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エリートを盲目的に信奉して自沈する日本社会


別に自民党の若手総裁候補のことを言っているわけでも、兵庫県知事のことを言っているわけでもないのだが‥‥‥


日本なんて国はいつ戦争を始めるかわからないような民度の低いやばい国だとずっと前から思ってきた。
それは文科省という組織による教育の中央統制に原因があると考えてきた。
つまり、そこに批判的思考や目的思考、ゼロベース思考といったような哲学的思考も社会的な認知能力も生まれず、わけのわからない数値化された序列によって社会が支配されていくためである。
この国の多くの人々はその数値化された序列を信奉し、半ば盲目的に崇めて信頼を置いている。
この国に権威主義がはびこる所以である。
そして、誰かがたとえこの国の教育システムの異常さに気がついたとしても、あえて声を上げることはしないだろう。
そのシステムの中で、ある程度の地位を築いているのならば、なおのことである‥‥‥

エリートは正論でもって不完全なものを潰す

日本のエリートは、教育システム上、完璧主義者(完璧主義世界の勝者)なので、あそび、ゆらぎ、適当などの、不完全なもの、完璧でないもの、はたまた奇抜なもの、独創的すぎるものは、基本的に排除していく。
知識があるがゆえに欠陥には目が届くので、いわゆる「いちゃもんをつけて潰す」ということが習慣になってくる。
知識があるので、完璧でないもの、独創的で斬新なものに見切り発車でGOサインを出すようなことはしないし、そうしたものにあえてGOサインを出すような哲学もない。
ブレーキをかけられるだけかけられて、結局、何も生まれず、何も起こらない。
それが完璧主義社会のエリートのもたらす未来絵図である。



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