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正しさと読みやすさ

小学一年生の定番の、宿題と言えば「音読」ですよね。
私も一緒に教科書の字を追いながら、娘の音読を聞くのですが、
ついつい細かい部分が気になってしまいます。

今は、「おむすびころりん」が課題なのですが、
娘は書いた通りに読まないで、
自分のリズムで読んでしまいます。

私も多少間違っても、目をつぶることはありますが
先ほど
「しろい おこめが ざあらざら
きんの こばんが ざっくざく」を、

「ざらざら」「ざくざく」
と読んでいたので、思わず
「ここは、ざら ざら
く ざく だよ」
と言っちゃいました。

すると、
「なぜ、正しく書いてないの?
読みにくいから、
読みたいように読ませて!!」
と言われしまい、
言葉を失ってしまいました(^^;

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まあ、宿題がイヤで単にゴネてるな、
とも感じたのですが、

・正しく書かれていない
・読みにくい
→ だから(正しい方で)読みやすく読む
は、ある意味自然な発想なのかもしれません。

同時に、
これは「一年生の国語」の勉強なので
書いてある文字をそのとおりに読むのも、
ある意味、訓練なのだろう
とも思いました

まあ、両方伝えてもふくれっ面中の娘には
今は何も響かないなと思い
黙っていましたが、

子どもに対して、力技で
「いいからこのまま読むの!」
と言うのも
ただただ理詰めで説明するのも
なんだか違う気がしてしまいました。

まあ、私の「深読みオバサン」的な
考え過ぎなんでしょうけどね。

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ただ、敢えて言うなら
ざっくざく や ざあらざら
のような、ことばのリズムを感じる面白さは
正しさや理屈ではない、ということかな?

あ、『音読聞きました』のサインをしなくっちゃ!

それでは、また。

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