社会人から看護になることを決めた君へ~15年たって思うこと~

看護師になって15年以上たつ。
私は社会人から看護学校というルートで看護師になった。
なぜ看護師になったのかというと、高尚な理由ではない。
確かにもともと医療系の仕事に興味があり、大学受験では医学部受験をして不合格になった。
でも、浪人する気力も勇気もお金もなく、受かった大学の法学部で4年間学んだ。
大学3年になろうとするときの失恋が尾を引き、私は無気力のまま就職活動に乗り出しなんとなく働いた。技術系の会社の営業で、技術があることに誇りを持つ人達を見ながら、営業をその技術にするほどの気概もなく。そんな中結婚し、正直食い扶持という意味では寄りかかるものがある安心感もあり、看護学校を受験し合格した。
 
なんとなく入学した看護学校だったが、看護の勉強は楽しかった。
看護国家試験の模試で全国5位と言われたこともあったし、のめり込んでいたと思う。
成人学習者はモチベーションがあればぐっと伸びると実感した。
ただ、実習は座学よりはきつかった。実習グループ6人の中でただ一人の社会人経験者。
みんなより似合っていない制服も、スポンジがぎゅっと吸収するみたいにどんどん新しいことを取り入れられる若い子に感じる劣等感もあった。
眠い目をこすりながら、体力の限界を感じながら、でも辞めるなんて考えられなかった。
逃げ場があるはずの看護の道だったのに、絶対看護師になりたいにいつの間にか変わっていた。
 
国家試験の勉強は、実習と比べれば自分との戦いだけできつくなかったけれど。
でも、もし落ちたら一年年をとってしまう。看護師になるのが更に一年遅くなってしまうという不安で押しつぶされそうだった。私の場合、結婚してから看護学校に行くことで子供を産むのを先延ばしにした負い目も夫や義理両親にあったように思う。
 
看護師になって1年目は本当に必死だった。年をとっている分みんなより早く成長しなければという焦りと、器用でもなく普通の独り立ちが精一杯。出産のリミットも考えて毎日ひたすら焦っていた。無事二人出産したあと、日本糖尿病療養指導士も取得してあとはここで働くだけ、と思ったときに実家に戻らなければならなくなった。居心地の良い病院を転職しなくてはならず、また不安な日々がはじまった。
 
転職したのは下の子がまだ6ヶ月。私生活と病院での仕事の両立になにも考えられないくらいいっぱいいっぱい。でも、実習委員、教育委員など今考えると転機になる委員会に関わり、病棟では疾患別グループの中心となり外部で発表するなど、少しずつ少しずつ自分らしく働けるようになっていったと思う。
 
それから病棟が異動になったり、役職がついたり、また異動したり。
色々なことがあった。
 
振り返って思うのは、看護師になったときなんの意味もなかったと思った法学部での知識も医療安全管理室で存分に生かすことができた。なにより法律を学ぶ過程で得た論理的思考や、倫理観も看護を行う上で役にたったと思う。
 
たった3年間でたいして役にたたないと思っていた営業での経験も、いろんな患者さんやスタッフと接するなかで、多様性を受け入れる土壌を作っていたと思う。不況の営業でずいぶんきつかったが、あれを3年間続けたという自信が看護師1年目の厳しい時期の支えになったと思う。
 
もし、これから看護師になりたいと考えている人がいるならば伝えたい。
 
あなたが生きてきた人生の延長に看護師の道があるから。スタートが遅れたことを嘆かないで。
コンプレックスに感じないで。
ただ、誠実に真摯に人のアドバイスをきく素直さは持ち続けよう。
看護師としてゼロでも、あなたの生きてきた人生が支えになる。
 

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