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病めるときも健やかなるときも友人でいいられる人といられない人 ー 立ち去る勇気



人間関係には誠実さというものが求められる

目立った華やかさがなくとも、誠実な人の魅力は歳月を重ねるごとにじわりじわりとこちらの心に浸透していって、いつしか、大切にしたい友人になっている。共に過ごした歳月が信頼となり、絆となる。


比して、
華やかで魅力的な人がいる。多くの人々がその華やかさに魅せられて、花に集う蝶のように、その人のそばに寄っていく。
そういう人は人気があるから忙しい。
忙しいから、対1の関係でも急ぎ足でまともな会話もできないことが往々にしてある。
相手は、自分は人気者だけどアンタの相手してやってんだからワタシにアンタがあわせなさい、みたいな上から目線の態度をとってくることがある。
歳月を重ねるごとにこちらの心は疲弊していく。
共に過ごした歳月が憎しみとなり、苦い別れとなる。


どちらのほうが自分にとって豊かな関係性かはあきらかである。


美しい花にはとげがある

そんな言葉が思い浮かぶ。

はたして、そのとげに刺されながら付き合えるほどわたしは頑丈であろうか?
それされるといやです。不快ですと伝えると、
アンタは情緒不安定で、自己信頼のない、混乱した人だ!
だいじょうぶ?問題抱えてんじゃない?
とまるで諸悪の根源がこちらかのように問題をすり替えてくる。

情緒不安定でもなければ、問題を抱えてもいない。

こうやってマウントとらなければ維持できないほどのうすっぺらいプライドで自分をようやっと保っている相手を前に、

はて、

いかがなものだろうか?

自問自答する


これ以上、この人とかかわっていても一方的な押し付けで「情緒不安定な人」というレッテルを貼られ、人格否定をされ続けるだろう。


そして、

彼女は私という友人をうしなった。
それでも彼女は傷つかないだろう。だって、もともと、友人ではなくて都合のよい子分がほしかっただけだろうから。



そしてまた、花によってっくる蝶の一匹を捕まえればいいだけで、取り換え要員はいくらでもいるとでも思っているのだろう。


彼女が失ったものは、
人と対等な立場でコミュニケーションをとり、安心して自分の心をさらけ出すことで得られる長きにわたる熟せいした人間関係だ。

彼女が失ったものは、信頼関係の構築という時間のかかるプロセス。
そのプロセスの先で出会う安全な人間関係だ。
そのような信頼関係は一朝一夕には作られない。


どっちがいい、悪いの話ではない。


でも、信頼できる友人がひとりふたりいたほうが心の安定にはいいように思う。


美しい花もいつかは散る

だから、いつでも、変わらずに誠実な態度で接してくれる友人のひとりふたりとの信頼関係を築く努力をするのも人生の損にはならないと思う。
肩よせあって、傷がいたむときはそっと撫でてくれて、そばにいてくれようとする、そんな人。


そして、わたしはきょう自分に言ってあげよう。

とげを握らせてもなんとも思わない人は友達ではない。
そんな人は人間でもない。
脱価値化。そんな人を自分の人生にいれる必要はない。
傷ついた人の傷の上にさらに塩をぬるような人を友達と呼ぶ必要はない。


だから、立ち去る勇気を大事にしたい。









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