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大切なものを失った。「本当の自分」で生きていなかったから。その③

亡くなった元主人と出会ったとき、私には付き合っている人がいた。
学生時代に所属していたサークルのOBで、在学中に残した功績から「レジェンド」と呼ばれていた。
年に数回行われるサークルの合宿にはOBを招待する習わしがあり、持ち回りである合宿の幹事役を私が務めたときのやりとりがきっかけでお付き合いすることになった。
でも、なぜそうなったのか、はっきり覚えていない。

その人は在学中に部長を務めており、卒業してからも同期や後輩から尊敬され慕われる存在だった。
スポーツ万能で頭も良く、社会人としても職場で高い評価を得ていた。
それでいて、物腰は穏やかで優しく、謙虚だった。

そんな「畏れ多い大先輩」から食事の誘いがあったときは心底驚いた。
「(私の家の)近くまで来たから・・・」という言葉を真に受けて、私は「失礼があってはいけない、お待たせしてはいけない」と大慌てで支度をして家を出た。
そのお誘いが何を意味するか、当時の私には全く分かっていなかった。
ただ、大先輩のお話を必死で聞いていた。
そのときの長い会話のどこに「付き合う」という要素が入っていたのか、さっぱり思い出せない。

歳が離れていたその人は、当時で言えば「結婚適齢期」だった。
一方、学生だった私は、相変わらず生きづらさと戦う日々を送っていた。
その人が私との結婚をすでに考えていることは分かっていたけれど、私にはそんな「余裕」はなかった。
今のままの私で結婚なんかできない。
自分が弱いからといって、結婚に逃げるような生き方はしたくない。
就職活動が始まる頃、同期の友達の中には当時付き合っている人との結婚を前提にして活動をしていない子もいて、そんな選択を迷わずできることを羨ましいと思う部分もあった。
でも、私は多分、自分を責めてしまうだろう。
どんなに辛くても、3年は頑張ろう。
苦戦する就活の末どうにか内定をもらい、そう決心した。

配属先で出会った元主人は私の一つ上の期の先輩だった。
人数の少ない職場で、毎年配属される新入社員は例年1人か2人だった。
私も元主人も1人だったこともあり、新人に割り当てられる雑用を一緒にやることが多かった。

元主人も、私が知る限りの全ての人から慕われていた。
要領よく丁寧に仕事をこなし、礼儀正しく、ユーモアがあり、穏やかな声と表情で話をする人だった。
そしてまた、スポーツが得意で歌もうまく、その立ち居振る舞いすべてがスマートだった。
後から分かったことだが、彼は大変にモテる人だった。
そんな彼に、私もいつの間にか惹かれていた。

そんな私は、とにかく仕事が出来なかった。
教えてもらったことを必死にメモしてノートにまとめ、毎日家で復習するのだがなかなか覚えられない。
日中は接客と電話応対をしながら自分の仕事も進めなければならず、毎日のルーティンにはタイムリミットがあった。
分からないことがあっても、先輩方がみんな接客や電話応対でふさがっていて聞けないこともしょっちゅう。
パニックになり、頭がフリーズしてしまうこともほぼ毎日のようにあった。

最初は丁寧に教えてくれていた先輩方の対応も、次第に厳しくなってくる。
「○○っつったでしょう」(○○と言ったでしょう)
「なんで分からないの?よく見て!」
分からないまま進めることが一番良くないと思い、意を決して質問した挙句に返ってくるこれらの返答に、何度も凍り付いた。

先輩方はみんな、優秀だった。
てきぱきと仕事をこなし、お互いに阿吽の呼吸で動くことができ、仕事中でも雑談を楽しむ余裕があった。
仕事がどんなに忙しくてもそれに飲み込まれることなく、プライベートも楽しんでいる素敵な人ばかりだった。
そして、当時の入社状況により歳の並びが繋がっていたので、とても仲が良かった。
仕事ができない私に対しても、厳しさこそあったものの、いじめたり攻撃したりすることはなかった。
そんな先輩たちを尊敬すると同時に、自分の出来なさが辛くて毎日のように泣いていた。

仕事の愚痴は、できるだけこぼしたくないと思っていた。
だから、付き合っていた人にも言わずにずっと我慢していた。
けれど、入社から半年が過ぎた頃、私は「ほんの少しだけ聞いてもらおう」という気持ちで思い切って打ち明けた。
優しく受け止めてくれるだろう。そう、勝手に信じていた。
けれど、返ってきたのは突き放すような言葉だけだった。

「俺にはどうすることもできないよ。」

じめじめしていて、暗くうつむいている今の自分を、この人は嫌悪している。
そう感じた。

これも後で分かったことだが、ちょうどそのとき、彼は別の女性に惹かれていた。
私とは全く違うタイプの、明るくてサバサバした人だったらしい。
彼自身、周りからの評価を得ていながらどこか自信のないところや弱さを持っていた。
だからこそ、自分にないものを持っている女性に意識が向いたのだと思う。
そして実は、その匂いを初めから感じ取っていた私。
私は、本当は、そんな彼を好きになり切れていなかった。
でも、そのことに向かい合うという選択肢はなかった。

それまでは、「これだけ素晴らしい人がこれだけ自分を大切にしてくれている。別れるなんてとんでもない」という考えに縛られていた。
素直に感謝できない自分、「好意を持っているふり」をしている自分を、ずっと責めていた。
その気持ちが、ふっつりと途切れた。

その後も、辛い会社員生活は続いた。
私はいつの間にか、職場で元主人に会えることだけを支えに日々を過ごすようになっていた。

しばらくして、私と元主人はその年の年末の社内イベントの準備に奔走した。
イベントを無事に終えたその日、元主人から告白された。
「茫然とした」という言葉はたぶん適切でないと思うが、ここでは言葉が見つからないのでそのまま使うことにする。
自分が鈍感すぎたのか、彼のいつもの態度がさりげなさ過ぎたのか、あまりにも予想外だった。

私はそれまで付き合っていた人と別れ、元主人と付き合い始めた。
彼と一緒にいる時も、ひとりの時も、全身の細胞が「好き!」と叫ぶ瞬間が訪れる日々が始まった。
こんなに人を好きになったことはなかった。
それから一年後、プロポーズされた。

一番好きな人から一番好きだと言ってもらえた。奇跡だと思った。
そんな思いを噛みしめる私の返事は、「あと1年頑張る」というものだった。
「仕事の辛さから逃げるような結婚はしたくない」
毎日冷や汗と涙がこぼれるような生活をしながらも、学生の頃からの強い思いに支配されていた。
彼は、私が仕事で辛い思いをしているのをずっと見ていたので、少しでも早く退職させたいと考えていた。
だから、私の返事を聞いて「え?」と思ったらしい。

今なら分かる。
こんな頑張り方をしなくても良かったんだと。
でも、その時の私にはその選択肢を選ぶことしかできなかった。
あと1年、仕事を何としても続ける。自信のない自分を肯定するために。
プロポーズされた喜びを覆いつくしてしまうほどの強い思い込みだった。

退職前の半年間は、支店統廃合に伴う業務に忙殺された。
出社最終日、やっとの思いで全ての業務をやり遂げ、たくさんのお祝いやねぎらいの品と言葉を頂いて、3年間通ったビルを後にした。
翌日、熱が出て寝込んだのには我ながら驚いた。
それ以来四半世紀もの間、発熱したことは一度もない。
続く。

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