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ラーメンで非合理性と向き合う

昨夜は体の具合が悪く、よく眠れなかった。
理由は分かっている。
夕方、インスタントラーメンを食べたためだ。
若い頃はあんなに大好きだったインスタントラーメン。
数年前から、体が受け付けなくなってしまった。
味もさほど魅力的に感じなくなってしまった。
なのに、数ヶ月に一度、
無性にインスタントラーメンが食べたくなるのだ。

切らしていた牛乳を買うために、コンビニに立ち寄った。
牛乳だけ買って出るつもりが、
なぜかラーメンのコーナーでふと足が止まる。
私の中の理性が忠告してくる。
「これを食べたら絶対に体調が悪くなるからやめなさい」
けれども、別の自分も囁きかける。
「もしかしたら今回は大丈夫かもしれないよ」
そこまでしてラーメンが食べたかったわけでもないのに、
今回はいけるかも、という方にふと賭けてみたくなった。
結果は、玉砕。
私はまたもや賭けに負けてしまった。
選んだミニラーメンはあまり美味しくなく、
2、3口啜った時点でひどく後悔していた。
そこでやめておけば良いものを、なぜか完食してしまった。
そして、胸焼けに苦しむことになったのである。
次第にムカムカしてくる胸をさすりながら、
この失敗はもう二度と繰り返してはなるものかと、
きつくきつく誓うのだった……。

こんな流れを、私は数ヶ月に一度繰り広げているのである。
なんと愚かで馬鹿げた行為だろう。
それはもう痛いほど、重々承知している。
なのに、そうと知りつつ繰り返してしまうのは、
悲しき人間の性なのだろうか。

頭ではちゃんと理解できているにも関わらず、
敢えてそれから外れた行動をしてみたくなることがある。
幼い頃に、「危ないからそっちに行ってはダメよ」と言われて、
無性に行きたくなったが、それとは全く異なる現象だ。
そっちに行きたくなるのは、
何があるか知りたくて、確かめたくて、行きたくなる。
でも、私がラーメンを食べた後の体調がどうなるかは火を見るより明らかだ。
そんな理不尽な行動をしてまでも、
自分で立てた仮説を「ああ、やっぱりね……」と納得したいだけのかもしれない。

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