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片付け

うちの母の溜め込みに溜め込んだ引出物の食器を片っ端から処分する。引き取ってくれる業者さんが見つかったのだ。納戸に寄木細工のように綺麗に収納された箱を出しても出しても、その合間からタオル、ティッシュ、纏め買いした電球、平成のジュース、等々。保険の外交員さんと仲が良いので、販促品のたくさんのメモ帳と絆創膏。

母と父が結婚式に使ったキャンドルが最奥から出てきて、これは捨てないから大丈夫!と姪と3人で眺める。丁度姪の背丈くらい。昔は高度成長期だったから全部デカいし、箱とかやたら豪華だ。

今日は保険の見直しの日だったけれど、辞めたい保険は彼女の大変な苦労話を聞いていた母がお世話になったから!の鶴の一声で続行となった。

私は現状、お金の持つ奇妙な磁力みたいな物、例えば一千万の定期をする時、行員さんとか少しふわぁ〜としているのとかがなんか怖いのだ。
保険みたいにお金と命の釣り合いがしっかりと明確に見えると、つくづく自分の甘さが煮汁のように溢れてしまう。

それは私のお金でない分、お金自体に人格みたいなものが存在していて、その値の知れないものに今のところ人は簡単に馴染んでしまうとよく分かる。

お金を通すと仕事が明確になるし、それに付随する人格もまた然りだ。

数字が全く入ってこない私は、そのふわぁ〜とした空気に飲み込まれてあたふたしてしまう。

食器を引き取ってくれたおじさんはぼろぼろのヴィトンのお財布から2600円を対価としてくれた。

これ、良かったら。といくつかカップ麺をお土産に渡すと嬉しそうに笑って、食器をカタカタ鳴らしながら出発した。

綺麗な場所でそれなりの大金をスーツで扱う人やたくさんの食器を海外で輸出する人や病気の母と離婚して帰ってきた孫の世話に明け暮れる人。

私は毎日、あまり美味しくない料理を作りちょっと落ち込んで眠る。

つまりは色んな人がいて、明日は4人のお子さんがいる人にいらない食器棚を引き渡す私もいるのだ。



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