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事故紹介!~自己紹介ってどういうこと?~

 はじめましてこんにちは!
 日恵です!

 最近Twitterを始めたので、自己紹介をnoteに書いて見ることにしました!
改めてこういう場で「私です!!!」みたいに書くの、なんか気恥ずかしいですね笑
 あんまりこういうこと書かないので緊張しますが、みなさんとお知り合いになりたいので、頑張ります!!!

…………ってね、意気込んでみたはいいんだけどさ、うん。
 そう、私、ふと思っちゃったんだけど……自己紹介って、できなくない????
 だってさ、「私」って使っただけで「あれ??? 私って何???」ってなっちゃうじゃん! あれ? ならない?? 私はなる!!!

 例えばさ、「私は大学生です」「哲学の勉強してます」「読書が趣味です」「音楽もよく聞きます」「カレーが好きです」「ヒマラヤに似てるとよく言われます」「出身地はインスマスです」とかなんとか並べてみたところでさ、それを見返してみて「これが私なんだ」なんてならないもん!

 おなじようにさ、「おっちょこちょいです」「慌て者です」「誤字脱字多すぎます」「ねぼすけです」「子供っぽいです」「アメリカザリガニみたいに生きてます」とか言ったってさ、「おっちょこちょいってなに???」とか「アメリカザリガニ???」って、なるじゃん! ならない? なんていうかさ、社会的なカテゴリもさ、性格もさ、ケースバイケースなわけで、データとしてはそうかもしれないけどさ、ぜんっぜん「私」=「自己」なんかじゃないんだよね!

 そもそも、「私は優しいです」って私が書いたとして、その「優しい」って言葉はどういう意味になるの?「優しい」という言葉一つ取っても人によってその捉え方は変わってさ、「優しいなんて素敵!」とか「優しいなんて自分で言うのは嫌な奴だ」とか「優しさだけじゃ人は愛せないから」とかさ、言われちゃうんだよ!?

 と、いうことは、「大学生」とか「おっちょこちょい」とか「アメリカザリガニみたい」っていうのも、人によってもう「意味そのものが違う」ってことじゃん! 私が「私はこういう者です。以後よろしく。ジョー・ブラックによろしく」とか言ったところでさ、「私」は人の数だけ──それこそ、無限に──引き裂かれちゃうだけで……あれ? そうだとすると、「私」の「私」なんて、絶対紹介できっこないじゃん!! 認識の齟齬で繋がる「事故紹介」にしかならないってこと!?! トラフィックアクシデントってやつ!!??

 言葉の解釈の違いは、「人の産まれや育ちや環境=文化的背景=コンテクスト」によって培われて、それが「言葉の解釈=言説=ディスクール」として表出する──極端に言えば、アメリカ人の「ハイ」は挨拶で、日本人の「はい」は返答になる、みたいな──から、そういう説明はね、まったく意味がないわけじゃない。共通認識のためにはさ、必要なんだよね。でも、上記みたいにそれが意図通りに伝わることはほとんどない! というか、私は「私の自己紹介」に、そもそも何を意図しているのか、それだってわかんないんだから!

 自己紹介云々は置いといてもさ、「言葉」っていうのは、それだけ不安定で揺らぎのあるものなんだ。聖書には「始めに言葉ありき。言葉は神なり。神は言葉なり」なんてフレーズがあるけど、もうこれはさ、言葉っていうのがさ、人によってさ、いかようにも捉えられる、「言葉の絶対的な非‐絶対性の宣言」だよね!
 キリスト教的な神って、「万能であるが、万能だからこそ非‐万能ではなく、非‐万能ではないからこそ万能ではない」っていうさ、あれじゃん!
 言葉もそうで、社会的な信用はあるけど、その解釈は無限で、無限だからこそ伝わらない可能性をいつだって孕んじゃってるんだ!!!! いちいち相手の解釈を確認する手間をかけるわけにはいかないし(そんなことするなら、尚更「言葉」っていう「コード」を用いてる理由がわかんなくなっちゃう! 数学には、なんのために公式があるっていうのさ!)、それなら「自己紹介」ってもう常に「事故」を覚悟しなきゃできないじゃん!!!!

 それなのに、「自己紹介」なんてできる???
 したい??????
 私は、やだ!!!!!!!

 だってさ、関係性を築くための「自己紹介」なのにさ、自分の意図しない偏見なんて、持たれたくないじゃん!!! 相手にも持ちたくないよそんなの!
 知り合うきっかけとしては必要なのかもしれないけどさ、それでも人って話したりして見るとさ、「学歴」とか「仕事」とか「持病」とかさ、そういう物のイマージュから全然違う人だっているでしょ??? それを「ギャップ萌え」とか「こういう人だとは思わなかった」とかなんとかって振り返ったりするんだけど、「ギャップ萌え」なんていらないんだよね! それって「私は偏見を持っていました」っていうただの宣言なんだから! で、そういうのを生むのが「言葉=コード」じゃんか!!!
 言葉には、偏見や差別を産んじゃう可能性が、常に横たわっている!!!

 だからね、私は自己紹介なんてできないし、されなくてもいい。名前だって自然に会話から出てくればいいんじゃないかな? 出てこなくてもいいし、って思ってます。
「自己紹介」が原因で事故るのなら、なんか適当におしゃべりしてる中で私を見つけてほしいし、あなたを発見したい。みたいに、そう思ってます。言っちゃえば、言葉の意味する所なんかよりも、その言葉を発するタイミングとか、仕草とか、癖とか、そういう所──「文脈」にこそ、「自己=その人」っていうのは、立ち現れるんじゃないかなあ……なんて、思うから。

 うわー!!!
 絶対「めんどくさそうなヤツ」って思われてそう!!!!
 だけど、実際そうなので、それでもよろしければ、これからもよろしくお願いします!!!!!!!!

 以上、日恵の「事故紹介」でした!!!!!!

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