見出し画像

先輩、ご卒業おめでとうございます。

「私、あの会社に決まった」

研究室の隅っこに座った先輩は、ぽつりと私に言いましたね。年収2000万を超える企業から内定をもらっても、あなたは興味がなさそうにしていました。

年上が嫌いな私が、あなたのことを唯一好きだったのは、あなたのそんな部分に惹かれたからかもしれません。

卒業していなくなる先輩を、私はデートに誘いました。少し、いや、かなり背伸びをして、4万円のフレンチコースが出る銀座のお店を予約しました。

一口でいなくなる小さな料理を見て、小人みたいと言ったあなたが面白くてたまりませんでした。

最後に、小さな悲劇が私に1つ起こりました。

お会計の際、paypayで支払うことが出来ないと言われた私は呆然としました。ここ3年間、現金など持ち歩かったものですから、まるで異世界に来たような感覚でした。

そんな私を見て、あなたは、ふふっと笑いながら現金の一括で八万円を支払いましたね。

「最後なんだし、いいよ」と言いながら、私がコンビニでおろした4万円をあなたは頑なに受け取ろうとはしませんでした。

高級フレンチの後に、行きつけの居酒屋に行きましたね。4万円のどのメニューよりも、そこで食べた餃子の味を今でも覚えています。

先輩は店に入ると、いつものように生ビールを二杯と餃子4人前を頼みました。タレもつけずにそのまま食べるのがあなたのやり方でしたね。

「やっぱこの味だよね、なんかあのフレンチ、食べた心地しなかったし。私、庶民派だし」

袖をまくって、豪快にビールを飲む姿が今でも目に焼き付いています。

その後に、「あ、でも君のせいじゃないからね」とあなたは付け足しました。

終電が近づいてきて、先輩は言いました。

「この後、どうする?」

私には2つの選択肢がありました。

1つは、そのまま終電で帰ること。
もう1つは、ホテルに行くことです。

私と先輩は、別にそういう関係ではなかったし、私は先輩に好意があったわけでもありません。

それでも、自然とその2つの選択肢が頭の中に浮かんできたのです。

しかし、私はそのどちらの選択肢も選びませんでした。いや、もう少し正確に言うと、選べませんでした。私はその時、どうしても先輩と離れたくなかったのです。それに、セックスがしたかったわけでもないのです。ただ、離れたくなかったのです。

だから私はどちらの選択肢も選べませんでした。

その代わり、公園に行きませんか、と私は言いました。

先輩はふたつ返事で、いいよ、と言いました。その時私は、先輩も同じ気持ちなのかなと思いました。

銘柄も見ずにビールを買って、私たちは大学の裏にある公園に行きましたね。

街頭が一つしかなかったので、私たちはその下にあるジャングルジムに登って、話をしていました。

先輩はこう言いました。

働くのって、どんな感じだろう。

しんどいのかな。でも楽しいのかな。

君はどう思う?

私はね、意外と楽しいと思う。

やりたいことをやって、人を助けて、感謝されて、それでお金をもらって、やりたいことやって。

ね、楽しそうでしょ?

きっと、楽しいよ。

先輩は酔っているせいか、ずっとそんな話を繰り返していました。

30歳までにお金をいっーーぱい貯めてね、世界旅行に行くの。だから私はあの会社を選んだの。初任給で一千万だよ。8年間も働けば一億でしょ?そしたらもう仕事なんてやめちゃって、飼ってる猫と世界旅行に行きたいなーーってずっと考えてる。

私の夢なの。これは。

ねえ、聞いてる?

まあいいや。

私、人に夢なんて言ったの初めてだから。誰にも言わないでね。まあ君には言う人いないか。私も君ぐらいにしか言う人いないけど。



だけど、先輩の夢は叶いませんでした。

あなたは30歳になる前に、過労が原因で自殺をしてしまいました。

残業時間が120時間を超えていたらしいですね。無理もありません。

先輩の葬式には、私と先輩の家族以外、誰もいませんでした。あなたは嫌われているわけでもなく、好かれているわけでもない人でしたから。

ただそこにいるだけで、利益にも有害にもなり得ない存在があなたでした。


話を変えましょう。

私がなぜこんなものを書いているかと言うと、偶然あのフレンチレストランに行く機会があったからです。

そこで、ふとあなたに奢ってもらった4万円を思い出しました。

あまり論理的ではないですが、経緯はこんな感じです。

そうそう、あとあなたのInstagramも見つけました。猫が写っていましたね。もう、3年前には亡くなっていたらしいですが。


話を戻しましょう。

先輩、私は本当は、気付いていました。

あなたが庶民のふりをして、お金持ちの家柄であること。

仕事なんて楽しそうだと微塵も思っていないこと。

世界旅行なんてものに本当は興味なんてないこと。行こうと思えば、あなたはいつでもいけたのですから。

そうそう、あと、あれにも気付いていました。

あなたがどんな男とも寝るビッチだということ。居酒屋であなたがトイレに行ったとき、スマホを見てしまいました。ごめんなさい。

でも、先輩の嘘が悪いことだなんて一ミリも思っていません。お金持ちが庶民のふりをしたり、やりたくもないことをやりたいと嘘をついたり、誰とでもセックスをしたり、何の犯罪でもありませんから。


でも、あなたの言動が全て嘘だったとしたら、あなたは一体どんな人間だったんでしょうか。

2年間一緒に研究室にいましたが、あの時のあなたは、本当にあなただったんでしょうか。

私はあなたという人間が、ずっと理解出来ませんでした。


そうそう。これも余談なんですが、試しにあなたのインスタをフォローすると、フォローが返って来ました。本当にあなたは、不思議な人でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?