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断捨離しきれない。何故なら、生きることへの執着と生活が続くから・・・

引越をきっかけに、色んなものに向き合うことが増えた。
今は、家の中にあるあらゆる澱を押し流している。太り過ぎて着られなくなった、かつての一張羅を捨てたり、プレイヤーさえも持っていないCD・DVD・MDの数々、発売当時は話題になったが、今では違法スレスレな根性論が書かれたカタカナ語だらけのビジネス書、買った記憶もない小物類をブックオフに出したり、ゴミに出したりしている。
捨てるという行為は、やはりスッキリするし、達成感も与えてくれる。
いつか、捨てたことを後悔する日も来るのだけれど、まぁ、その時また買えばいいだろう。

断捨離という言葉が一般的になり、十数年経つだろうか。
対象物に対して、ときめく、ときめかない、を基準に手元に残すか、手放すかを判断するというメソッドだ。一大ブームが起きたが、私にはそのブームが訪れなかった。モノにときめくという感覚は分からないでもないが、ときめかないモノを身近に置いておくことにもついて、大した感慨が無かったからだろう。いや、もっと単純に、気力体力を使って身辺を綺麗することが苦手なのだ。ゴミ屋敷ではないが、引っ越しのたびに業者に「荷物多いですね」と言われてきた。
しかし今回は6年ぶりの引越、且つ、40代になった記念として、人生のエンディングをすこ~し意識し、断捨離に挑戦してみた。
私なりに掲げたコンセプトは、『この先の人生に必要な物か』である。

まず洋服だ。
今までは「痩せたら着よう」「もう一度流行るかもしれない服はとっておこう」という基準だったが、経験上、痩せることは困難を極め、もう一度流行った頃には、その服が不相応な年齢になっている可能性が高いので、6年以上着ていない服は、ゴミ袋に放り込んだ。
ついでに、気に入らない想い出や、嫌な記憶がある服も捨てた。てんとう虫っぽいねと言われた柄のワンピースや、膝の脂肪を指摘されたスカートも、豪快にゴミ袋にダンクした。
45リットルのゴミ袋4袋分になったが、それでも5分の1も捨てていない。
もう一度、心を鬼にして、侍ジャパン、ジャパンブルー、なでしこジャパン・・・の監督の気分でクローゼットに立った。
「この中の誰を切り捨ててやろうか・・・」手首を回しながら、服を見定めた。
だがしかし、それ以上は断捨離が進まなかった。
自慢でも何でもないが、仕事着やそこそこ値の張る服ばかりだったからだ。
リモートワークが中心になったとはいえ、毎回毎回同じ服を着て出社するのは人の目が気になるし、ウン万円のコートをゴミ袋に入れたものの、惜しくなって、戦力外に出来ず、閉じたはずのゴミ袋を開け、奥底からコートを引っ張り出すという未練タラタラな行為をしてしまった。
私は、スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグのように毎日同じ服を着て仕事をする勇気が無いし、ウン万円のコートを再度購入する経済力に自信が持てないので、手元に温存させてしまった。

私の終活、入門編は失敗だったと言っていいだろう。
死ぬ気で捨てるぞ!と思っていたのに、いつかのために手元に残して、着飾り続けて、生き続ける気が、わりと心の浅い所にあるからだ。

断捨離してみたら、ひよっこな死生観と、根深い生活感が見えてきた。





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