見出し画像

忠臣蔵夫婦喧嘩考 後編

(登場人物)討ち入り後
・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)
 45歳 元播磨赤穂藩 浅野家 城代家老
・大石りく(おおいしりく)
 35歳 大石内蔵助の元妻
・大石大三郎(おおいしだいさぶろう)
  2歳 内蔵助、りくの三男。
  後に広島藩 浅野家家臣
・大石吉之進
  13歳 内蔵助、りくの次男。出家してる。


大石内蔵助とおりくさんとの離婚話にはもう一つの側面があります。
仇討ちの秘密保持です。

内蔵助が離婚したのは秘密が漏れない為であるとしています。うっかり仇討ちがばれてると困るので、仇討ちのことは何一つ言わずに別れたと言われています。

ただ少し割り切れない違和感が出てきます。

女はそんなに信用できないものなのか❓
夫婦であってもその事は秘密にしなければならなかったのか❓

昔はそうであったかもしれない。今でも奥様に何も言わずに別れるとかあるかもしれない。

離婚にはもう一つの面があります。離婚していれば、夫が万一罪を犯しても、妻子までは罪が及ばないということです。
内蔵助の離婚目的はここにあったと思います。

その事を示すエピソードとして、子の大三郎について書いた手紙があります。

その内容は大三郎は内蔵助から離れて過ごしていてもすくすく育っている。この子は好運に恵まれているのかもしれない。三男なので、ふさわしい場所があれば、養子にやりなさいということです。

これは内蔵助が討ち入りに行った後、大三郎が養子に言ってしまえば、罪が及ぶ事なく、命は助かるからそうしないということではないでしょうか?
実際、おりくさんは大三郎をすぐに養子に出しています。

内蔵助とおりくさんのリモートの会話は仇討ちについて暗黙の了解があったと思っています。

もし本当に愛想つかして別れたなら、別れた妻の子を養子に出せなど、大きなお世話、何様!ってなると思います。

内蔵助とおりくさんとの離婚は喧嘩別れの離婚ではなく、計画的別居、愛情たっぷり、未練たっぷりの離婚だったかもしれません。

次男の吉之進もこの後すぐに但馬のお寺で出家させています。たぶんおりくさんが先読みして、子を守る為にしたと思います。
ただ吉之進の出家は内蔵助から僧にするのでは無く、武士にせよと言われたみたいです。

このことは効果的であった。吉良邸へ討ち入り後、赤穂四十七士は寺坂吉右衛門を除いて全員切腹となり、その子弟のうち15歳以上は皆、島流しになっています。
次男の吉之進はまだ僧籍だったので、罪は免れたようです。
三男の大三郎は養子先から面倒はごめんだよということでおりくさんに返されています。
でもまだ子供だったので罪は免れています。
後に大三郎は広島藩の浅野家に招かれて、大石良恭(おおいしよしやす)として仕えたのでありました。

彼らの離婚は、呼吸合わせた偽装離婚だったと思われます。後年伝えられている討ち入りはドラマチックであり、波瀾万丈なストーリーにしないと行けないという創作が伝わってる気がします。討ち入りが夫婦了解ではダメだったのかな?

かわいそうなのはおりくさんで、夫の祇園での放蕩ぶりや乱痴気騒ぎで、挙げ句には三下り半を突きつけられて、黙って実家に戻る頼りない妻にされてしまったのです。

でもおりくさんは「それでもいいんです!」というかもしれません。
でもこのことが江戸時代から現代に至るまで大きな失点かも知れない。

「女に話を話してもわからない。」
「男仕事は女にはわからない。」

でも、ただ黙って実家に帰った訳ではないと思います。
偽装離婚ばりに夫婦阿吽の呼吸で家族を守る連帯感は素敵と思います。

忠臣蔵の話に隠された夫婦のお話でした。

(終わり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?