タクシードライバーの話 2

 年末が近くなると深夜の冷え込みが厳しくなり、タクシーは終電から降りてきた客で取り合いになるほどの需要があったそうだ。

 それを分かっている客は温かい終電から降りるといっきにホームの階段を駆け上がり、改札にいる駅員に見えるように定期券を差し出しながら走り抜けて駅の階段を駆け下りていく。そのままタクシー乗り場まで走っていくと、運転手もそれに応えるようにタイミング良く後部座席のドアを開けて、寒さにふるえる客が滑りこむように乗ってくる光景が冬の風物詩だった。

 そんなある日、駅のタクシープールで終電待ちをしていた父はとんでもないトラブルに巻き込まれた。
 その晩、父の順番が回ってきたのはいつもの駆け下りてきた終電の客たちが去ったあとだった。こりゃぁ、今夜はハズレだったかと肩を落とした父の耳にカンカンカンとハイヒール特有の軽い足音が聞こえてきた。それもかなり急いで駆け下りてくる足音だ。やがて階段出口から小柄な若い女が姿を見せると、すぐにタクシー乗り場へ駆け寄ってきた。タクシーの後部座席に飛び乗った女は、父にむかって
「早く閉めて! 早くドアを閉めてぇ!」
と、叫んだ。
 
 父が開閉操作をすると後部座席のドアがゆっくりと閉まり始めた。
ところが閉まりかけたドアに突然、大柄な男がむりやり身体をねじ込み、両手でドアを押し開けて強引に乗り込んできた。
 男は怒りの形相で女をにらみつけると、いきなり女の左腕をつかみ、タクシーから道路に引きずり出して怒鳴った。
「どこいくんだ、この野郎! 逃げようったってそうはいかねぇぞ!」

 どうやら男は女を追いかけてきたらしい。女は悲鳴をあげ、右手に持っていたバッグで何度も男の顔を殴りつけた。すると、ちょうどバッグの角の金具が男の目元にヒットしたようで、男は両手で顔を抑えてのけぞった。
 これは只事ではないと悟った父は再度飛び乗ってきた女をかばうようにドアを閉めて、急いで発車した。
 しかし男は道路わきに落ちていた拳大の石を拾うと、野球のピッチャーのように大きく振りかぶって全力投球で走り去ろうとしているタクシーのリアウィンドウに投げつけたのだ。バギィンと嫌な音がして、走り出したばかりのタクシーが急ブレーキで止まった。
 次の瞬間、深夜の駅前にパトカーのサイレンが響き渡った。
「前のタクシー、左に寄せて止まりなさい。」

 ここには駅の階段出口付近に駅前交番が立っている。静かな夜勤でヒマを持て余している警察官たちが、目の前で起きた事件を見逃してくれるはずがなかった。タクシーの後部座席で男女が争うのを目撃した時点でパトカーの出動準備にとりかかったそうだ。

「こいつが! この女が逃げようとしたんだ!」
「うわぁぁぁん!」
「ウチの車になんてことするんだ!」
 さほど広くない交番の中は、タクシーに石を投げつけた男、パニックを起こして泣きじゃくる女、車体に石を投げつけられて激怒するタクシードライバー、そしてそれらをなだめる警察官が3人。
 自己主張を繰り返すはげしい怒鳴り合いと、人口密度オーバーで収拾がつかなくなっていた。

 どうやら男は女に対して怒っているらしく、警察官が事情をきいても女にむかって一方的に怒鳴り散らすばかりで話が進まない。埒が明かないとみた警察官は男だけを交番の外へ連れ出し、2人がかりで事情聴取。深夜の冷たい空気に当たったせいか、男も徐々に興奮がおさまりやがて落ち着いて話し始めた。


 男は40歳の会社員で、女は男と同じ会社に入社した20歳、同じ部署に配属された男の部下だという。
 女はじぶんの誕生日が12月なので、冗談のつもりで男にプレゼントをおねだりした。しかし男の方は本気に受け取ってしまい、プレゼントをすれば若い女と付き合えると思い込んでデートに誘ったのだ。
 男は
「誕生日のプレゼントをしたいんだが、キミの好みが分からないので一緒に買いに行こう。」
と誘ったところ、女は大喜びでついてきた。
 女が欲しがる服やバッグを買ってやり、夕飯は高級レストランのディナーコースをごちそうして、夕食後はおしゃれなバーで飲んで良い気分に酔わせた。そしてそのあとホテルに連れ込もうとしたら断られてしまったのだ。
 まさか断られると思っていなかった男はビックリして、いまさら断るなんてどういうつもりだ、それならなんでデートに誘った時点で断らなかったんだと激しく問い詰めた。
 女は、プレゼントを買ってもらえるなら誘いを断る理由はないと思ってついて来ただけで、まさかデートだったなんてこれっぽっちも思わなかったし、ホテルなんてそんなつもりじゃなかった。そもそも20歳も年上の自分の父親と同じ年齢の男と付き合うなんてありえないと叫んで逃げだした。
 
 女の言い分に腹を立てた男は逃げた女を追いかけていき、その結果がタクシーでの揉みあいになったという。

「服も買ってやった! 高いメシも食わせた! 欲しいバッグも買ってやったんだ! そのうえウマい酒まで飲ませたのに、あの女は食うだけ食って飲むだけ飲んで逃げやがったんだ!」
 話しているうちに怒りが再燃したのだろう、事情を説明する男の声はどんどん大きくなっていった。とうとう怒りを抑えきれなくなった男は、歩道の植え込みの石垣を蹴り始めた。
「クソがっ! あのクソ女がっ! 期待させやがって!」


 成り行きを見守っていたタクシープールのドライバーたちは聞こえてくる男の事情にうなずき、そりゃぁ女が悪いな、自業自得だなとささやき合った。あの運転手も巻き込まれて災難だったなと同情の声も上がった。

 交番の中では泣きじゃくる女を前に、年配の警察官がコンコンとお説教をしていた。
「お嬢さん、今回はあんたが悪いよ。世間を知らなかったと言ってもね、限度があるよ。いくらなんでもタダでプレゼントをくれたうえに、高級レストランと酒をごちそうしてくれた挙句、素直に帰してくれる男なんかいるわけないだろう? あんたにそれだけの金をかけたってことは見返りが欲しいからだ。しかもあんたが持ってるソレ、買ってもらったバッグだろう? 有名なブランド物じゃないか。いくらで買ってもらったんだ? 2~3万で買えるような代物じゃないことは、このお巡りさんにだって分かるぞ?」


 しばらくして1台の乗用車が交番前に到着し、中から年配の男女が降りてきた。開きっぱなしの交番の入り口からタクシープールのドライバーたちに見えたのは、年配の男が泣きじゃくる女に駆け寄って平手で張り倒した光景だった。勢いよくイスから転がり落ちた女にかまわず、年配の男は交番の外で植え込みの石垣に座り込んでいる男に土下座し始めた。一緒にいた年配の女も続いて土下座した。

 ・・・ウチのバカ娘が・・・。 大変申し訳ない・・・。

 とぎれとぎれに聞こえてくる謝罪の言葉から女の両親だと分かった。
女一人では解決できないとみた警察官が両親へ連絡したそうだ。

 結局、女の両親がデートにかかった費用23万円を、男へ直接現金で返すことに落ち着いた。ちなみにブランドバッグの値段は18万円だったらしい。そんな高い物を気軽にねだる女も女だが、買ってやる男も男だ。

 まぁ、それだけ金をかければ若い女が釣れると信じきっていたのだろう。それなのに、いざとなったらそんなつもりじゃなかったと逃げられたんじゃそりゃ、怒るのも当然だなと父を含めたタクシードライバーたちはうなずき合った。この出来事は今年1番の話題として、近隣のタクシードライバーたちの口を賑わせたという。


 そして返金されたデート費用の大半は後日、石を投げつけて破損させたタクシーの修理代になったとさ。

                           おわり



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