見出し画像

さようなら の使いどころを改めて考える

(shiesakaiさん、かわいいイラストお借りします。ありがとうございます^_^)

今朝のことだった。
息子を送り届ける時に、知り合いの保護者に遭遇。
すごくすごく親しいわけでもないが、よく顔を合わせるし話しやすい人だ。

前に公園で一緒になった時は話が弾んだこともあったけどそれきりあっという間に時が流れ。
また機会があればなぁー、、と思いながらそれから関係が変わるでもなく子どもたちだけがもりもり成長している。

息子を自転車から降ろす。
「あ、あのお母さんだー」
くらいの感じで先を歩いている親子が視野に入る。

それから子どもを送って駐輪場で彼女と一緒になる。

そんなに時間もないので何となく駐輪場に丁度いいサイズの世間話。
シーン的には2人ともそれぞれ今から1日のタスクをこなすべくチャリ爆走にスタンバイ。

おそらく日本語学習者がここでは何と言いますか、と問われれば模範解答はほぼ間違いなく さようなら だ。

一方、生まれも育ちも島国、30うん年Japaneseを母国語としてきた身の私。

それでも咄嗟に迷うのだ。
いや、それゆえ迷うのか。

脳内:

「ばいばい」だと ちょっとなぁ。
そこまでの仲じゃないし、そもそも日常会話がですます やら なのに。
急にそれは朝から距離詰めすぎだろ、、
無いなー。

職場なら、王者 お疲れ様です が躍り出るのは明らかだ。しかしここは職場でもなんでもない、あと仕事感を強調するのもなんか違う。
そして一定数、子ども絡みで、(育児等々)おつかれー を頻出単語にする人々がいるという風潮も知っている。しかし、向こうが育児をそう捉えているかは怪しい。私は彼女の価値観をそこまで知らない。
加えて おつかれー だとさっきのカジュアルすぎる問題が再浮上だ。これも無し。

こども絡みの施設周辺での出来ごとだ、子どもを介した感じ、そっちも考えてみよう。
先生なら間違いなくこどもに さようなら を促すし、模範としてここでは日々さようなら が飛び交う。対先生なら私も迷わず さようなら だ。朝なら (子どもを)お願いしますー とか。

あれこれ飛んだがそもそも、一体ぜんたい大人になってから さようなら がぴったりしっくりくる場面なんて日常にどれくらいあるのか、、、外国の人に日本の挨拶代表みたいに教えられたり重宝される割にいくらもないじゃないか、と変な方向に さようなら に怒りが湧く。
なんなら さようなら がtoo muchサヨナラすぎて何やかんやと違うものに置き換えられていやしないか。

失礼します
じゃあね
またね
ばいばーい
(今日は)ありがとー

なんていう 一体全体これらのどこが さようなら なんだよなフレーズにかなり市民権を奪われているし。
さようなら 彼だか彼女だか自身にも問題がある。
改まって さようなら なんてそもそも今生の別感がすごすぎるんだ。日常的に使われようとする気がないじゃないか。なんて気位の高い挨拶なんだよ、 さようなら ってやつは。

しょうもないことを考えているとやっぱり朝から大して周りもしない頭からはちょうどいい言葉も出てこず結局、

、、、(じゃ)また。

なんて締めてしまうのであった。
「また、って何だよ!またって!
誘ったこともないのに、どの また今度 をさして次を案じてんだよ。。。!」
と別れた後にモヤが止まらず さようなら のおかげで散々な目にあった。

ことばって面白くて難しい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?