『ハイキュー!!』烏野高校キャラクター名考察③総括編(全3回)

考察①1年生編、考察②2・3年生編とキャラクター達の名前とその意味を考察してきたが、
いよいよ本題、やっと本題である。
前回の考察②の最後において「名は体を表す」と述べたが、
ここまでグダグダと烏野全キャラの名前考察をしたのも、全ては

「烏野高校は地球の1日を表している」

これを証明する為だ。

早速本題に入りたいところではあるが、
その前にまず、何故ここまで全てのキャラクターに対し名前が細かく設定されているのか、
それはこの作品の題材が「バレーボール」である事以外他ならないだろう。
作中でも述べられているようにバレーボールとは「ボールを繋ぐ」スポーツである。
つまり、日向という軸となる主人公の存在はあれど、
ゲームをする上で一人だけでは絶対に成立しない競技において、
皆が主人公同様必要な存在であり、その役割と意味があるという、
作者の強いメッセージがキャラ名に込められていると考えられる。
恐らくキャラ設定の後にキャラ名がつけられたと考えられるが、
となると「名は体を表す」と言うよりは「体が名を表した」と言った方がいいのか?
どちらにせよ、烏野高校のキャラクター名はとても深く綿密に考えられている事が分かる。
(だからこそ木下の成田についてもっと深く考えたかったんだがすまん。誰か補足をよろしく頼む。)

その上でゲームにおける主要メンバーである
澤村、東峰、西谷、田中、影山、日向、月島の7人の存在と名前の意味と役割を改めて考えた時、
「烏野高校は地球の1日を表している」と言えるのではないだろうか。

ここからはバレーボールのゲームに従い順に考えて行こう。

まず、澤村大地という地球が存在する。
そこに東峰旭という旭が昇る。つまり朝だ。
元よりいる三年生、それは「1日の始まり」だと考えられる。
そこに太陽(ボール)を受け影山飛雄が影となりトスを上げる。
その太陽を打つ為、誰よりも高く、誰よりも長く飛ぶ日向翔陽は、日中一番高い位置にある太陽その物だ。
チームの攻撃が終わり守備になると、今度は敵のボール(太陽)を受ける、拾うのがリベロの西谷夕であり、澤村大地だ。
この二人は敵からの攻撃だけでなく、味方の攻撃がブロックされてしまったボール(太陽)を受け止めるという役割もある。
そして東峰や日向の攻撃が、日が沈んでしまった時、日が沈むと夜になる。
すると守備として夜高く昇る月、それが月島蛍のブロックである。
そんなチームメイトが活動・努力する上で必要となるエネルギーと言う名の活気を与えるのが、田中龍之介である。

このように烏野高校バレー部は、
各個人の名前とポジションから地と太陽と月、
朝昼夕夜という地球の1日の流れが表現されていると言えるだろう。
バレーボールは攻撃と守備が交互に行われる競技である事、
「ボールを繋ぐ」競技である事からも、
日は昇っては落ちまた昇るという1日の繰り返しであり、
それら一連の動きは太陽の移動その物だと言える。

…チームで考えた時、龍をエネルギーと称するのは若干の無理やり感、
お米要員にし過ぎな気もするが(爆)、
大地(澤村)があり水(清水)があり太陽(日向などライバル)を受けありすくすく育つところは、うん、やはりお米要員だな。
日本人にとって米大事。すごく大事。
勿論龍としての力強さの唯一無二感は絶対である。

という事でハイキューにおいて、
烏野高校しいてはバレーボールは1日のループであると気づいた時、
私は鳥肌が立った。
これまで日向と影山、日向と月島、東峰と西谷、土台の大地、努力の男龍、というように分かりやすい対比表現や比喩表現には気付いていたし、
それぞれの役割によりチームが成り立ち循環している事は視覚的にも感覚的にも認識はしていたものの、
ボールその物が太陽であるとは意識していなかった。
原作が完結した今の今まで気づいていなかった自分に対し、
私は今まで何を読んでいたんだと、己の思考の浅はかさに嫌気が指したが、
それと同時に気づけた今、自分に喜びを感じている。

そしてここで更に大きな役割と意味を持つ、あるキャラクターの存在が重要になってくる。
ただでさえ個性的で一癖も二癖もあるメンバーが集まったバレー部はまさに烏合の衆であり、最初はバラバラだったメンバーを、烏たちを、養いそれらの心を繋ぐ役割を果たすのがコーチ・烏養繋心(うかいけいしん)だ。
改めて凄い名前だと思う。
この苗字、この名前の人間が実在するか否かは分からないが、
この名前を考えた古館先生はとにかく凄いと思う。
凄いとしか言いようがない。

そして、素人ながら顧問として献身的に部に貢献し、烏養コーチを引き入れ、時には厳しい言葉で以って生徒を導く監督の武田一鉄。
素人である為作中彼がルールを教えてもらったり確認する行為は、
バレーに詳しくない読者・視聴者に対し説明を果たす意味でも大きな役割を担っている。
が、現代文教師、武田と鉄…となると、ある程度の世代の人間なら絶対あの超有名国語教師(の役者)の存在を連想してしまうだろう。
そこに古館先生の意図があるのか否かは分からないが、いや、多分、というか絶対あるのだろう。
もしこれで無いとか言われたら私は怒る。

というわけで最後少々話が逸れてしまったが、
改めて烏野高校部員の名前を考察した結果、
ボールは太陽であり、
その太陽を繋ぐ行為は選手の名前と役割の下、
地球の1日の流れが表現されている
、という結論に至った。
この事に気付けた今、これらを踏まえ作品を読み返すと今まで読み落としていた部分など、また新たな気づきがあるかもしれない。

もし、今回の私の考察に関して共感して頂ける人がいたらありがたい。
逆に、それは違うのでは?と疑問点や反対意見の人も、ご自身の考察判断材料の一つとして捉えて頂けるとありがたい。
とりあえず、龍之介がお米要員である事に関しては何を言われても私は反論はしない事を誓う(笑)


余談だが、今回何故今更ながらハイキュー・烏野高校のキャラクター名について考えたかというと、
YouTubeで外国の方の某アニメの視聴&リアクション動画を観た事がきっかけだった。
もしハイキューのアニメを外国の方が観た時、
当然英語字幕で観るだろうし、
となると例えば日向は「hinata」と表記されるだろうし、
影山も「kageyama」となるだろう。
しかし我々日本人はこの二人だけに限らず各キャラの名前の漢字から色々な意味が込められていると必然的に気付くので、
もし外国の方にそれを説明、気づいてもらうとなると…と考え始めたのが最初だった。
そしてツッキーの名前を考えた時蛍の意味に気付き、
結果今まで気づいていなかった「地球の1日」に気づいた、というわけだ。
単行本全巻、アニメも全て既に3~4周ぐらいはしているのだが、それでも気づけなかった自分は、普段いかにサラッと作品を読んでいるか、考える事なく物語をそのまま享受しているだけであるかを思い知らされた。
とりあえず今回の考察に至るまで、私は龍之介がお米だと思った事はこれまで一度もなかったし、まさかこんな事になるとは思ってもみなかった。
しかし今新たに、

「そういえば龍之介って坊主じゃん!!まんま米やん!!」


という考えが浮上しており、
田んぼの中の龍之介がお米要員という解釈は、
あながち間違ってはないのではないかと思い始めている。

以上、ご清聴ありがとうございました。
(完)

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