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変えられないもの、変わるもの

つらつら書いているだけ。備忘録noteです。


10ヶ月ぶりの家族とのお出かけ

今日は数カ月ぶりに叔母と会ってきた。
叔母は自分の親の妹にあたり、子育てが苦手だった親に代わって育ててくれていた人だ。気も合い、服装や好みもほぼ被るので、買い物を始めると止まらなくなってしまう。見た目も母親と間違えられるほどに似ている。
そんな叔母も、年末年始に祖父が倒れ、その後の手続きや母のフォローでかなり大変だったようだった。
まだ進路が定まらない息子の話など(それも興味深いものだったが)も進めつつ、自分の母親の話も聞いて来た。

変わらない人

母は相変わらずだった。一人で物事を抱え込み、処理しようとして、勝手に不満が溜まり爆発する。
素直に話すことができない人で、ありとあらゆる内容がマイナスな感想やちくちく言葉となって吐き出される。要するに、一緒にいると疲れる人である。 
子育てもあり、祖父が入った老人ホームからも遠い叔母は、できることも限界がある。母はひとり暮らしで、施設へも近い。しかし、勝手に何でも抱え込む母は、そのような事情を汲み取る余裕がなかった。そして爆発してしまい、理不尽な文句を言ってしまったようだった。
祖父の介護の支援などで大変なのは皆同じだ。そして一番近い人がその負担が大きいの確かである。
だが、その負担をうまく伝え、不満をちくちく言葉ではなく、優しい言葉で話すことは、自分が小さい時から変わっていなかった。
母はいい歳であるが、子供のような感情の爆発をさせ、歪んだいじわるばあさんのように、嫌味や文句を言い続ける。年末年始、10年ぶりに会ったときも変わっていなかった。
自分も叔母も、母は自分のことを伝えるのがとても苦手な人なのだと認識している。だからこそ対応に困るし、先が不安になるのだ。


来る度に新しいビルが建ち、古いビルと混ざっている。大きく変化を感じるもの

変わっていくもの

そんな母だが、いい歳だと書いた通り、老いてきている。酒はたくさん飲むし、更年期も重なり、精神状態はかなり悪くなっている。
怒りに任せた歪んだ顔はいまだに忘れられず、大きなショックを受けた。
変わらない母の性格、変わっていく容姿や生活、不変と変化に翻弄される日々が、今年再び始まった。
どう母と向き合っていくか、距離を取っていくかは、いまだに家を出てから大きな悩みだ。
答えはまだまだ先なのだろうと改めて感じた1日だった。

まとまりがないけどそんな感じ。

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