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#0012 壺中人事塾 なぜ人事向けの塾を始めたのか?

おつかれさまです。坪谷つぼたにです。
今回は人事のプロフェッショナルを目指す有志による研鑽の場、壺中人事塾こちゅうじんじじゅくを始めた経緯についてお話しします。


師匠たちからの宿題

私は30歳のとき「人事のプロ」になろうと決めました。そして40歳まで武者修行することにしました。

それは大久保幸夫さんの『ビジネス・プロフェッショナル』という書籍を読んで"プロの入り口に立つまでには10年の経験が必要で、プロとして開花するまでにはさらに10年かかる"というサイモントンの研究を知ったからです。「10年間、武者修行して人事のプロフェッショナルになる」という目標は、私を前進させてくれました(坪谷のキャリアについては自己紹介に書きました)。

そして人事の専門家として自分なりに結果を出すことができるようになった40歳の頃から、多くの方にこう言われるようになりました。

「そのノウハウを、次の世代に引き継いでほしい」
「自分の築き上げてきたものを、後進たちに渡さないといけない」
「人事のプロフェッショナル育成が、ここからの坪谷さんの課題ですね」

組織開発の師匠、人材マネジメントの師匠、クライアントの社長、そして学生時代の先輩までが、どこかで示し合わせたかのように、違う言葉で同じことを言うのです。自主的におこなっていた360度フィードバックにも「次世代育成」「後進輩出」「ノウハウの伝授」などが頻出するようになっていました。

専門性で価値を出すことに邁進してきたプロフェッショナルの道。その先には「次世代育成」という大きなテーマが待っていました。私は師匠たちを信じています。彼らが自分にフィードバックしてくれたことには、きっと何か意味があるはずです。それから私は「人事のプロフェッショナル育成」を自分の課題として考えるようになりました。

2つの葛藤

人事のプロフェッショナルを育成するにあたって、私には2つの葛藤がありました。

1.そもそも「教える」ことはできるのか?

ひとつめの葛藤は「教える」という行為そのものへの疑問です。私は著作にこう書いています。

師が教えるのではない、弟子が学ぶのだ
そもそも人が人に「教える」とはどんなことでしょうか。その本質を考えてみたいと思います。どんなに良い講義でも、受講者が聞いていなければ無価値です。人は「学ぶ」ことはできますが、「教える」ことはできません。実は学びとは、すべて受けて次第なのです。

坪谷邦生『人材マネジメントの壺 DEVELOPMENT』

人が人に「教える」ことなど、いったい可能なのでしょうか?

2.「坪谷さんと同じ」ように育てるべきなのか?

ふたつめの葛藤は、どのように育てるかという問題です。
「坪谷さんと同じことができるように、後任を育ててください」「次の坪谷邦生を輩出してほしい」こんな期待の言葉をよくいただきました。人事担当者、人事マネジャー、人事部長、人事コンサルタントを育てることは困難ですが、どうにか可能かもしれません。しかし「坪谷さんと同じ」を求められると困ってしまいます。なぜなら自分の仕事は自分が20年以上かけて培ってきた、あらゆる素材を使った編集作業だからです。とうてい数年で引き継ぐことはできません。また自分のコピーロボットを作ることが、後進の方々にとって良い結果になるのか、そこにも疑問が残ります。

・・・周囲からの期待をどう受け止めれば良いのでしょうか。

2つの持論

それらの葛藤に対し、私は2つの持論を導きだしました。

1.教える側がもっとも学ぶ

P.F.ドラッカー『プロフェッショナルの条件』に「知識労働者は自らが教える時に最もよく学ぶ」とあります。プロフェッショナルが学ぶもっとも効率の良い方法は「教える」ことだと言うのです。たしかに自分の知識・技術を誰かに伝えようとする時には、必ず「客観視」することになり、自分を省みる機会となります。相手のためではなく自分の成長のために、教えることには大きな意味があるでしょう。

そして、自らが学び前進する姿は、後進の方たちにとっても価値のあることではないか、と考えました。なぜなら、私は師匠たちが前進し続けるその背中を見て、あらゆることを学んできたからです。

技術や知識であれば本やマニュアルを読めば分かることです。師という生きた人間から得るべきものは一体なんでしょうか。それはニュアンス、立ち振る舞い、言葉にして伝えることができない「暗黙知」と呼ばれる領域です。(中略)弟子が師から学ぶべきものは「何か良いこと」という内容ではなく、「どう学ぶか」という「構え」なのでした。

坪谷邦生『図解 人材マネジメント入門』

自分が学び続けることによって、その「構え」を学んでもらうことはできるのではないか。そう考えました。ただし、これはとても楽観的でかつ烏滸がましい話かもしれません。意欲のある方が、積極的に私から学ぼうとしてくれたとして・・・という好条件のもとに成り立つことですから。しかし少なくとも「自分が学び続けること」だけは可能なはずです。

2.教えることはできない、しかし一緒に学ぶことはできる

ともすれば「どうにも柄じゃない」「人様にものを教えられるような立場ではない」とおよび腰になる私に、勇気をくれた人がいました。それは多くの幕末の志士を育てた吉田松陰です。彼は弟子たちにこう言い切ります。

「私はあなた方に教えることはできない。しかし、共に学ぶことはできる」

無責任に聞こえる方もいるかもしれません。しかし私は「教える・学ぶ」ということの本質を理解した、とても誠実な言葉だと受け取りました。そして、このスタンスでなら「次世代育成」を進められると感じました。

教えることは本質的に不可能だ。しかしともに学びあうことはできる。志を同じくした仲間と一緒に研鑽する場を作ろう。そしてその中で、誰よりも学ぶ姿勢を貫く源(ソース)となろう。

そう、決めました。

勉強会、講座、そして塾へ

そこから「学びの場」へのチャレンジを続けました。

勉強会「Wizard Course」を人事責任者や経営者の方を対象として行いました。私から「問い」を投げかけ、それぞれの考えを場に出し、お互いに学び合う仕立てです。人事の仕組みを理解するため『人材マネジメントの壺-ARCHITECT-』を読んできてもらうことを宿題としていました。

次に人事責任者や人材業界の方など、人事のプロフェッショナルを対象に「人材マネジメント講座」を開催しました。問いに対して、それぞれの持論を出し合ってディスカッションし「持論を再構築」する仕立てとなりました。人事の仕組みだけではなく組織に血を通わせる実践のために『人材マネジメントの壺-DEVELOPMENT-』を読んできてもらうことを宿題としていました。この講座は好評で、全4回のシリーズを4回実施しました。

こうして学びの場づくりのノウハウが着実に溜まってきたころ、人事の入門書として刊行した『図解 人材マネジメント入門』がベストセラーとなりました。この入門書をもとに人事の学びの場をつくれないだろうか・・・そう考えていました。

意志をもって動いていると、意志のある人と「出会う」ようになっているのでしょう。リクルートマネジメントソリューションズ社の元同僚である吉田洋介さんと再会しました。彼はのちに人事図書館の館長となる人物で、人事のコミュニティづくりに並々ならぬ想いがあります。お互いの活動を語り合っているうちに志が同じであることがわかり、一緒に「人事の学びの場」をつくることになりました。

その新しい学びの場は壺中人事塾こちゅうじんじじゅくと名付けました。「塾」としたのは、あの吉田松陰の松下村塾からです。私は開塾にむけてこんな一文を書きました。

開塾からもう3年近くが経ち、塾生は100名近くになりました。

この塾は、いまでは私にとって人事のプロとして活動するためのエンジンのような存在です。教えるか、学ぶか、だれがついてきてくれるのか、コピーロボットに意味はあるのか、などの当初の葛藤は、いざ実践してみると瑣末な問題だったとわかりました。そんなことよりも、本気で人事のプロを志している塾生の皆さんが「いま味わっている葛藤」をともにし、「お互いの持論を磨き合う」この瞬間、この場、それ自体がかけがえのないものとなりました。

その景色を少しご紹介すると・・・例えば、ある塾生の所属する企業の人事施策を塾生間で組み立てたり、その企業の経営者と坪谷が対談したり、合宿で人事の裏技を共有しあって冊子にまとめたり、何人もの塾生がCHROに就任したり、CHROから組織変革コーチにキャリアチェンジする塾生がいたり、人事部長を降りて現場の組織開発推進者となる決断をする塾生がいたり、塾生が副業でプロボクサーとしてデビューしたり、塾生が壺中人事塾のファシリテーターとしてデビューしたり、労務に困っていた塾生と坪谷で『図解 労務入門』を執筆したり・・・数え上げればキリがありません。どれも塾生の皆さんの「人事の意志」が起こした循環です。この循環を起こすためのカタチ(型を作って、血を通わせる)については、また別の記事でお届けしたいと思います。

私のお伝えしたいことは以上です。


参考)壺中人事塾の活動詳細はこちらです。
卒業生へのインタビューや、卒業生と坪谷の対談動画もあり、場で起きていることの雰囲気が伝わると思います。興味をもっていただいた方はぜひご覧ください。


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