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<本と映画の答え合わせ(第26~30回)>「ファイト・クラブ」、「君の名前で僕を呼んで」、「赤毛のアン」、「ミスト」、「リア王」


(第26回)ファイト・クラブ

【本】
〇タイトル:ファイト・クラブ
〇作者:チャック・バラニューク
〇感想:
 ・突然俳句が出てきたり、石鹸や爆発物を製造する過程の化学の話のように専門的な用語も出現する。また、内容もとりとめもなく進むので読み易いとは言えない
 ・語り手である「ぼく」とタイラーとの関係は理解できた。一方で、ジョーは赤の他人であろうが、「ぼく」のことのようにも思われる
 ・「自己破壊」について、「イノベーションは破壊から生まれる」に通じる。コロナの出現により、テレワークが浸透したように既存の仕組みを壊すことで新しいものが創出される。人間自身についても一度壊すことで新しい自分に生まれ変わるという点で一理ある。しかも、その方法がファイト、殴り合いというのは痛そうだが、説得力はある
 ・内容、表現、思想等全てを含めて「過激」であり、極端な作品の一言に尽きる
〇評価:○

【映画】
〇ファイト・クラブ(1999年)
〇監督、主演:デヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピット、エドワード・ノートン
〇感想:
 ・暴力のシーンが多く、苦手な人は避けた方がよいであろう
 ・前半ほんの一瞬人物が見える(おそらくタイラーであろう)シーンがいくつかある。サブリミナル効果を意図したものと推測する
 ・突然ペンギンが現れて戸惑う。自分の理解、予測を超え、これは何を意味するのであろうか。また、内容はほぼ本(原作)の通りであるが、終盤のジャックとタイラーのファイトではコミカルな動きも取り入れるなど映画向けにうまく仕上がっていると感じる
 ・良い悪いはさておき、このような手法を取り入れ、作品を製作するフィンチャー監督に関心を覚える。同監督の他の作品を観てみたい
 ・タイラーを演じるブラッド・ピットが筋骨隆々で格好いい。写真、映像等何らかの方法で若かりし頃の姿を残しておくことはあらためて意味があることに気づく
〇評価:◎

【総合】
〇感想:
 ・テーマが「暴力」でカルト的な側面もあることに加え内容が複雑であるため、評価にはバラつきが出るであろう。本(原作)を読めば理解が深まるが、映画のみ鑑賞して内容は深く考えずにシーン、迫力を楽しむだけでも十分と思われる
 ・何故騒乱プロジェクトの創設にまで至ったのか、理解に苦しむ。ファイトクラブの設立、合法的な運営に留まればよかったのにと思料する
 ・「生」を感じること、そしてその反対側にある「死」を意識して今を能動的、自分で切り拓くことがメッセージと受け止める。そのために決められたルールに従うばかりでなく自分でルールを決めるという本作品について目から鱗が落ちる点もある
 ・25年前の作品であり、今と比べて変わっている点と変わらない点(普遍的なものとそうでないもの)がある。1度は読んで(観て)おいて損はない作品であり、傑作とも言えるのではないか

(第27回)君の名前で僕を呼んで

【本】
〇タイトル:君の名前で僕を呼んで
〇作者:アンドレ・アシマン
〇感想:
 ・同性愛の作品を初めて読むことで未知の感覚と向き合うことになった。"Call me by your name" とは愛の究極の形とのことであるが、その意味を完全に受け入れるのは難しい
 ・作中の描写が繊細でリアルな分、文化的・感情的な隔たりを感じ、嫌悪感が先立つ場面もあった。このテーマに対する向き合い方を改めて考えさせられる
 ・特に作中に登場する果実のシーンは強烈であり、そのメタファーが意味するところを理解するほどに、生々しさが際立つ。愛と欲望がここまで露骨に表現されることに対して、受け止め方が分かれるのも無理はないだろう
 ・「嵐が丘」のヒースクリフとキャサリンも「私はあなた」と口にすることを思い出す。本タイトルの意味することも同じであり、自らの存在を相手に委ね、相互に溶け合うことで愛の本質に迫ろうとしている。同性・異性の区別を超えた、普遍的な「同一性」が、人間にとって究極の愛の形なのかもしれない
〇評価:△

【映画】
〇君の名前で僕を呼んで(2018年)
〇監督、主演:ルカ・グァダニーノ監督、ティモシー・シャラメ
〇感想:
 ・エリオはイメージ通りに映像化されており、非常に自然。オリバーについては、最初は少し違和感を感じたが、次第にそのキャラクターに惹かれていき、最終的には適役だと感じた
 ・同性間の恋愛にかかる映画のため引いてしまうシーンがちらほらあるので家族で観るのは避けるべき(もちろんのことであるが、この作品が持つ芸術性や美的感覚を否定することはできない)
 ・映画のロケーション、特にヨーロッパ南部の風景や歴史、文化は映像を通して美しく描かれている。これによって、舞台となるイタリアの街並みや風情に憧れを抱かせるのは、映画の大きな魅力の1つである
〇評価:△

【総合】
〇感想:
 ・本(原作)の方がラストが長く余韻を持たせているのに対し、映画はスッキリと区切りをつけて終わる。この違いから、映画監督や制作チームの意図や、原作者との視点の違いなど、背景にある創作過程を想像するのもまた興味深い
 ・作品を通して感じたヨーロッパ南部の文化や風景に触発され、ぜひ一度は現地を訪れてみたいという気持ちが強まった。特に夏のリラックスした空気感や、歴史ある街並みが目に浮かぶ
 ・続編 "Find Me"もすぐにということではないが、引き続きこの物語の世界に触れてみたいという気持ちはあり、いつか読んでみたい

(第28回)赤毛のアン

【本】赤毛のアン
〇タイトル:赤毛のアン
〇作者:L. M. モンゴメリ
〇感想:
 ・幼少期にテレビで放映されていたアニメを観た記憶があるが、その内容はぼんやりとしていて、具体的な出来事やキャラクターの関係性など、正確には覚えていない。今回、本(原作)を読むことで、例えばマシューとマリラが兄妹であることなど、細かな設定を初めて正確に理解した。本(原作)に触れることで、アニメでは感じられなかった深みや魅力を再発見できたように思う
 ・アンの豊かな想像力には驚かされる。自分自身の少年時代を振り返ると、知識を得ることや、物事を覚えることばかりに重きを置いていて、アンのように自由な想像力を働かせることは考えもつかなかった。その意味で、自分は大人になる過程で想像力を手放してしまったように感じる
 ・今になって気づくのは、固定観念にとらわれず、アンのように何事にも自由な発想をもって向き合うことの重要さである。これからは、過去の経験に縛られることなく、様々な出来事をより柔軟に、そして想像を働かせて捉えていきたいと感じた
 ・アンは少し変わっている部分もあるが、その純粋で人間味溢れるキャラクターは憎めず、周囲の人々も彼女に対して優しさを見せる。こうした温かみが、老若男女問わず多くの人々に愛され続ける理由の1つなのだと実感した
〇評価:◎

【映画】
〇赤毛のアン(2015年)
〇監督、主演:ジョン・ケント・ハリソン監督、エラ・バレンティン
〇感想:
 ・本(原作)の内容に忠実に映像化されている。『赤毛のアン』は世界的に有名な作品であるため、映画で大きく内容を変更することは難しかったのかもしれない。むしろ、原作のファンの期待に応えるために、忠実な再現が求められたのであろう
 ・アンが語る「すべてを知っていたら、人生の楽しみが半分になってしまう」という言葉に強く心を打たれた。この言葉には、知らないことを楽しむ姿勢や、想像することの喜びが込められており、それがアンの豊かな想像力に繋がっているのだと感じた
 ・映画では、アンとマリラが対立しつつも、次第に信頼関係を築いていく過程が丁寧に描かれている。そして、そんな2人を静かに見守るマシューの姿には、多くの共感を覚える。彼の無言の優しさと支えが、物語に温かみを与えている
 ・特に感動的なのは、終盤でマリラがアンを引き留めるシーンである。原作を読んでいるため結末は分かっているが、それでもやはり心に響くものがあった。このシーンは、映画ならではの映像表現によって、さらに感動が深まったように感じる
〇評価:○

【総合】
〇感想:
 ・原題が "Anne of Green Gables" であることを知ったときは少し驚いた。長年、邦題の「赤毛のアン」に慣れ親しんできたので、てっきり "Red" がどこかに入っていると思い込んでいたが、実際は「緑の切妻屋根の家」とは。邦題「赤毛のアン」は、そのキャッチーさと分かりやすさで日本における認知度を大きく高めたと思うが、今日では「赤毛」という表現が差別にあたるとして、このようなタイトルは難しいかもしれない
 ・子どもの頃は、主人公が女の子であることから、この作品にあまり関心が持てなかった。しかし、時を経てあらためて本(原作)を読むと、全く異なる感覚で物語を楽しめた。アンというキャラクターの魅力が、今ようやく理解できた気がする。彼女の個性や成長に共感する部分が多く、大人の男性でも十分に楽しめる作品だと感じた。読者層を広げる意味で、子育てが一段落した男性にもぜひお勧めしたい作品である
 ・いつかやりたいことの1つとして、この「赤毛のアン」シリーズ全巻を読了し、その後プリンスエドワード島を訪れることを思い浮かぶ。現地の風景や文化に触れながら、アンの世界観を追体験することはとても面白そう
 ・同様に、『赤毛のアン』を初め他の海外文学を通じて詩にも興味が湧いてきた。欧米では詩の朗読会がよく行われているようであるが、日本では詩に対する認識がまだ低く、自分にとっても詩は未知の分野である。まずは詩に触れる機会を増やしていきたい

(第24回)ミスト

【本】
〇タイトル:ミスト
〇作者:スティーヴン・キング
〇感想:
 ・霧が物語の中心に据えられているが、この霧は何なのか、どうやって発生したのか、そしてその中には何が潜んでいるのか。読み進むほどに謎が深まり、物語に引き込まれていく。
 ・特に霧という日常的な現象を題材にしたキングの発想力には驚かされる。普通なら誰も思い浮かばない霧をホラーに仕立て上げる独創性に驚く
 ・スーパーマーケットに閉じ込められた人々が、未知の怪物に対する恐怖に苛まれる様子が描かれている。その恐怖が集団心理を揺さぶり、混乱と分裂が生まれていく様子はリアルで、読者としても緊張感を抱く。しかし、登場人物が多いうえ、ファーストネームやファミリーネームが混在しており、またスーパーマーケット内の構造が複雑なため、誰がどこで何をしているのかが把握しづらい
 ・霧の発生や怪物の正体については、仄かに手がかりが与えられ、読者が自分なりに推測しながら読み進める楽しさがある。だが、いざ結末を迎えると、あまりに曖昧で何も分からないまま終わる。手がかりは示されているが、それがどう繋がるのかは読者の想像に委ねられる形である。夢の中の出来事で片づけてしまうよりははるかにましだが、すっきりしない部分も残る。映画での描かれ方に期待が高まる
〇評価:○

【映画】
〇The Mist(2007年)
〇監督、主演:ランク・ダラボン監督、トーマス・ジェーン、 ローリー・ホールデン
〇感想:
 ・冒頭、嵐のシーンが少し短く感じたが、湖畔に立つ大きな家や湖、ボートに象徴されるアメリカらしい生活風景に引き込まれた。特に過去にレイク・タホで見た、ボートを牽引する大きな車の光景を思い出し、懐かしさが蘇った
 ・全体的には本(原作)に忠実な作りで、霧の中の怪物の描写も本(原作)のイメージと大きな違いがなく、視覚的に違和感なく楽しめた。特に怪物との対決シーンは迫力があり、恐怖感を煽られる。一方で、時折登場する残酷なシーンは、ホラーが苦手な人には少し辛いかもしれない
 ・都会と田舎の対立や弁護士と芸術家、狂信者など、様々な立場の人々が集団の中で衝突し、混乱が増していく様がうまく描かれている。極端な方向へと突き進む集団心理が見事に表現されており、まるで現実世界でも起こり得るかのような恐ろしさがある。実際に歴史上、このように歯止めが利かなかなくなり、騒乱に発展した出来事もあるのであろう
 ・何より驚いたのは、ラストの展開である。本(原作)とは全く異なり、予想外の結末が待っていた。この終わり方は虚無感と絶望感を与え、主人公同様 "No~" と叫びたくなる。本(原作)の結末の方が、個人的には好みだと感じた
〇評価:○

【総合】
〇感想:
 ・本(原作)は登場人物や状況が頭の中で整理できず、把握しづらい面があったが、映画では最後の車に残った5人をはじめ、誰がどうなったのかが視覚面から容易に理解できる
 ・映画と本(原作)の結末が異なる点だけを知っていれば、映画だけでも十分に楽しむことができるだろう。本作品は、科学と軍事の結びつきがもたらす恐怖、特にアローヘッド計画のように、人類の制御を超えた力を手にした時の恐ろしさを描いていると感じた
 ・つまり、過去の原子力爆弾の発明のように科学と軍事が結びつくと人類にとって恐ろしいことになるということが本作品の言いたいことと受け止めた
 ・また、そのような行為が神に対する冒涜であり、破滅を招くという警告も、作品が伝えたい重要なメッセージの一つではないだろうか
 ・現在の世界情勢を鑑みると、すでにAIの軍事利用がされており、科学と軍事の結びつきが非常に懸念される

(第25回)リア王

【本】
〇タイトル:リア王
〇作者:ウィリアム・シェイクスピア
〇感想:
 ・冒頭から、コーディーリアがリアに対してお世辞すら言わない理由に疑問を感じる。そして、リアがそれに激怒し、彼女を追放する場面には大きな違和感を覚える。父娘の間での対立の引き金としては、納得がいかない展開である
 ・エドマンドは明確に悪役として描かれており、コーディーリアはその対極にある善人である。しかし、それ以外の登場人物については、どちらに属するのかが曖昧で混乱する。登場人物が多く、さらに彼らが変装したり性格が変わったりするため、誰がどの立場なのかを把握するのが難しい
 ・「親が子を裏切り、子が親を裏切る」というテーマが全編に亘って展開され、最終的にはほとんどの登場人物が死を迎えるという悲劇的な結末にもかかわらず、感情が揺さぶられることはなかった
 ・シェイクスピアの四大悲劇の中でも特に難解な作品と感じた。400年以上前に書かれたことを考えれば、現代の文化や価値観とは大きく異なる部分が多く、作品の良さが伝わらなくても仕方ない。専門的な研究者でない限り、読む必要はあまり感じられないかもしれない
〇評価:×

【映画】
〇アンソニー・ホプキンスのリア王(2018年)
〇監督、主演:リチャード・エア監督、エマ・トンプソン、エミリー・ワトソン
〇感想:
 ・アンソニー・ホプキンスによるリア王の演技は圧巻で、彼が演じるリア王の老いと狂気が見事に表現されている。また、本(原作)を現代風にアレンジしている点は非常に巧妙で、本(原作)の古めかしい設定をうまく現代に適応させている
 ・本(原作)を事前に読んでいたからこそ、映画の内容を理解できたが、本(原作)同様に感情的な共鳴は得られなかった。親子の裏切りや悲劇的な結末に対しても、共感するのは難しい
 ・リアは耄碌し、支離滅裂な老人として描かれ、彼を取り巻く裏切りの連鎖が続く。特に姉たちの自己中心的な振る舞い、エドマンドの冷酷さが目につく。最終的には善良なコーディーリアも無残に死んでしまい、物語の意図が掴みにくい
〇評価:×

【総合】
〇感想:
 ・本(原作)と映画の両方を通じて、共感できる部分はほとんど見つからなかったため、深く鑑賞する必要はないかもしれない。知識や教養として概要を知っていれば十分であると感じた
 ・舞台で演じられる『リア王』を観れば、また違った感想を抱くかもしれないが、現段階では特に積極的に観劇したいという気持ちにはならない
 ・「年老いた後、子どもたちに裏切られないよう気をつけなければならない」という普遍的なメッセージが込められているのかもしれないが、地位や権力を持たない人にはそれほど現実的な心配ではない
 ・シェイクスピア全般に言えることだが、古典文学を理解するための題材としては重要だが、特に本作品にはあまり魅力を感じなかった。他のシェイクスピア作品の方がまだ受け入れやすい

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