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瞳の錆 |掌編

「夜風が厳しくなってきましたね」

 盲目の彼女の肌に落ちた街灯の水たまり。それの静かに揺蕩う光景に、不思議と意識は吸い込まれていった。

「そうだね…」

 やがて一直線に並んでいた街灯の明りは途切れた。展望台へと続く山道が暗闇に潜んでいた。そこからはより寒く感じられた。

 

 僕らの足音は風に揺れる葉音に掻き消されていた。僕は落ち着かなかった。絶えず囁かれているようだった。

「お前はお前じゃない」と。

 森を抜けた。

 静寂の展望台が星空に黒く浮かんでいる。

 彼女の血の気の薄い肌色が紺碧の空に染められている。星がその中を穏やかに流れている。ふと顔を上げる。その拍子に細い風が頬を滑る。掌の中で彼女の手の暖かさが際立つ。

 木の階段を上った。上にはただ柵があるのみだった。そこから街を一望する。平野がその周りに広がっている。雲一つない星空がその風景に蓋をしている。

「星は輝いていますか?」

「うん。輝いているよ」

「そうですか…」

 無言のうちにも星の輝きは微かに揺らめいている。その揺らめきが、ある一つの巨大な天体の輝きによるものなのだと思うと、僕らはただ、空に浮かんだ小さな星にすぎないと、そう思えてしまう。

 その輝きは果たして誰かの目に届くのだろうか。

―— 見えていませんよ。

 どんな星空が見えているのと、僕がそう聞くと、彼女はそう静かに答えた。

―— ただ、真っ暗闇ではないのです。

 僕は眼を閉じる。見たこともない天の川を想像する。それは微かな音を立てて流れる清い小さな川のように、想像の視界を下っていく。その中を僕という粒子が流れていく。

 それはやがて見えなくなる。

 それとともに僕の眼が開く。

 

 僕のいない星空が彼女の姿を証明していた。

―—  心がすごく暖かいのです。


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