に遭って、記憶は残ったまま別の女性の体に入り込んじゃって、もともとあまり頭が良くなかったけれど、その入り込んだ人が弁護士でめっちゃ頭良くて、それを使いこなして事件を解決していくみたいなドラマ(「私のラブ・リーガル」)があったのを思い出しました。それと同じように、太宰の思考とかを受け継いでいるけど、魂が別の人に入り込んでいる。脳みそとか、体の機能とか、性格とか、傾向とかは太宰みたいな感じなのかなって思いました。

【B】いま改めて歌詞を調べたんですけど、最初は確かに、ある朝起きたら太宰になってゐた、から始まっているんですけど、進むにつれて思考が、全部太宰に侵食されているなと思って、最後、もうこの人太宰になっちゃってないか、みたいなところに来ているので、転生っていうよりは、入った側の方の人格が消されているような感じがしました。

【山口】憑依っていう言い方もあるでしょ。昔から、狐が憑く、とか。それに近いかもしれないですね。
 必ずしも綺麗にくっきりと分類できるかどうか分からない。転生的な要素もあると思うけど、ほぼ乗り移られているって感じですかね。面白いですね。

【E】これはちょっと、深読みになってしまうんですが、朝起きたら太宰になってたから、太宰を演じてやろうっていうその人の人格の可能性もあるんじゃないかなと思いました。「人間失格」的な周りが求めている自分、違う自分を演じる。そういう、姿が太宰になったから太宰を演じてやろうと思って、突き止めた結果、太宰の思考にだんだんなってしまった。そんな可能性もあるんじゃないかなと思いました。

【山口】なるほど、「演じる」っていう見方、そういう説明も可能ですよね。設定を作ってそこで演じるってことですよね。
 この曲ってそれなりによく知られているみたいですけど、こういうのとどういう経緯で出会うんですか。Aさんはどう出会いましたか?

【A】もともとボカロ系が好きなのとYouTubeで宮沢賢治を調べているので、「あなたへのおすすめ」で文豪つながりがとか多く出てくるので、そこで曲を知るという感じですね。

【山口】なるほどね。そうやっておすすめされちゃうんだね。  
 それにしても、太宰が、ほんとあちこち出没しますね。

【C】「走れ太宰」の曲みたいに作家のことを曲にしたのもありますが、作品を曲にするのも最近わりとあるなと思うんです。ヨルシカの最近の「月に吠える」とか、あと「斜陽」。
 ちょっとまだ聞けてないんですけど、そういう作品を元に楽曲化していくのって、難しそうというか。ある意味すごい新しい、斬新だなって思うんですけど、それで考えてるのが、作品との齟齬が出ちゃったりするのかなって、他の方に聞いてみたいなっていう、なかったら全然それで大丈夫なんですけど。

【A】私自身ボカロも好きでヨルシカも好きなんですけど、ヨルシカは「月に吠える」もそうなんですけど、「又三郎」とか作品名を大々的に使って、これは絶対あの作品だみたいな感じで分かりやすくしてるんですけど、歌詞とかそれ自体聞いてると、これってそんなに関係ないよなみたいな感じのが結構多いイメージです。「斜陽」は、太宰の「斜陽」は読んでないので、曲との関わりについて言及できないんですけど。
 「又三郎」の方もあんまり、《どっどどどどうど》とかがコーラスに入ったり風要素が入ってるだけで、「風の又三郎(風野又三郎)」の話自体が出てくるかといわれると、違う気がします。
 さっきの、てにをはさんとか、あと有名な人ですと、Sasakure(ササクレ).UK(ユーケイ)さんっていう方が「蜘蛛の糸モノポリー」、芥川の「蜘蛛の糸」をオマージュしている曲なんですけど、それだと結構作品と関連付けたりしています。あとは先ほど誰かが出されてました、てにをはさんの「ザネリ」とか、
 米津玄師さんの「カムパネルラ」だとか。主人公視点じゃなくザネリっていう序盤にしか出てこない、いじめっ子のキャラクターに焦点を当てていて、さまざまな角度から楽曲制作をしている方が多いなって思います。

【山口】そうかそうか、ヨルシカの場合、タイトルは「斜陽」とか「月に吠える」とかなんだけど、ちょっと雰囲気的なタイトルになっていて、ピタッと作品のストーリーとか詩の内容とかを紹介するっていうよりは、もっと雰囲気的なつながりになっているということですね。

【A】作曲者自身(n-buna氏)が読んで、彼なりに話を咀嚼してっていう感じかなと思いました。

【山口】なかなか面白いね。もとのストーリーを説明したりする歌詞ではないってことですね。

【A】ヨルシカ自体のストーリーに合わせてって感じです。物語の要素を、ちょっと借りるのが多いかなって思います。

【E】思い出したのですが、米津玄師の「Lemon」が高村光太郎の『智恵子抄』の「レモン哀歌」、あれが頭の片隅にあったというような話があった気がします。ただ、「Lemon」を聞いていて素敵な歌詞だなとは思うんですけど、それがぱっと思い付かなくて。言われれば気付くけど、やっぱり雰囲気的なところがあるなって。

【山口】どれくらいの距離感かってこともあるよね。
 ひとつにはレモンというのが一般的な言葉で、必ずしも高村光太郎に限定し難いっていうのもあるかもしれない。斜陽、なんて言ったらかなり絞り込まれちゃうけど、レモン、ぐらいだったら、いろいろあるだろうって幅が出てきてしまう。

【F】いま出た「Lemon」について補足させていただくと、Billboard JAPANでの米津さんご本人へのインタビュー記事*曰く、なぜレモンを選んだかはご自身も分からないそうです。
 「レモン哀歌」や『智恵子抄』についても、読んだことあるから頭の片隅にあったかもしれない、とは触れられているんですけど、あくまで、《自分では理由を言語化できないし、特に言語化しようとも思わないです》とか、《仮歌の段階から〈胸に残り離れない苦いレモンの匂い〉っていう一節があって。》とお話しされているので、明確にモデルにしたわけではないように思います。知識の財産としてはあったかもしれないけど、という程度かなと。
*「米津玄師『Lemon』インタビュー」2018年 (2024/5/24閲覧)

【山口】知識の財産、なるほどね。いろいろな文芸に触れる中で蓄積されて、半ば無意識的なところに浸透しているような文化資本的なものですね。

【I】ヨルシカさん「斜陽」の歌詞の中に太宰の「斜陽」のネタがいくつか入ってます。
 例えば葡萄。太宰の「斜陽」の《革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いない。》
 この葡萄という言葉が歌詞に入ってましたので、基本的にはタイトルだけではなくて、全体の雰囲気といくつかのネタも入ってました。それがヨルシカの作詞作曲担当のn-buna(ナブナ)(ナブナ)さんの意図だと思います。
 n-bunaさんは、日本文学だけではなくて、他にも「ラプンツェル」や「白ゆき」など、童話とか小説とかをネタにした曲を作ってます。日本文学では、例えば、宮沢賢治の「よだかの星」で「靴の花火」という曲を作っていました。それが本当に私が一番好きなヨルシカの曲です。
 私も最初は楽曲を聴いて、日本文学を知るようになりました。「文学少年の憂鬱」(ナノウ氏の作品)の曲を知っている方いらっしゃいますか?これは、太宰をネタした曲です。私はこの曲を聴いた後、太宰に興味が湧きました。
 確かに、Aさんが言った通りSasakure.UKさんも芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をネタにして曲を作りましたので、意外とボカロの曲の中に、そういうタイプの音楽が多いと感じました。
 あと、ボカロではないんですけど、太宰治で藤井久美の「女生徒」という曲もありまして、この中にも結構太宰の要素が入っています。

【G】海外の文学なんですけど、ヨルシカの「アルジャーノン」というオマージュというか、歌詞からは内容を読み取れないけど、ちょっとだけ要素を含んでいる。ちょっと分かりづらい、匂わせが多いみたいな。

【I】もともとの小説とか作品の内容がわからない人が聞いたら多分わからないのですが、元になった小説が大好きな人が聞いたら、「絶対これだ!」となる感じがします。

【山口】だから、聞いたらあらすじを早分かりで教えてもらえるというわけにはいかなくて、読んでないと結局、ここはあそこだなという風にはならない、と。

【A】宮沢賢治が元から好きで、n-bunaさんとか米津さん自身も宮沢賢治を公言していて、そういう人だと、そういう曲とかで出てくると、あ、賢治のあそこだってなります。
 米津さんの最近の曲だと「地球儀」でも、宮沢賢治の「小岩井農場 パート九」(『心象スケッチ 春と修羅』)からの引用だったと思います。分かる人には本当に分かるけど、知らない人は米津さんとかn-bunaさんはすごくいい歌詞を書くなって、思われるくらい。楽しみ方が一気に分かれると思います。
 知らない話で、例えば「アルジャーノン」は最初読んでなかったんですけど、聴いて読んで、そういうことが二度と楽しめるので、なるべく知るようにはしています。

【山口】「アルジャーノンに花束を」を読んだことなかったけど読んでみよう、って気にさせるっていう、そこまで持っていくのはすごいよね、それだけの魅力があるってことですね。
 ボカロ系とか、楽曲系もなかなか奥深いですね。皆さん、ずいぶん聴いてるんですね。

【I】調べてみて、また曲が出てきました。n-bunaさんの曲なんですけど、「セロ弾き群青」(『月を歩いている』に収録)という曲で、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」という作品から作った曲です。
 あと、私がとても好きなCDシリーズなんですけど、「I love you」(lasah氏がメイン)というタイトルのCDで、これは、日本近代文学で書かれたさまざまな愛が音楽化されたCDです。そんなに有名ではないですけど、全部、音楽でそれぞれの作品が音楽化されています。
 この中に太宰治の「斜陽」が出てきます。私がとても好きな音楽作品です。他にも例えば谷崎潤一郎「痴人の愛」とか川端康成「雪国」とか、結構出てきますので、皆さんもし興味があったらぜひ聴いてください。歌手の名前はlasah、歌い手として活動しています。2017年5月に発売された英語の歌のCDです。おすすめです。

【山口】「痴人の愛」とか入っているの?

【I】確認したところ、「春琴抄」でした。歌詞は英語です。英語の歌詞でも、けっこう日本文学の作品の様子が入っています。これらの作品の中の愛はどんな感じなのかが、音楽で表現されています。
 例えば「斜陽」。「斜陽」に根差した曲の中では、蛇とか虹とかが結構出ていましたので、「斜陽」らしさが出ていると思いました。夏目漱石の「こころ」も、この中のひとつのテーマになっています。

【山口】有名な作品をカバーしていますね。

【F】オマージュに関してですが、作者が明確にオマージュをしたと分かってほしい場合と、知識の中から無意識に作品へ染み出していた場合と、別の意図があるから全く関係ない場合とで混同してしまうことが個人的に不安で、オマージュにも様々な種類があると思っているので、明確な境界が無いからこそ、これってきっと関わりがあるよね、って安易に結びつけちゃうのは危ないのかなと思います。
 たとえばさっきの「走れ太宰」は、分かる人には伝わるものをとにかく詰め込んだって形ですよね。一方でヨルシカは、個人的な解釈ですが、直接的な引用もあるものの、おおよそは作品の持つ温度感をメインに音楽に起こしているような印象を受けました。何というか、無意識のうちにオマージュになってしまったっていうのを、誰かに後で指摘されて気づいたとか公言しているならいいですけど、本人がオマージュだと思っていない、あるいは言及していないにも関わらずオマージュだと決めつけられてしまうことへの問題点に関して、皆さんの意見が聞きたいなと思います。

【H】オマージュって本人が意図してなくて、オマージュって思われちゃう、ってのは良くない。読者、見る者の先入観から、純粋に楽しむ、それをそれとして楽しむということができなくて、これがあるから、これがあるんだって、フィルターがあって見るのと、フィルターなしで見るのとでは、見方が違ってくる。フィルターがあることによって楽しめるものはもちろんあると思うんですけど、本人がそれだって言ってないフィルターを、これじゃないかって勝手に見ちゃうと、楽しめない。ある意味、誤読になっちゃうのはどうなんだろうって、個人的には思います。

【山口】この問題は、いろいろな分野で、文学研究の世界でも出てくることで、本人は意識してなくても、影響を受けているかもしれないということは当然あるでしょう。影響っていうことなら、本人が自覚していないだけだとか、無意識に影響されたっていうのもあるでしょうが、ただ、オマージュっていうのは、作った本人が意識的に行うことですよね。だから、そこは、わりとはっきりさせることができるかなと思うんだけど。

【F】今のHさんのお話から、『少年ジャンプ+』に載っていた「フツーに聞いてくれ」(原作・藤本タツキ、マンガ・遠田おと、2022年)というマンガを思い出しました。主人公の男の子が同級生の女の子を好きで、動画サイトに載せた自作のラブソングで告白するんですけど、女の子の方は振るどころか他の人に動画を拡散してしまって。そうしたら何分何秒に幽霊の顔がとか、逆再生すると銃社会への批判になるらしいよとか、さまざまな意図していない出来事が不本意に曲にこじつけられて、いつの間にか全世界で話題になってしまうんです。そんななかで出した2曲目の題名が「フツーに聞いてくれ」で、最終的には、女の子が、悩んでいるというか落ち込んでしまっている男の子の横に座って、「一曲目も二曲目も 中学の時の美術ん授業でさ 私をデッサンしたときの事歌ってるでしょ キモっ」って言って、その子だけが自分の伝えたい気持ちを分かってくれていた、ってオチで終わるんですけど。
 この作品にインターネット上で大きな反響があったのは、人気マンガ家が原作だからという理由だけではなく、そういうことってあるよねと、実体験や問題意識の面で思い当たる人がそれなりにいたからではないかと思いました。

【山口】勝手に深読みっていうか、そういうのをして盛り上がっちゃうっていうものに対する批評ではあるんだけど、ただ、深読みというのもありがち、起りがちで、これはこれで人間や社会にまつわる普遍的な真実。
 恋人にはならないけど友達ではあり続けるという終わり方で、恋愛=深読みには付き合わないけど、フツーに友達どうしでいいじゃん、というオチが、深読み批評と連動しているという読み方も深読みかな(笑)。

【C】私は個人的には、作品として世に出て、著作権とかそういうのじゃなくて、作り手側と作品とで立場っていうか、いる場所が変わった、隔たった別の場所にあるから、作品を作品として見たときに、深読みするのはそれは個人の自由で勝手だと思ってます。
 でも、そこで作者の思考に無理やり繋げようとするのは、またちょっと違うと思う。
 ただ、やっぱり作品、小説とか楽曲とかいろんなものでも、作品は、作り手が伝えたいこととか書きたかったことと、全然違うふうに捉えられたとしても、それはその作品の特性の一つとして捉えられちゃうから、別にあってもいいことだとは思います。

【山口】それは本当に、受け取り側の自由っていうのはもちろん絶対的にあって、ただ、作者がそう意図したんだ、とかって言われると、それはおかしいよねってこと。受け取り方の自由っていうのはもちろんその通りなんで、それを作者に押し戻さなければ、っていうことですよね。
 でも、楽しむの自由って言うのは簡単だけど、やっぱり、自分だけで抱えていたら寂しいでしょ。それでやっぱり共有したくなるから、いろいろ理屈をつけ始めるんだよね。もともと作者も意図してたはず、だとかね。共有したくなる気持ち自体は、全否定できないところがあってね。

【D】楽曲と小説の話に戻っちゃうんですけど、それで、私が一番最初に浮かんだのが、YOASOBI。YOASOBIが作る楽曲って全部、物語があるって言われているんです。「アイドル」だったら、「推しの子」。「怪物」だったら「BEASTARS」。
 YOASOBIのコメント欄を見ると、すごく物語に合ったものが作られているって書かれていて、例えば「アイドル」だったら、確かに星野アイっていう、一人のアイドルの人生を歌にちゃんと落とし込んでるかなっていうのがわかるんです。
 あともう一つ話を聞いて思い出したのが、月詠みっていうグループがあるんですけど、その人たちが、1年前くらいに出した、「ヨダカ」っていう曲があって、それはもともとアニメ「BIRDIE WING-Golf Girl’s Story-」のエンティング主題歌として、作られた曲なんですけど、アニメの要素と、宮沢賢治のよだかの星と、月詠み自身が持っている物語を全部融合して作った曲らしいんです。私はその月詠みの物語しか知らなくて、私が共通テストを受けた時の国語の問題が「よだかの星」で、「よだかの星」は試験中に読んだ物語しか知らないんですけど、言われてみればわかるっていう部分がありました。
 「よだかの星」とアニメとユリイ・カノン(月詠みの主催)の全部知っている人が聞く聞き方と、どれかしか知らない人が聞く聞き方といろいろあるっていうのが、作者の手を離れた物語っていうのと共通しているのかなって思いました。

【山口】そうだよね。だからその3つが合流してるってことが、分かれば一番面白い奥深い理解ができるんだろうけど、でも、全部は知らないよっていう人がこれいいよねって聞いてて、そこに文句つけられるかっていうことですよね。楽曲でも小説でも、作る側からしたら、厚みというか奥行きというか、そのあたりを全部しっかりと理解してくれる享受者が理想的なんだろうけど、3つとも分かってなきゃ享受したことにならないよ、みたいな言い方になったらどうなのかな、っていうことですね。これは、ほんと、楽曲に限らず、さまざまな表現ジャンルに常につきまとう問題ですね。

【G】先ほどの話題に戻るんですけど、作品について、作者が意図していないけど、読者が勝手に解釈するということについて、確かに、噂の一人歩きみたいに、自分が作った作品に対して、勝手に偏見というか解釈をつけられるというのは、変な感じというか、作者からしたら嫌な感じとかもするかもしれない。
 逆に、何となく書いてみた、何となく作ってみた作品、なんだかよく分かんないけど作った作品を、読者が第三者目線で、こういう意図なんじゃないかっていう風に分析してくれて、そういうことだったんだって思える、手助けにもなる場合もあるんじゃないかな。自分が潜在的にはこういう風に思っていたんだな、それでこの作品を作ったんだな、みたいなそういう風に作者が考えるきっかけとか、そういったヒントにもなるという一面もあるのかなって。勝手にあれこれ言われていても、そういう一面、作者を助ける一面もあるのかなって思いました。

【山口】それは確かにありそうですよね。特に、歌詞とかは基本的に隙間が多いので、そこをうまく埋めてくれる聴き手がいたら、作った側としては嬉しいっていう、そうだったのか、みたいなのは、ないことはないと思いますけどね。
 これは、小説なんかでもやっぱり出てくるんじゃないかな。作った側が嬉しくなるような解釈っていうか、自分が意図したことをドンピシャで分かってくれたっていうのではなく、自分が意図した以上の解釈をしてくれるとか、そういう話もありますからね。
 ちょっとジャンルが違うけど、演劇なんかではずっと、シェイクスピアの「ハムレット」でも何でもいいけど、あれだけずっと繰り返し上演されていて、決定版の解釈が出ちゃったらそこで十分って感じがするんだけど、いろいろちょっと細部変えたりしながらっていうのは、なんか新しい要素が付け加え得るとかっていうこともあるので、ちょっと話違うかもしれないけど、ずっと読まれたり、繰り返し上演されたりとかっていうのは、何かそういうものを持っているのかなっていうね。
 だから、勝手な解釈か、むしろ豊かにする解釈か、っていうのは、そのへんが綺麗に線引きできないところが、やっぱり面白いっていう風に言ってもいいのかもしれない。

【A】さっきのマンガやゲームにされる文豪みたいな感じで、曲にされる文豪って誰かなって考えたんですけど、宮沢賢治と太宰治が強いなと思って、共通点とか考えてみると、太宰は自殺っていうか、そういう暗いものが多くて、宮沢賢治も死を明るく書いて、転生とかもありますけど、いちおう一回は若くして死んでますし、死に関連付く作家が曲になりやすいのかなと思いました。
 若者の曲に死が関わるのって、すごい不思議な感じが個人的にします。明るい曲じゃなくて、死に関係する人が流行っている傾向があると思います。
他の文豪でも、他にもそのような楽曲とか、あったら教えてほしいです。

【山口】死がテーマになる、特に若い人に反応があるってのは、分かる気はするんだけどね。
 どうですか、宮沢賢治と太宰は多いとして、他に楽曲に取り上げられやすいのはどんな作家でしょうか? 芥川はあんまりないですか?

【C】オムハヤシさんの「羅生門(Rasyoumon)」があったような……。他にも、「蜘蛛の糸」だと西沢さんPの「インナーダーク」があります。

【A】芥川の人生、作家の方に焦点を当てた作品として、こんにちは谷田さん(キタニタツヤ)の「芥の部屋は錆色に沈む」は、芥川の匂わせがあると思います。

【G】多いとは言えないんですけど、カフカの「変身」がn-bunaさんで、「始発とカフカ」かな、あと、てにをはさんのザムザで、カフカの「変身」から来てるって聞きました。

【E】私は聞いたことないんですが、江戸川乱歩の「人間椅子」からバンド名を取ったハードロックバンドがあって、「陰獣」とか乱歩の作品名にちなんだ曲をいくつも出しているって、話を聞いたことがあります。
 あとは、梶井基次郎の「檸檬」も「文学少女インセイン」に出てた気がします。もっとも、「文学少女インセイン」は、確か、いろんな文豪の作品が入っていたはずですが。
 乱歩、梶井は結構ある印象があります。

【H】今、江戸川乱歩の話を聞いて、やはり宮沢賢治、太宰治。江戸川乱歩も結構調べてみたら、名前が使われていたり、作品が使われていたり、作品として、新しいマンガとして生み出されていくものの一つになっていたり……。
 関連しているのは、「乱歩奇譚 Game of Laplace」(らんぽきたん ゲーム・オブ・ラプラス)、「TRICKSTER―江戸川乱歩「少年探偵団」より」ってアニメだったり、小説だったりとか、江戸川乱歩をモチーフにしたマンガだったりとかで使いやすいっていうか。
 共通点として、死っていうのに関係ない、死って、うーん……、作品からは確かに死、でも本人の死が私には見つからなくて。暗いっていうイメージで当てはめちゃうと、ちょっと違う気もするし。暗いっていう曖昧な言葉でしかくくれないのかなっていう気が。でも、乱歩を一緒にくくれるとしたらそうなるかなっていう気が。
 作品でも曲でも、小説、マンガでも乱歩が結構多いと思うので、ゲームでも。これを考えると三人、もう一人増やしてもいいのかなと思いました。

【山口】賢治に太宰、そして乱歩ですか。Eさんからは梶井も挙がったね。
梶井基次郎は夭折したけど、乱歩ご本人は長生きしてたくさん作品残しました。
 ただ、初期こそ、本格もの、謎解きを書いてたけど、途中からいわゆる変格もの、異常な事件っていうか人がいっぱい死ぬ、人間心理の闇じゃないですけど、そんな感じのものが増えたから、いろんなものを象徴させやすいのかな。それで、楽曲などにも引かれる、と。

【F】曲で死を匂わせることについては、人間ではなく機械であるボーカロイドを用いるとき、あるいはボカロ音楽出身のアーティストがあえてボーカロイドを用いず人に歌わせるとき、それぞれで付加的な意味が生まれるような気がしました。
 それと、文豪は結構ロック系の音楽とも縁があるなと思っていて。バンド名や曲名に大宰や乱歩の退廃的な作品の名前を取り入れるケースも時折見かけますが、人間そのものや生活のそういう部分を押し出して作品を作るという点で、当時の文豪たちの作品は音楽文化にも共鳴するところがあるのかなと思いました。

【山口】文学作品と音楽文化との共鳴、特にボカロ系の楽曲との共鳴というのは興味深い切り口ですね。
 ボカロ系の話題、楽曲のタイトルもたくさん挙がり、実にたっぷり膨らみましたね。
 ボカロの無機質なドライな歌い方と、かなりハードなロック調の場合も多いサウンドと、暗めの文学作品との組み合わせ、というのは私なんかの世代からするとかなり新鮮というか不思議な組み合わせとも言えるのですが、そういうところが、若い人たちの文学への入口、あるいは文学との接点になっているということが見えて来ました。

コンテンツ・ツーリズム

【山口】あと、予告していたコンテンツ・ツーリズムの話ですけど、「聖地巡礼」みたいなことは、皆さん結構します? Cさんなんかは、どういうところへ行きましたか?

【C】まだちゃんとは行ってないんですけど、田端文士村記念館に行きたいというのがあります。
 あと、私が住んでるところが埼玉県で、さいたま文学館がすぐ近くにあって、そこでわりといろんな資料を見たりとかもできるから、何回か行ったことがあったりします。
 それから栃木に行った時、前のことだから誰の作品か忘れちゃったんですけど、その作品の一節が刻まれている石碑を見たりとか、そういう旅行に行った先で、何かしらゆかりの人がいたら、絶対行くようにしたりしてます。

【山口】田端文士村、あそこは今度行ってくださいって感じですね、田端駅からもそんなに遠くないし。
 あそこはちょっと前に大学院生たちと歩いたことがあって、芥川龍之介の家があったところに記念館を作ろうとやってますね。新型コロナでだいぶ予定が狂って先送りになってますけど、芥川の記念館ができたら、あのあたりはさらに「聖地」として整備されることになりそうですね。
 もともと今日、参加するつもりだった4年生で、就職内定先のイヴェントが入ってしまって来られなくなった学生がいるのですが、その彼女がちょっと面白いことを言っていました。
 島崎藤村「破戒」で卒論を書いていて、藤村っていうと《小諸(こもろ)なる古城のほとり》で始まる「千曲川(ちくまがわ)旅情の歌」という有名な詩がありますが、「文アル」のキャラになっていますよね。その学生が小諸で行われた藤村関係のイヴェントに行ったら、若い女性たちがみんななんか同じような格好をしていて、自分がちょっと場違いだったってね。これがいわゆる聖地巡礼ってやつかって認識したって言っていました。
 参加者はもうちょっと年配の人が多いのかなと思ったら、説明してくれる人は地元の年配の人だったんだけども、参加者に年配の人はほとんどいなくて、そういう若い人ばかりで、その学生はいろんなことに驚いてたんですが、やっぱり、いま若い人がそういうのに行くんですよね。
 お金を落としてもらうっていうコンテンツ・ツーリズムって捉え方。やっぱり、地方の地域おこし・地域活性化って話と切り離せないので、どうやってお客さんに来てもらうかっていうときに、藤村なら藤村と、作家なり有名人なりの名前で呼び寄せて、それで、来てよかったって思わせなきゃいけないので、そういう仕掛けをどう作るかそういう話ですよね。そこに、地域の文学館と「文アル」とのコラボみたいなことも頻繁に行なわれる。
 Cさんも言っていたけれど、その土地に関係ある作家がいたら、碑なりを見に行くなんてのは、学校の遠足なんかも含め、昔からありますよね。例えば、松尾芭蕉。芭蕉の碑なんてどこへ行ってもあるって感じだけど、古くからそういう碑を立てて人に来てもらうっていう発想はあったわけですね。
や っぱり聖地巡礼みたいなことは皆さんも、多かれ少なかれするんじゃないかと思うんだけど、その一番の楽しみって何だろう。いろんな要素があると思うけど、Bさんなんかはどうですか。

【B】この夏の8月の19日に中野重治の死を悼む会(第44回くちなし忌)があるので、福井まで行ってきます。

【山口】あ、そうですか。福井のあそこだよね。

【B】丸岡町の。

【山口】そう、平成の大合併で丸岡町っていう自治体自体はなくなっちゃったけど、旧・丸岡町(現・坂井市丸岡)のとこね。
 私も、以前一度、福井市から三国・東尋坊にかけて地元の文学研究者にあちこち案内してもらったときに、中野重治関連で丸岡へも行きました。丸岡図書館の中野重治コーナーはもちろん、中野家の屋敷があったところとか、そのそばの屋敷墓形式の中野家一族のお墓があるところとか、ね。現地に足を運んだことで中野重治が、まずまず豊かな家の子だったってこととか、何て言うか具体的な風景の中で空間的に理解できました。
 まあやっぱり、関心のある人がここで育ったというところに行きたいという、そういう好奇心、そういう欲求自体は、ごく自然だと思うんだけど、Hさんも、織田作で卒論を書いているから、大阪行ったんでしょ。

【H】大阪は2回行って、1回目は、自由軒のカレーを食べに行ったりとかして、このあいだの2回目は、図書館(大阪府立中之島図書館)であったりとか、織田作が眠っているお墓(楞厳寺 りょうごんじ)に行ったりとか、住んでいた地域とかを、歩いたりみたいなこともしました。
 織田作以外にも、例えば京都だと、谷崎潤一郎のお墓に行ったり、その近辺を歩いたり、あと森鷗外の記念館(文京区)とか。
 旅行に行ったら記念館に行くようにするのと、織田作に関しては好きなので、やっぱりカレー。あと、夫婦善哉のお店に行って、「写真撮っていいですか」って言うと、「好きなんですか? いっぱい来られるんですよ、これもこれも」って、いっぱい見せてくれたりするので、そういうのも、また行こうかな、次に大阪に行ったらまた行こうかな、という気持ちにさせてくれる。
 「文スト」「文アル」とか、アニメをやっている期間、文学館とかとコラボしていたりすると、そこに行くとキャラクターのスタンプがもらえる、チケットがもらえる、ラッピング電車が見られる、そこの限定のスタンプ、キャラクターのボードが見られる、そうなったら、また行ってみようかなというので、行くきっかけになることもある。
 高校1年生くらいの時にNHKで「文スト」のコンテンツ・ツーリズムが特集で取り上げられていたりしましたが、そこらへんはアニメと文学館というか、地域が連携して来させようという、そういう協力というか、タッグというのもあるのかなと思いました。
【山口】うん、コラボ、タッグ、ね。
 あと、スタンプラリー方式というのも、どうですか? 皆さん、わりとそういうのに乗っかっちゃう? 全部揃えたら何かもらえるとか。コンプリート欲みたいなの喚起されつつ、ってのに。

【F】スタンプラリーとか、グッズが欲しいとか、写真を撮りに行きたいとか、自分が欲しいもののためにお金を払うっていうふるさと納税みたいな聖地巡礼も多いと思うんですけど、作品自体はもう終わっていて、コラボも特にしていないとか、そういうときに聖地巡礼に行くのはまた違う意味を持つのかなと思いました。
 推しがいる人なら、ある程度わかってもらえるかなと思うんですけど、自分が楽しませてもらった分、何かしらで恩返ししたいという欲が湧いてくることもあって。どちらかといえば、還元したいという気持ちが先立つ場合もあるのかなっていう。
 文豪のように相手がもう亡くなってしまっているとか、作品がもう完結してしまっていてという場合に、じゃあどこにその気持ちをぶつけられるかというと、その文豪や作品を愛してくれて文学館として残そうとしているとか、かつて流行ったアニメの聖地を守り続けるためにも地域を再び盛り上げようとしているとか、そういう思いで好きなものへ携わってくれている方たちだと思うので、そこが聖地巡礼にも繋がっていくのかなと。
 あとは、友達と旅行に行くのはこのメンツならどこに行っても楽しいよねっていうのがあるのに対して、好きな作品に触れることだけを目的として旅をすることの醍醐味もあると思います。その作品のためだけに、自分がお金をかけて旅行をするとか苦労して足を運ぶことによって、他の旅行では得られない特別感が味わえるのも理由の一つだと思いました。

【山口】なるほど。特別感ってある種の贅沢ってことかな。コスパなんかとは対極の、目的を絞り込んでいる贅沢さっていうか。

【F】期間限定のコラボをやっていないような時期や場所であっても、ちょうどいま時間があるから還元のお手伝いがてら行ってみるかとその場所まで赴く人がいるのは、やっぱり聖地巡礼特有の考え方があってこそなのかなと思います。

【山口】う~む、恩返し、還元。推し活っていう行動類型が、聖地巡礼と接続しているわけですね。これは興味深いですね。

【E】私も聖地巡礼を結構するんですけど、皆さんと一緒で、旅行先で関係のある文豪がいたらそこに行くみたいな、皆さんが言った通りの楽しみ方もするんですけど、私の一つの楽しみとして、文学館に行くと、その地に関係がある作品のパネルがだいたい飾られてあって、文豪の書いた作品の文章のパネルがあって、ここがこの場面で表されてるなっていう説明がすごく分かりやすく書いてあって、そう書かれると、ここ行ったしちょっと読んでみたいなっていうふうに思ったりします。
 私なんかは最初から文豪が好きっていうわけじゃなくて、マンガから入った人なので、もっと知りたい、これがここに出てきたから、もっと読んでみたいひとつのきっかけというか、出会いっていうのが、聖地巡礼の楽しみ方であって、作品を読む一つのきっかけっていう、出会いのきっかけみたいな感じの楽しみ方をしているなっていう風に思いました。

【山口】聖地巡礼して文学館とかで説明を読んでると、これ読みたいなっていう形でさらに読むきっかけになるってことですよね。それはやっぱり、あえてそこまで行ったから、実地に足を運んだからこそっていうところがありますよね。
 ブックガイドみたいなのは世の中にいくらでも存在するから、本当は行かなくても出会いそうなもんだけど、それとはまた違うんだよね。

【E】いきなり自分で調べて、いきなり読んでみようっていうよりは、少し文章とか見せられて、言葉に強く惹かれることがあるので、少し中身を知れるっていうことが一番魅力的だなと。

【山口】だから、そういう読むきっかけみたいなものが、どういう手続きを経て与えられるかっていうのも、大事ですよね。

【G】聖地巡礼について、私は、あまり積極的にしたいというわけではないんですけど、私は千葉県出身で、南房総のほうに鵜原(うばら)っていう海水浴場とかがあって、三島由紀夫が幼少期のときに旅行したところとかになっていて、それで三島由紀夫が卒業論文の研究対象だから行ってみようって思って、この夏行ったんです。
 今はもう三島由紀夫は亡くなっていて、鵜原海水浴場とか、鵜原理想郷とか、たしか作品の舞台にもなっていて、そういう関係もあって行ってみたんですけど、なんか三島が過去に見た景色を見てみたい、作品の世界にちょっと入り込んでみたい、溶け込んでみたい、同一感じゃないんですけど、そういう意図だったなっていうふうに振り返ってみて思っています。作品と自分は関係ないけど、少しでも近づきたいみたいなそういう心理です。
 聖地巡礼というか、舞台になった作者関係、文豪関係の地に行って、少しでもお近付きになりたいな、そういう心理が働いています。登場人物にはなれないけど、少しでも作品の中に参与したいなみたいなそういう気持ちがあります。

【山口】鵜原は、三島の「岬にての物語」の舞台になった南房総の先っぽのほうだよね。
 で、Gさんの場合、作品の舞台になったところを知りたいっていう、追体験というか、それで具体的な場所に行くということですよね。もちろん、いわゆる聖地巡礼的な要素もないわけじゃないけど、作品を知りたい、あるいは作家を知りたいという、ストレートな関心ということですよね。

【J】私は聖地巡礼に全く行かないんですけど、今のGさんの話にちょっと近いのかなと思ったのが、友達とかを見ていて、最近の流行りの言葉で「解像度が上がる」って言葉があるかと思うんですけど、そういうことに近いのかな、その場所に行って、登場人物が何をしたとかいうのを肌で感じて、それを自分の理解に持っていくみたいなことが、聖地巡礼の一つの醍醐味みたいになっているのかな、っていうのを話し聞きながら少し思いました。

【山口】「解像度が上がる」って言い回し、最近よく聞くよね。Gさん、そういう感じですか?

【G】より深く作品に入り込みたいというか、読むだけじゃなくて、体ごと入り込みたいという心理に近いです。

【山口】だからなんとなく、作品をより深く理解するためにっていうのは、わりと私にも分かりやすくて、いろいろ注釈つけていくのと一緒で、土地が描かれていたんだったら、その土地に行ったらいろいろ分かるだろうっていう、単純と言えば単純、素朴と言えば素朴だけど、分かりやすい基礎的な作業かなとは思うんですよね。
 Jさんは、聖地巡礼、行かないんだ。

【J】いま皆さんの話を聞いて、なんで聖地巡礼に行くんだろうっていうのをすごい考えてて、そういう理由があって行くのかみたいなことを、自分の中で納得してたんですけど、私はあまり興味がないんです。
 普通旅行とか楽しいですけど、お寺とか行くの。そこの人物がどうで、とかいうのはそんなに考えてないなって思って、でも皆さんの話を聞いて、なるほどなってすごい勉強になります。面白いです。

【山口】だから、やっぱり旅行(ツーリズム)って一口に言っても、いろいろですよね。なぜそこに行くのか、なぜその選択をするのかっていう理由付けもさまざまあって、その意味では聖地巡礼っていうのは大変興味深い旅行のあり方の一つだけど、と言ってもやはりいろいろある中の一つに過ぎないといえば過ぎないかもしれません。

★ ★ ★ ★

【山口】さてさて、このワークショップも、休憩入れたとは言え、始まって4時間近くになりました。この部屋はまだ18時まで使えますが、そろそろにしましょうか。
 皆さんからいろんな話が出て、とても楽しく、またいろいろ勉強になりました。たいへん充実した時間が過ごせたと思います。
お互いの話がとても噛み合っていて、若い皆さんの中で、楽曲とかも含めて、共有できてるものが多いんだなってことも伝わりました。昨年に引き続き2度目の参加という学生が約半数で、その人たちがしっかりリードしてくれました。初めての人たち、特に1年生の3名も、変に遠慮せず非常に熱心に語ってくれて、とても良かったと思います。皆さん、どうもお疲れさまでした。
 来年もやりたいと思いますので、在学している人はぜひともご参加ください。本日は、皆さん、ありがとうございました。(了)

【参考略年表】
1983年、1999~2005年 参加学生の誕生年
2013年1月  マンガ「文豪ストレイドッグス」『ヤングエース』(KADOKAWA)に連載開始
 2016年4月 テレビアニメ放送開始
 2017年12月 最初の舞台公演
 2018年3月 劇場アニメ
2015年1月 ゲーム「刀剣乱舞」発売
2016年11月 ゲーム「文豪とアルケミスト」発売
 2019年2月 最初の舞台公演
 2020年4月 テレビアニメ放送開始
2019年10月  マンガ「異世界失格」『やわらかスピリッツ』(小学館、無料ウェブマンガサイト)に連載開始
 2022年7月 テレビアニメ化を発表


*不許複製

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