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Uコンを始めた日。小学校6年生。

今日、

久し振りに小、中学生の頃の友達から連絡がありまして、
63歳になる年齢の我々の同窓会をやるそうです。

この友達というのが、
本人に認識はないのかもしれませんが、私の人生を変えるほどの影響を与えた張本人です。

なにしろ、RC AIR WORLD というラジコン雑誌に
Uコンのページの連載をしたのも、
この友達が影響しているわけですものね。

この友達U谷君は、小学校5年、6年と同じクラスでして、

そういえば、なぜ私をUコンに誘ったのかは、ちゃんと聞いてないな。
今度、聞いておこう・・・

思い出すと、こんな感じに声をかけられました。

記憶では、準備するのに必要な物の中に、
マフラーというのもあるんだけど、

寒い日に首に巻くマフラーではなくて
エンジン音を小さくするために取り付ける物なんだよ

って言葉はハッキリ覚えているなぁ。

その日のうちに
父に相談すると、あっさり『やろう』と
言ったのにはビックリでした。

父も手先が器用で、ライトプレーン(ゴム動力飛行機)の工作とかが上手でして、
Uコンを面白そうって思ったのかと思います。

父は、Uコンに積極的でして、
歩いて10分ほどのフタバ模型(現在の場所とは違うけどね)にて、いろいろと説明を聞いて、
エンヤ19V(5の意味)と、木村模型のエアロスバルを買ったのでした。

後に、初心者には、もっとシンプルな機体の方が良かったと判るのですが・・・

初心者な私は、まだ完成した飛行機が無くて、見学という形で
飛行会に参加しました。

船橋フライングクラブというUコン飛行機のクラブがありまして、
会長がU谷君の一学年上のお兄さんでした。

50年も前、、昔ですな、
東西線が開通した直後で、西船橋から東西線に乗り換えると
沿線は空き地が沢山ありました。
電車が高架線なので、高い位置から空き地チェックが出来るのです。

今日は、あそこにしようと決めた近くの駅で降りて
空き地までのお散歩となります。
実に楽しい散歩です。

小学生の私には、
エンジンを自分でかけて、ニードルを回し、回転調整をし
飛行させるという
そのすべてに、ものすごい刺激を受けました。

エンジンの音も、大人の遊びと感じたし
そのエンジンで飛行させるという
メカニック的であり、スポーツ性もありで、
病み付きとなりました。

U谷君のお兄さんに教えてもらった
『Uコン技術』誌は、未だに大切な物だし、資料としても役立ちます。

何回か、このUコン技術の誌面に船橋フライングクラブの写真が載った事もありました。

この頃の楽しい思い出は、また、いずれ書きたいと思います。

では、またね。。
おやすみなさい。

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