芦原妃名子の訃報を聞いて~私は確かに「セクシー田中さん」に救われた~
ニュースに疎い私は、そもそも脚本家と芦原さんが揉めていたらしいということも知らず、突然その訃報を知った。あまりにも突然だったから、ただただ驚き、残念に思い、なんて貴重な人材を失ったのだろうと悔しく思った。
ちょうどほぼ一年前。私は「セクシー田中さん」について記事を書いている。
この記事を読むと、一年前のあのとき、アラフィフの失うものが多い自分と、それでもまだなにかに出会えるかもしれないという期待の間で、この漫画に勇気づけられ、2023年も頑張ろう!と前向きな気持ちを持つことができていた。
大げさではなく、この漫画のおかげで前向きな気持ちになれたのだ。
2023年。仕事面では看護師長として2年目、看護管理者認定研修セカンドレベルで2ヶ月近く研修を行った。これは実際の取り組みを1年後に発表することになっており現在まさしく取組中だ。私生活でも、日本を久々に飛び出したい!と強く思い、シンガポールに行くことができた。これは英語力を上げたいという思いにも通じ、世界の医療について知りたいという知識欲も強くなった。
人は出会いで変わる。
田中さんがベリーダンスに出会い、低い自己肯定感から一歩前に踏み出す勇気をもらったように
朱里が田中さんに出会い、唯一無二の自分を知り、自分を好きになったように
わたしもこの漫画に出会い、出会った言葉で、一歩前に踏み出すことができたと思う。
脚本家の人が「原作クラッシャー」と言われているニュースも見たが、実は私はこの脚本家の「恋のチカラ」で、やっぱり30代のもやもやが晴れたこともある。
小田和正の歌とマッチしていて、再放送も何度もみた。それくらい好きだった。これも原作の小説があるらしく、私はそれを知らないのだが。
そう、どちらのドラマも年齢を重ねることで、特に私達女性が負うプレッシャーを、年齢を重ねることで見えるワクワクとした違う景色へいざなってくれる、普通の私が自分を昨日より少し好きになれる、そんなエールを与えてくれるドラマだった。
だから、原作者も脚本家も、思いがうまく重ならなかったのだろうが、ただただ良い作品が作りたかったのだろうと思う。
そもそも漫画は「静」だ。自分のペースでページをめくり、主人公の言葉を頭に思い浮かべる。ときに、ページを戻したり、先にささっと進めたり。そう、読み手である私達が「能動的」なのだ。
でも、ドラマは「動」ではないかと思う。そもそも1時間視聴者をテレビの前に釘付けにしなければならないのだから、音楽や背景音、衣装、色々なもので興味も引き続けなければならない。それが原作の世界と変わってしまうこともあるのだろう。視聴者である私達は、あくまでも「受動的」。
でも原作があればこそ、ドラマなのだから、原作者の世界観や思いを尊重しなければならないのが大前提。特にこの作品は未完だから、芦原さんは、原作のファンも、ドラマからファンになった人もどちらも受けれられる作品をドラマ終了後も作り続けなければならないという、大きなプレシャーも抱えていたのだろうか。今となっては、本当に分からない。ただただ悲しい。
一つはっきりしているのは日本テレビのコメントは、作者にも脚本家にも、おそらくドラマの出演者にも、現場のスタッフにも寄り添っていなかった。コンプライアンス重視の世の中、弁護士が間に入ったのだろうか、人間味がないコメントだった。
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