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支援について

日本においては、ギフティッドを既存の疾患の枠で判断しがちであるという。HSPなどと同様、医学上の定義などがされていないから仕方ないとは思う。実際にADHDやASDを併発していたり、うつ状態や摂食障碍であるなら、処方薬や治療が無駄になるわけではないが、本人が困っている理由とのズレが大きくなると、支援自体もズレる。「ではない」という判断をされることに対する抵抗感など、グレーゾーンの問題も絡めば更に複雑で、適切な支援は難しくなっていく。

ギフティッドに相当するような高い知能と、ADHDやASDなど障碍を併せ持つ場合は2Eと呼称されるが、二重の特別さ、二重の支援が必要などと言われる。「二重の支援」という部分があまり注目されない気がする。障碍に当てはまらず、数値が全体的に高い場合は英才型と紹介されることがあるが、悩みに対する支援、適切な環境に導く支援などは、一般的な人に行われるそれと同様に必要だ。放っておいても常に独力でこなせるとは限らない。

年齢や能力、ギフティッドなどの要素に関係なく、大体のことが出来る(出来そう)から大丈夫であろう、という扱い方をされる人はいる。本人もその期待に応えようとして努力したり、問題なくこなすこともある。一方、負荷が掛かりすぎて潰れてしまったり、病んでしまったりという話も珍しくない。その辺りのバランスの取り方や周りのサポートは、時代を追うごとにマシにはなっているとは思うが、まだまだ改善の余地も多いだろう。

ギフティッドや一部の人が持つ過興奮性は、それを持たない人からは理解され難い。気にし過ぎとか気の持ちようという考え方は、無駄ではないが限界はある。刺激やストレスの受け方が生理的に激しい人がいる、と認知が広まらない限り、不当な扱いやトラブルに晒されるリスクは軽視出来ない。

物事の見え方や受け取り方は人によって違うし、何をどうストレスに感じるのかも人によって違ってくる。日常の中で突き当たる話のはずだが、そもそもこういった視点がなかなか意識に上らない。非常な苦しみを味わった人は持ちやすい観点だと思われるが、日本に限定せずとも、世の中に実感を持って浸透はしていないように見える。

その人の属性、障碍や病気などに関わらず、何に困っていて何を求めているのか。とにもかくにもコミュニケーションは必要だ。時間がかかるとか、見返りがないという打算。逆に、時間をかけてしまう、見返りを用意しなければならないといった遠慮。一番厄介なのはその辺りの障壁かもしれない。

記事を読んで頂いてありがとうございます。個人の見解なのはお忘れなく。