見出し画像

私的エッセイ「生きるほどに言葉を失う」

 人は生きながらえるほど饒舌になる。
赤子より、幼児より、学生より、社会人より。
最近では、お歳を召したかたのほうが元気でパワフルで活動的だ。若人も、うかうかしていられない世の中になった。いよいよもって「最近の、ご高齢者は・・・」である。
 もし、ご高齢者(本稿では70歳以上のかたに敬意を込めてこう呼ぶ)に漲る体力があって、健康状態も良好で若手以上に貢献度が高いと偉い人が判断したら・・・、世の中変わるんじゃないの? と思います。と言うか、そうなったら面白い。
 便利な世の中も必要だけど、多少アナログである事にも人の温もりや、優しさを感じますよ、と言っておく。
 例えば、電子メディアの普及で手紙や年賀状は衰退している(数年後には紙そのものが無くなる?)手紙や年賀状には、電子メディアにはない「遺る」文化がある。双方の心の交換が。
 一方、電子メディアは手元に残すよりもPCに保存する、記憶する物だ。元々も存在価値が記憶媒体なのだから仕方がない。紙に出力する場合もあるが、ラブレターのような人間の温かさは皆無と言っていい。
 一度、教育カリキュラムにも算数や国語や図工や体育の様に、「紙書(かみがき)」と言う教科(じゃなくても授業)を組み込めばいかがか。紙そのものの価値や書籍の魅力が理解出来るばかりではなく、出版物の売れ行きが変わるのではないかと考える。あと、図書室ならぬ「執筆室」もどうだろうか。
 小学校にタブレットを配布して、授業を行う時点で「紙は無視!」とされている国の教育政策では紙媒体は衰退の一途だ。
 出版物が衰退しているのは、作家が悪いのではない。読書以外の面白いことが世の中にありふれているから。
 あと、出版社の皆さま書籍の価格を一考して貰えませんか? 特に学生さんに一冊1,500円は鬼です。書籍購入の学割ぐらい必要なのでは?
 不景気になればなるほどグチをこぼしたくなる。ご高齢者達が朝から喫茶店で井戸端会議をしているのも、実は「いっそのこと議員やお金持ちにでもなって国を変えてやろうか」と企んでいるかもしれませんよ。

【了】 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?