死生観と生活感

久しぶりに自宅のパソコンを開いた。2ヶ月ぶりだろうか。
諸々を再設定とか、ダウンロードとかインストールをして何度も再起動をした。ついに設定が完了しパソコンを開いた。
いま流行りのチャット機能が追加されたみたいで、知りたいことはないか?と聞かれた。「お金欲しい」とか、「若者とのコミュニケーション」とか、「1か月で5キロ痩せる方法」とか、「明日の天気」を聞いてみた。
何か知りたいことはないか?と聞かれると、こうもつまらない煩悩しか出てこない。
知りたいことなんてないな・・・と思いかけていたその時、ふと「早めに死にたい」と入力してみた。
すると、「人生は辛いこともあるが、楽しいこともある。楽しいことを考えよう。死ぬことを考えるのは止めよう」とたしなめられた。
そういうことではないのだよ、AIチャットよ。
「自ら死にたいのではなく、適宜寿命を迎えるにはどうしたらいいか」と改めて聞き直した。
すると、「いま興味のあることは何ですか」と聞かれたので、「尊厳死」と伝えたら、「ごめんなさい。そのことは結構です」と、それ以上のやり取りを断られてしまった。
そういうことではないのだよ、AIチャットよ。
暗い話、怖い話、悲しい話ではなく、人間にいつか必ず訪れる死ぬということについて、シミュレーションしてみたいだけなのだよ。

40代になり人生の折り返し地点を回ったはずなのに、最近は『人生100年時代』という明るく酷なフレーズが蔓延している。
勘弁してほしい。
たぶん定年退職は引き延ばされ、年金も全然もらえなさそうだ。
独身で子どもも居ないので、見届けたい将来もない。
体力があれば働き続けることは厭わないが、もう一つ重大な問題がある。
人生がヒマなのだ。ヒマでヒマで仕方ない。それでいて、やりたいことや叶えたいこともない。
淋しい人生を嘆いているのではなく、淋しさが侘しさに変わる前に、人生が終わりますように。と願っているだけだ。





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