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日記 2024/06/06


 今日は平凡な1日だった。特に何も起こらず、平坦で変わり映えない1日だった。頭に何も思い浮かばず、ぼうっとしているとなんだか自分が透明になってゆくような気がした。
 夕方、なんとなく小説の冒頭を書いていた。事前に構想していたものを書いたわけではなく、ただ文章を書くということ目的にした即興的なものだった。でも全くの無から言葉を出すと、その偶然性に誘われて思いもよらない不思議な世界へと文章が引っ張られてゆく奇妙な快感があると思った。それにスマートフォンのメモ機能に小説を書くのは大学生のとき以来だと思った。小説は下記のようなもの。



 一頭の鹿が数十メートル先を通り過ぎて行った。はじめはおそるおそるこちらを伺うような足取りで。途中から逃げ出すようなすばやさで。まるでそこが自分たちの暮らす慣れ親しんだ土地ではなく、むしろ彼が意図せず忍び込んでしまったかのような、それは慎重さとあわただしさだった。その姿を見て、わたしは自分がこの森のなかへ、異物として足を踏み入れたのだと悟った。
 身体が馴染んでいない、とわたしは歩みを止めて思った。この森とわたしでは輪郭を異にしている。生い茂る樹木のランダムな列を縫うようにして走るけもの道はまるで血管のようだ。毛細血管のようにけもの道は森中に張り巡らされ、そこをさまざまな動物達が行き来している。それはきっとある種の循環だ。だとすればわたしはそこに偶然入り込んだウィルスのようなものなのかもしれなかった。
 キィー、ホロロロローー。
 鳥の声がどこからともなく聴こえてくる。それに反応するかのように風が吹き、木々が、枝々が、葉々が、揺れ、ざわめく。それを言語のようだとわたしは思う。足下、一枚の穴の空いた枯葉が震えながら飛びたち、土の上を転がりながらどこかへ向かってゆく。誰かに何かを伝えに行くメッセンジャーのようだ。手紙がそのまま走ってゆく。
 鳥が鳴くと、森が鳴いた、と直感する。虫が耳のそばをすり抜けて花弁に停ると、シナプスが電気信号を伝達しているというイメージが頭に浮かぶ。この森は一個の有機的な生物なのか、とわたしはおそろしく思った。

 *

 市街地から北へ向かって車を走らせて二十キロほど行ったところに、その看板は立っていた。それは事前に画像で見ていたよりもずっとちいさく、ずっと干からびているように見えた。ポスター程の大きさのその看板には赤い文字で「立入禁止区域」と記されていて、その奥にはひどくたるんだ黄色い虎ロープが張られていた。わたしは側縁体に車を停めると、そのロープを跨いで森の中へと足を踏み入れた。

 嶋本という男からメッセージが来たのは二週間前のことだった。正確にはそれは男かもわからないのだったが。

 今日で日記を書き始めて一週間。意外と続くものだと思う。やはりあまり気張ってちゃんとしたものを書こうとしないということが継続するという意味では大切なのだと思う。そう言えば、絵についても少し描けていない。アクリルガッシュを始めて4ヶ月のこの辺りで、自分が時間をかけて真剣に描いたらどれくらいのものを描けるのだろうと試してみたくなったのだけれど、そう思った途端、手が止まってしまった。やはりいい加減でもとにかく続けてゆくことだろうと思う。

終わり。

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