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人を好きにならないのは変なのか

私はアラサーにしては恋愛経験が少ない。少ない原因としては主に①中学まで恋愛そのものに疎かった(付き合うとか少数だった)②高校がほぼ共学だった(一応共学だが男女比8:2から7:3)③親戚や進学先、職場が女性率高めの環境だから男心なんて分からない の3点がある。自分で選択した部分としてない部分があって難しいが以上の理由がある。

②までは理解出来るとして進学先は女子大なのか?と問われるかもしれないが、大学自体は共学である。私は中学生の頃から女性アイドルが好きで堪らなく、大学生になって自分が稼いだお金でイベントに参加出来る楽しみを知ってしまい、異性に目を向けなくなっていた。

そんな私が社会人になって交際経験がないことに急に焦りを感じてマッチングアプリを始めるも、最初は感触が良くとも交際自体は長続きしなく気づいたら三十路近くになってしまった。

マッチングアプリ自体を否定するつもりはさらさらないが、4年近く使ったり離れたりした身からすると、共通の知り合いがいなく当人だけで関係を構築していくのは大変困難に思えた。よっぽど気があって今まで知り合わなかったのが信じられないほどの出会いがないと利用してる意味が見出せないのではと思っている。逆説的ではあるが、そんな出会いをするまでにどれだけの異性を2Dの情報だけでメッセージを送るまでになるのか会ってご飯行くまでになるのか大変な作業である。

しかしマッチングアプリを使ってマイナスな面ばかりではなかった。たまたま気が合いそうだとマッチングして会った相手が隣の市に住んでいたり数駅先に住んでいたり、全国区なはずのマッチングアプリでそのようなことがあると運命的なものを感じる。それを楽しめるか否かでマッチングアプリが向いてるかどうかが決まると思う。

表題になっている「人を好きにならないのは変なのか」ということだが、私には前述の通り推しがたくさんいた。最近は異性のアイドルに熱を上げているが、同性のアイドルが好きだった頃は所謂ガチ恋ではなく憧れの対象だったからか推しが多かった。

「ならば人を好きになっているではないか?」と問われるかもしれないが、推しと恋愛は別次元なのである。推しが沢山いて愛しいと思う人が多いのとたった1人を愛し抜くのは意味が全然違うのだ。前者はただのヲタクであり後者は一途で真面目な人という全く別の存在である。私はこのことで酷く頭を抱えているが、昨今の「結婚しなくてもいい」「子どもは一番の贅沢」「推し活」「推しがいれば幸せ」な風潮を鑑みると前者が急速に増えているように思えてならない。

推し活特需と少子化加速させるような施策がイマドキの20代に突き刺さっていて私のような恋愛的な「好き」が分からなくなってる人が自身の周りを見ていても感じる。単純に失恋を避けてるということもあるかもしれないが。

そもそも何故人は交際し、その先に結婚が待ち受けることを望んでいるのかを自分なりに考えてみたら結論自分が年取って自力で生活出来なくなったり死ぬ時に看取ってくれたりする存在を求めているのではないかという結論に至った。しかしそれは友達との関係が深ければ補える存在なのではないかと考えている。

また某アイドルグループが「おひとりさま天国」という曲を発表するような世間風潮になっているため、1人きりで行動することに抵抗ない人が増えているし、傷つくリスクがあるから人を好きにならないのは変ではないと思っている。特別「こうするべき!」と述べたい訳では無いが、同じ意見を持っている方への励みになればと思っている。

おひとり様ミスド
おひとり様ラーメン
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