「あいまい」に生きる

こんにちは。
今回は「あいまい」に生きるということについて。

「あいまい」=マイナスなイメージ

皆さんは「あいまい(曖昧)」という言葉について、どんなイメージを持っていますか?
この言葉には、マイナスのイメージを持つ方が多いのではないかと思います。
 「指示があいまいで分かりづらい」
 「あいまいなリアクションだからどう思っているかわからない」
 「ルールがあいまいで混乱している」
あいまいなことは人の判断や行動に分かりずらさを生み出し、混乱や混沌の元になりますよね。コミュニケーションにおいても、「あいまい」よりも「はっきりしている」「明瞭な」手段が求められていることは間違いありません。

「あいまいさ」を取り入れた生き方

私はうつになったときに、「あいまい」についての考えが少し変わりました。「あいまい」は決して回避されるものではなく、むしろ生き方や考え方にうまく取り入れていくべきものだと感じたのです。

現代の私たちは、今まで以上に"あいまいさ"を捨て"明確さ"を身に付けることが求められています。あらゆる作業はシステム化し、意見や発言にはエビデンスを用意し、膨大な情報は正しく取捨選択して常に最適解を導いていくことが現代社会には必須スキルとなっています。
無論、今までの私も同じ考えでした。根拠のない意見には耳を傾けず、あいまいな表現やその場しのぎの行動を嫌い、常に白か黒かを決めることが正しいことだと信じて疑いませんでした。

自分がうつになり、考え方や思考の癖を分析している際、この「常に白か黒かを決める」考え方がかえって良くなかったのではないかと思うようになりました。

世の中はすべてが「あいまい」

人間はそもそもあいまいな生き物です。世界には何十億と人間がいて、毎日様々な場所で交流し、日々想像もつかないほどの偶発的な出来事が世界中で起きています。人間に限ったことではなく、動物も自然もありとあらゆるすべてのことは偶然の連続なのです。
もちろん、明確さを追求することが悪いことだとは思いません。人間とはあいまいな生き物であり、常に無限の選択肢に囲まれている状況だからこそ、知識や経験から進むべき方向を明確にすることで、自分は何をすればいいかの判断基準になるからです。
しかし、時と場合においてはその判断がかえって自分を苦しめることになります。自分の本当に思っていることや欲していることとその方向が違う場合、自分を押し殺してでも進むべき方向=(一般的に)正しい方向に進んでしまう恐れがあるからです。特に自分のような物事を白か黒かで判断する癖のある、真面目過ぎる人ほどその傾向は顕著です。
本来そういった明確な判断はビジネスの特定の場面や大多数に迷惑をかけるなどの重要な場面において、「うまく」使っていけばいいのですが、真面目で不器用な人はそれをプライベートも含めた日常のあらゆる判断にまで用いてしまう。結果として、日々の自分の行動が「自分」でなく「第三者」によって決められているような状況になってしまい、「自己決定感」が失われ、次第に「自己肯定感」の喪失に繋がっていくのです。

「あいまいさ」を受け入れて修正力を身に付ける

一度、あいまいさを受け入れてみましょう。
あいまいさを受け入れることで、「無理に答えを求めなくてもいい」ことが分かり、柔軟なスタンスで物事を捉えられるようになります。
生きていくうえで大事なことは、答えを明確にすることよりも、状況に応じて柔軟に変化していく「修正力」です。選んだ道でどんな困難に陥っても、その状況に合わせて考えや行動を変えていける修正力があれば、いつでも自分を見失わずに進んでいけるのではないでしょうか?

先行きが不透明な時代です。あえてその不確かさ、「あいまいさ」を素直に受け入れて、想像もつかない変化の数々を楽しんでいく気持ちを持ちたいですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?