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苦しみを背負って生きる意味を知る

 73歳、定年無職で6年が過ぎた。

 今になって、66歳で仕事を手放し無職を選択したことを悔やんでいる。
当時、楽天主義を気どって何も心配しないことを誓った。思考停止。自ら脳死状態の催眠をかけた。

無職に成り立ての頃は、張り切って遠方の友人宅を訪ねて料理の腕前を喜んでもらい満足し、魚釣り、俳句会、自由人としての衣服のコーディネート.

資格を取って街歩きの観光ガイドなども楽しんだ。 

風天の寅さんの言葉のように、生きていれば、たまに小さな「たなぼた」に遭って嬉しいことがあると、下町の庶民を気取り楽観的に過ごしていた。 

しかし、4年ほど経つと、心はストレスを貯めて、このまま生きていて良いのかと問いかけてくるようになった。 

松尾芭蕉が、奥の細道に「人生は旅だ」と書いているし、「塞翁が馬」ということもあると言い聞かせていた。
しかし、心は、寂しくて落ち着かない。 

水族館の鰯の群が泳いでいる様子を見ると、一匹一匹が、自分のサラリーマン時代を再現しているかのようだ。 

退職し4年過ぎ70歳でも、心は、しがらみや思い込みに縛られていたサラリーマン時代をから脱皮できないでいる。
心には、何か別のものを与えないと駄目なようだ。
 
ヴィクトール・フランクルのいうには、強制収容所で「生きる目的を見いだせず、生きる内実を失い、生きていても、なにもならないと考え…、頑張り抜く意味を見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人々はよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった」とある。池田香代子訳「夜と霧」(みすず書房)
 
僕は、目的を見いだせないので、フランクルのいう、あっという間に崩れる人になると危機感を持った。
 
ニーチェも「なぜ、生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」といっている。
 
無職になって、会社という鰯の群れから離れた今、新たに自分として生きる意味や目的を持たなければならなくなった。

仕事は、無職になった当時に、声をかけてくれた人もいたが、同世代はほぼ全員引退しており、幽霊のように業界にしがみついて徘徊する自分の姿は想像もしたくない。そのとき絶対戻らないと決めていた。
 
73歳になった今、僕の仕事に対する取り組み姿勢は、寿命のことも見据え、社会貢献できて感謝をもらえることにする、と考えるようになった。
 
フランクルは「生きるとはつまり、…時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。…強制収容所にいた私たちにとって…何か創造的なことをして何らかの目的を実現させようなどとは一切考えていなかった。…生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きる意味…。苦しむことはなにかをなしとげること」抜粋出典は前掲
 
もう一つの生き伸びる方法として、フランクルは、「自分を待っているもの」をもっていることだという
 
妻が待っているとか、やりかけの仕事が待っているとか、自分を待っているものを持っていると生き延びることができるといっている。 
 
僕は、生きる目的として、過去の偉人を真似た社会奉仕を考えている。偉人が義務として背負った生き方が、フランクルのいう生きる意味なのだろう。偉人の多くは長生きして、お星様になるまで絶えず使命感を持っていた。
 
価値観に、強みを発揮して貢献することで感謝をいただく。

 僕は、ようやく、古典本から生きる意味を探し出したようだ。
 
大型船が荷物を積まないと安定しないように、心には、苦悩を乗せなければならない。
 
ジェームスの名言に「色々なものになろうとすると、どうしようもない矛盾が生じるのだ。人生で成功するには、あまたの選択肢のなかから一つの自我を選び出し、自我の救済を賭ける必要がある」という。
 
孤独は、何時も僕の再出発点になっている。今回が最後の長い孤独になったと思う。
孤独は理性的な脳の働きだと聞いている。
苦しむことが生きることと考えて、仕事に取り組む覚悟ができた。
 
不遇の俳人、山頭火の「お天気がよすぎる独りぼっち」を口ずさんでみた。


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