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唄う美少女【掌編小説】

 「別れたあの夏を」
 「うわー、懐かしい」
 僕と彼女は最近こう言い合うのがなぜか流行っている。昔、母親が九十九里浜に連れて行ってくれた時によく流れていた昭和の歌謡曲だ。
 「この曲いいんだけど、カラオケで歌うと案外出だしとか難しいんだよね」
 彼女はこう悪戯っぽく言うと、自らの悲しい幼少期のことを語ってくる。僕は彼氏だからいいんだけど、ずっとそんな重い話をされても疲れてしまう。でもなかなか「別の話題に」とは切り出せず困っていた。いや、悩んでいた。
 別の日に、やっぱり車でデートをしていても「ねぇ、アレかけて」となる。

 チャンチャラ、ランランランランランランランランランランランランランランランララン。チャチャチャチャ、チャチャ・・・。切ないメロディーが車内を物悲しく支配する。

 「わかーれた、あのー夏をー」
 僕は内心(また始まったか)と思いつつ、やっぱり聴いてしまう。いや、聴き入ってしまう。彼女は歌が凄く上手なのだ。
 「ああー、九十九里浜ぁー」
 本当にリアタイで昭和生まれかと疑うほどの音程の良さ。彼女の父親も好きな曲だったらしいから、よくカラオケにでも行って仕込まれたのであろうか。
 「わぁ、海岸が見えてきたー」彼女は嬉しそうに親指を立てた。昭和の人がよくやるポーズだ。
 窓から顔を少しだけ出す君は潮の匂いを嗅いでいた。横目で君をチラと見た瞬間、シャンプーの仄かな匂いが鼻をついた。僕は、潮の匂いではなく君のことしか興味がないのだろう。
 「私は父性を知らないから」君の口癖だ。
 「僕は母性を知らないから」僕の口癖だ。
 お互い愛を求めていたから恋人同士なのだろう。ある意味で運命だったとしか思えない。
 気がつけば海岸を過ぎて、長いトンネルに入っていた。
 「さっき、九十九里浜過ぎたけど・・・」君は、聞いていないと言わんばかりの不安そうな表情をした。暗いトンネルで見える君の顔は、やや老けて見えた。
 「今、おばさんみたいな顔って思ったでしょ?」
 僕は慌てて「そんなんじゃない」と言い返した。おばさんと言うより、母親に見えたのだ。もう居ない母性に。僕は年上女性を見る時の憧憬の眼差しを向けていたのだろう。彼女に。
 「俺は、母ちゃんいないから」
 いつもの何倍もの寂寥感を込めて言った。
 「私は、ハヤトのお母さんじゃないよ」彼女いやメグミはまるで知らないフリをした。身内だったはずが、実は他人だったみたいな感覚に囚われた。僕は少し悲しくなった。
 「もう少し、付き合ってみてから。ね」
 同い年のメグミは急に大人びたような表情をした。メグミが少しだけ「おばさん」に見えた。
 僕は一言だけ「分かった」と言ってハンドルをぎこちなく持ち直した。
 トンネルを遥かに超えてどこを走っていたかは憶えていない。ただ、九十九里浜からは離れていたことは確かだった。
 「あーあ、九十九里浜ぁ」
 少しだけ悲しくなった僕はなぜか語尾を伸ばして歌いたくなった。
 「私のほうが上手だと思う」
 メグミは少しだけ勝ち誇ったような表情で口元に人差し指をくっつけて笑った。それを見た僕も笑った。
 「あー、風が気持ちいいぃ」
 メグミはさり気なく語尾伸ばしを返してきた。
 「長く付き合ってから結婚してね、って父が良く言ってたの」
 「えっ?」
 「父は、母と付き合って短いまま結婚したことを後悔していたの」
 メグミは突然悲しそうな表情をした。横顔から一粒の涙が頬を伝う。
 「父の遺言、と言うか。そんなもの」
 「そっか」
 「そう。きっと色々ある」メグミの表情が曇っていた。
 先ほどまで晴天だったのが急変して曇天に変わった。
 「あの夏に別れたことを、父は最期まで悔やんでいた」
 「夏に、家族は離れたってこと?」
 「うん」メグミは聞こえるか聞こえないかぐらいの小声で頷いた。
 「だから、この歌が頭から離れないの」
 「思い出の曲なんだね」僕は至って明るく返した。
 「いや、逆にね」メグミは反論するように睨んできた。
 「あーあ」
 「えっ?」
 「あー、あー、九十九里浜ー、かぁ」
 「九十九里浜に戻るね」僕は威勢よくとも、から元気ともつかない声を発して勢いよくUターンを始めた。
 「あーあ、九十九里ぁー」
 二人でハモると僕たちは思わず見つめ合った。
 「お互いにとっては『想い出の九十九里浜』だよね」とメグミ。
 「中毒性の強い、クセ強の曲だよね。この曲」僕は追いかけるようにセリフを言う。
 平成生まれでZ世代の僕とメグミはまるでお互いが昭和生まれであるかのように、共感して笑いあった。

【了】 

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