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過ぎたるは及ばざるが如し

一緒に朝の散歩をしていた友人が怪我をしてしまい、
一人で散歩するようになって、約2ヶ月が経った。

今まで3年間、ずっと二人で散歩していたから、
顔馴染みになった人たちにとって、
私一人でいることが、ちょっと特別に映るのだろう。
「今日もひとり?」
「連れの方はどうかされたの?」
声をかけてくれることが多い。
その都度私は、
「転んで怪我をしてしまったんです」
と返答する。
「あら、それは大変。お大事にと伝えてね」
と、皆とても優しい言葉をかけてくれる。

ほとんどの人は、1回聞かれたその後は、
何事もなかったように、ただ挨拶だけを交わす。

そんななか、一人だけ毎朝会うたびに
「今日もひとりなの? まだ治らないの?」
と聞いてくる人がいる。
そのたびに私は、愛想笑いを浮かべながら、
「まだ治らないみたいです」
と応える。
初めは、なんて優しい人だろうと思った。
その人は、友人の回復具合をいつも心配してくれているし、
私が独りで寂しそうだからと、毎朝労いの言葉もかけてもくれる。

だけど、私は最近その人を見かけると、
なんとも言えないどんよりとした気分になるようになった。
今日も聞かれるんだろうか……?
近づいてくるごとにそんなことが頭をよぎる。
そして予想どおり、今日も心配してくれたというわけだ。
それなのに、こんな優しい人のことを少し疎ましく思う自分に気づいて、
私はなんてひどい人間なんだろうと自己嫌悪に陥ったりする。
私は、うまく愛想笑いはできているのだろうか。

「関わる人はみな、我が師である」
私は、生きていくうえでちょっと苦手な人と出会ってしまった時に
この言葉を思い出すようにしている。
その人を嫌いだと思うのではなく、反面教師である、と。
あの人は今、私に何を教えてくれようとしているのか。
おそらく、「過ぎたるは及ばざるが如し」ということではないか。
自分のことを思い返してみると、
様々なシーンで、良かれと思って言い過ぎたり、やり過ぎたり、
ということをやってしまっているかもしれない。

気持ちの良い人づきあいができる人の共通点は、
立ち入り過ぎない人である。
程よい距離感を保ちつつ、かと言ってバリアを張っているわけでもない。
挨拶だけをしてくれる顔馴染みの人のことを、
心配してくれない冷たい人だとはまったく思わない。
むしろ、そっとしておいてくれる優しさすら感じる。

「過ぎたるは及ばざるが如し」というが、
もしかしたら、「過ぎる」ということは「及ばざる」ことよりも
人を傷つけてしまうこともあるのかもしれないと、
ふとそんなことを思った朝だった。



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