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残念な愛くるしい奴

「タイタンの妖女」というSF小説を読みました。

一読目ではなかなか理解の苦しい部分もありましたが、シニカルかつウィットに富んだという言葉が帯に書いてありそうなそんな作品でした。

なんといっても主軸になる登場人物、特に主人公はわりと残念な奴なんです(笑)
とにかく運が強い家系に生まれ、この主人公でその運が消えてしまいます。この方は庶民では想像しきれないほどの財産を1日で失うというある種の才能すら感じるこの所業🧐

地球から始まり、地球で使いきったであろう運を他の惑星では運のストックがあるのではないかと言うように他の惑星に飛んでいきます。
主人公はいろんな惑星を飛びながら、あらゆるアクシデントに合いながら長い時間をかけて自分の道は自分で開くという概念に行き着く運命をたどって生きます😶

主観と俯瞰では見えるものが違いますよね。
メタ認知という言葉も少し前に流行りました。
俯瞰で見ると問題の中にいるが、主観で見ると問題は外にある。

この物語では端からみると滑稽な人たちが出てきます。でも自分はさて滑稽でないのかと考えると主観は常に付きまとい適正な評価はできないのではと思います。
私が今こうして指でちょっかいを出してる相手も私を見つめるだけで、向き合ってはくれません。
(いろんなアプローチで構って欲しそうにはしますけどね😡)

それらを踏まえて。
ここから作者の作品に対して翻訳者が作者の印象を書いています。私はこのあとがきにとても共感しました。
その為、このあとがきを引用(文を簡潔にまとめる為一部省略あり)したく思います。

とても話上手なおじさんは、この世界で人間たちのやらかしているバカな行いに、腹が立って、悲しくてはならないけれども、それでいて、そんな人間たちが大好きなのです。

タイタンの妖女 あとがき

おじさんは、この不完全な世界をもっとマシなものにしたいとも思っています____
頭ごなしに説教したり、ただ真実を伝えることは時に酷いことでもある。

タイタンの妖女 あとがき

おじさんが何かを信じるとすればそれは笑いの効力です。
バカな人間の行いを時には誇張したり、時にはいたわりながらその笑いを通じて束の間でもいい。
人間の通しのつながり、思いやりを感じてほしい

タイタンの妖女 あとがき

滑稽なことは痛い(イタい)真実なことが多いです。
向けられた刃を受け入れるなんてことはできません。
だからこそ、誰かの力を借りたいと思うのかもしれません。
せめて、この痛みを分かち合える人がいれば。
そんな痛みを笑いあって辛い過去から思い出に変えてくれれば。
そうやって共に向き合ってくれる人がいれば、刃に一歩近づける。
受け入れて見るとその刃は次は自分の武器になる。
そうして人は強くなるのかもしれません。


ただ、やはりセンスってあると思うんです。
使いこなすセンスですよね。
現に私が使いこなすのはこの一本。
鋭利なバターナイフです🧈


面のゆりかご


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