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ホロコーストを生き延びた精神科医の診断

無職の毎日を、孤独に過ごしていることが辛い。

無理に笑顔を作り、ナチスのホロコーストを生き延びた精神科医ヴィクトール・フランクルの名言へ心とは裏腹に「良い天気ですね」と声をかけて相談した。

すると、名言に
「ユーモアとは、ほんの数秒でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在に備わっている、何かなのだ」とあった。
 
僕の悩みの根源。
仕事に戻れれば幸せになると考えて、人気の社労士とキャリコンの資格を取り、ハローワークで求職相談をした。

ところが、年齢制限の高い壁に遭い、就職できず、72歳にして悩む。

名言には、「人間は、悩みに苦しむのではない。悩んでいる『自分自身』に苦しむのだ」と返された。

禅問答のようだが、確かに、自分を俯瞰的にみることができれば、他人事に思えて客観的な立場から自分へ具体的な行動を指示でき、自分のできていないことに理由を付けることが無くなる。
 
社労士の仕事は広範囲で、何をすべきか的を絞れず、どのように考えて仕事を探したら良いかまだ迷っている。 

名言は、「強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、だれかが自分が待っていると、つねに思い出させることが重要だった。

いくらすばらしい技術があっても人は癒せない。「人間的な触れ合いと愛の交流がなければ」と言う。 

僕の現役当時は、働く目的は、お金を稼ぐためだけであった。愛の交流など問いませんでしたした。

 僕は、その後、考えを変え、新人採用の問答のように、人の困りごとに寄り添い関わり、笑顔をいただく行動をすることを価値観とし、それを自分の強みとし、笑顔をいただくことを「目標」とすることにした
 
「相手の立場に立って」は、キャリコンで学び、初めて参加した社労士会で何度も挨拶の枕詞となった。

空手道場の指導者に対するブログでも説かれているのを読んだ。顧客に対する哲学だ。

こうして各サービス業に触れてみると、自己中心的な発想を離れ、他利目線の「相手の立場に立つ」が、自分軸となって行くように感じる。

上意下達の組織に勤めていた時代には、発想しなかった。時代の要求するマーケティングの基本だ。

毎日、ブログを投稿しているが、達成感を感じないので楽しくない、と問うと、名言は「人間の生きがいは、その人が毎日行う行動の積み重ねである」と。

寅さんの台詞で「続けていると、その内に、たまに良いことがあるものさ、だから生きて行ける」と、聞いたことがある。
 
時々、幸せと目標を混同する、と問うと、名言は「幸せは、目標ではないし目標であってもならない。そもそも目標であることもできません。幸せとは結果にすぎない」と言う。

仕事は、目標を明確に持ち、取り組むこと。後は結果を待てば良いと。 

仕事の貴賤について、「名優は、いかにさえない役を演じても輝き、大根役者は、いかに輝かしい役を演じてもさえない。輝きこそが人生の幸福を決める」と言う。

特に、僕のような新人は四の五の言わず、丁寧な仕事ぶりを残すことが輝きとなるようだ。

名言は「強制収容所は私にとって卒業試験だった」という。
僕にとって今は、卒業試験の入口かな。

僕の孤独は、蕾みの固い萼が少し緩み出した。


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