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④洗脳から覚めるきっかけの言葉

母親の入院

母親が糖尿病で入院して、入院期間が長くなると言われたので私は仕事を辞めた。
私が25歳ぐらいの時だった。

残業は当たり前、土曜日も出勤、なかなかハードな仕事をしてた。
家には父親も弟もいたので、家のことをやらなければいけなくなった。
仕事、家のこと、母親の病院のこと、全部やるのはとても無理だった。

母親は、私の仕事のこともだけど、自分が半年も入院したことは覚えていない。
そんな長いこと入院したっけ?とか言ってる。
毎日見舞いに行き、洗濯や身の回りのことをやったことも、母親は何も覚えてない。
退院してからも自宅療養が続き、その後も母親のお世話と家のことにあけくれた。

祖母のこと

そんななか今度は祖母が体調が悪くなり入院。退院後は施設に入所。
母親を車に乗せて、隔週で一緒に施設に行って洗濯や掃除をする生活が始まった。
はじめは介護度が低かったので、洗濯・掃除は家族がしないといけなかった。
そんな生活が10年ぐらい続いて、私はバイトしたりはしてたけどフルタイムの仕事からは遠ざかっていた。

父親のこと

その次は父親が脳出血で倒れた。
私が30歳あたりの頃。

死んでてもおかしくなかったところ、命は助かったけど重度の後遺症が残った。
父親も半年間入院、退院後は家で介護した。

後遺症がかなり酷く、認知症と失語症、右半身不自由。
失語症がとても酷く、言葉を発することが出来なくなり、こちらの言うことも理解できない。
認知症も酷かった。夜中に食べるものを探して冷蔵庫を漁ったり、箱アイスを見つけて一箱食べてしまったり。
夜中にパンを食べることを覚えて、パンをトースターで焼いて、真っ黒こげになったのを食べてたり。
朝の暗いうちから家を出ていこうとしたり、じっとしていられないのでとにかく目が離せなかった。

まだ年齢が若かったので体力があるのと、感情がコントロール出来ないので怒ってばかり。
24時間、目が離せないので夜も寝られなかった。

母親と1年介護を頑張ったけど、2人して倒れそうになり施設で診てもらうことになった。
そんな父親も施設で15年近く生きて、数年前に亡くなった。

目が覚めたきっかけ

とにかく母親を一人にしたらダメだと思いこんでた。
私が母親を助けないと、と思って必死にやってきた。

父親が施設に入ったあとはフルタイムで働くようになったけど、いつも母親と一緒だった。
買い物も出かけるのもどこでも。

そんな母親が、父親が亡くなった時に言った言葉。
「あんたもうええやろ。この家売って〇〇(弟)にお金あげるんやから、早く出ていきや。」

読んでもらったらわかると思うけど、諸々の出来事に弟は一切登場しない。
弟は自分の人生を好きに生きてた。
家に寄り付きもしなかったし、結婚もして好きな人と幸せに暮らしてる。
こんな家に寄り付かなくてもそれは当然だし、幸せに暮らしてるのももちろんそれでいい。

いいんだけど、この家を売って弟にお金をあげる?
私は家のこと、親のこと、散々やってきたから、このまま住んでていいのかなと思ってた。

ダメなんだ。
何もしてない弟に家を売ってお金をあげる、散々やってきた私には出て行け。

しかもその時、私は体を壊して療養中だった。
この母親はこういう人だったんだ。

「あんたがお腹にできたせいで離婚できへんかったんや!」
「〇〇(弟)には期待してるけど、あんたにはしてない」
「ブスでかわいそうやな」
ひどいことは子供の頃からたくさん言われてきた。
睨まれたり無視されたりも日常茶飯事。

それでも不思議と悲しくはなかった。感じないように鋼鉄のフタを閉めてたみたいだ。
出て行け発言から徐々にフタが取れたのか、ひどい言葉を次々と思い出し、改めて今になって傷ついている。 

こんなに頑張ってきたのに。
この時の一言が、私が洗脳から目が覚めるきっかけになった。

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