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秋風の中の世界平和。万灯が目に染みる

10月12日、日蓮宗総本山池上本門寺で御会式の万灯行列が行われた。
秋の夜長、さわやかで少し肌寒い風が吹く中、華やかな法要に参加した。
御会式とは、日蓮聖人の命日にちなんで行われる法要だが、亡くなられた秋に桜が咲いたという逸話から、桜を模した花飾りが施された万灯を運び、笛や太鼓、纏を振って、本門寺を目指し、手を合わせるという行事だ。

正統な仏教行事だが、参加している団体は、実は仏教に関連しない団体も多い。神道の祭の団体、新興宗教、町内の団体など様々だ。もちろん熱心な仏教徒も多い。お堂でお経を読み続けている後ろ姿は、神秘的で荘厳だ。
またそれぞれの団体も徒歩圏内の団体ばかりではない。東京の南に位置する池上に、東京の北側の池袋から参加している団体もいるそうだ。

私は祭(神道)の氏子として、半纏を着て、参加してきた。
バチ当たりだと後ろ指をさされそうだが、私は仏教徒でもないし、氏神様も信仰していない。先祖の墓は寺にあるし、初詣は神社に行き、夏祭りに参加する。身内はミッション系の団体職員をしている。富士山を見れば思わず手を合わせたくなる。恥をしのんで言うが、物心ついて大分経ってから、神社と仏閣の違いを知ったくらいだ。御会式って、お祭とは違うんだ。と20代になって知り、それを口に出したとき、周りの大人に呆れられた。

心地よい秋風が吹く池上通りにはたくさんの見物客がいた。改めてコロナ禍が過ぎ去ったのを感じた。近隣住民が沿道を埋めていたし、外国人観光客も多かった。欧米系、アジア系、アフリカ系、中東系・・・ノリノリで指笛を拭く白人、動画を取り続けているアジア人、大きな体でリズムを刻む黒人、ヒジャブを被った女性、そして、地元の若者が賑やかにしすぎて、おまわりさんに注意されていたっけ・・・見事に多様な見物客だった。ディズニーランドのイッツアスモールワールドを思い出した。
多くの出店も出ていた。たこやき、焼きそば、お好み焼き、水あめ、綿菓子、フライドポテト、フランクフルト、小籠包、チヂミ、ステーキ、ケバブ・・・
参道にワールドワイドな味覚の大海原が広がっていた。どれもが食欲をかき立て香しい。古式床しいたい焼きが食べたいなぁ。え?!300円もするの?!恐ろしき、インフレの波。

そして思う。何故、宗教は対立し合うのか。
今まさに起きているパレスチナ、イスラエルでの惨状。多くの戦争の引き金となってきた宗教対立は何故、無くならないのか。
急に攻撃が始まった事情も、今の各国のパワーバランスも、それぞれの宗教の教えも詳しく知らない。ただ、3つの宗教の聖地を巡った対立がずっと続いているのは、知っている。とても悲しい現実だが、宗教対立が続いているのは、イスラエル、パレスチナに限った話しではない。世界中で戦争やジェノサイドの理由になっている。正しく言えば、宗教という大義をもとに、人間同士が対立している。
開祖は、そんなことが起きると思っていなかっただろうし、開祖が願っている戦いなど、無いはずだ。何故なら、すべての宗教は人間の救いを目的としているし、人間を攻撃することを是としていないからだ。

無神論者が良いとは思わないし、同じくらい悪いとも思わない。本当に辛いとき、悲しいとき、絶望の淵に立ったとき、信仰は救いになるだろう。救いを求める方法を持ち合わせていないのは不幸なことだと思う。
また、それぞれの宗教行事をアレンジし、都合よく解釈するのは、尊敬の念が足りないかもしれない。冒涜だと怒る人もいるだろう。日本人がハロウィンやクリスマスを盛大に祝うのは、海外から見たら違和感があるだろう。でも、他の宗教を信仰する人を攻撃しようなんて考えもしないし、そもそも神よりも自分自身を信じる方が、鍛錬・修行がいると思う。

熱心に特定の宗教を信仰しない人が多い日本では、遠い国の不幸に無関心な人が多い。平和ボケと自虐的に言うし、私もその一人だ。
でも、ここ本門寺付近で自然発生している融和は、まさに世界平和だと確信的に思う。
それぞれの人が、御会式を楽しむ。参加する者、見物する者、出店で食べたいものを買う者。友達と賑やかに過ごす者。そして、参加せず家路を急ぐ者。皆が思い思いに過ごす。
理想郷とは、こういうことを指すのではないか。

異教徒を尊重するという尊い行いが出来るほど人間が利口でないことは明らかだ。でも、この終わりなき宗教対立を終わらせられるのも、神ではなく人間だ。
他人を攻撃せず、干渉もせず、それだけで、こんなに平和な時間が過ごせ心地よい空間が自然に生まれるというのに。
10/12の夜は、賑やかな平和を体感し、遠い国の平和を願って止まない。

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