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noteを始めたきっかけ

noteを始めてみようと
ふと思い立ったのが20日ほど前。
20日が経過して、
あれ、そもそもどうして私はnoteに思いを綴ってみようと思ったのだっけ。
別に、新年明けたから今年の抱負として何か新しいことを始めてみよう、
とか、そんな人様に堂々と披露できるようなきっかけがあったわけではない。
ただ、本当に、ふと思ったんだな、と。
でもその、ふと、になる何かきっかけがあったに違いない。
私は思いを張り巡らせた。

ひとつ、これではないかと思うことがあった。
noteを始めた前日、私は行きつけの美容室に行った。
もうかれこれ20年間、月に一度お世話になっている美容院で、
私は、その美容師さんととても馬が合う。
私が一方的にそう思っているだけの可能性もなくはないが、
いつも髪を切ってもらいながら
私と話す内容を1ヶ月間ずっと溜め続けていて
私が来るのをずっと待っていた、と言ってくれる目は
嘘をついているようには到底見えないし、
私も日々の中で、面白いことや感銘を受けたこと、気づいたことなど
誰かに無性に伝えたくなった時に、
真っ先に頭に浮かぶのはその美容師さんだから
多分、本当に馬が合っているのだと思う。

その美容師さんと私は
気になった出来事や、ニュースなどの
目の付け所がとてもよく似ている。
多分、感性が似ているのだと思う。
先日は「悟り」について、
それぞれの主観を
シャンプーをしてもらいながら話していた。
それぞれが捉えていることの細部は違うところがいくつかあったが、
大筋は同様の捉え方をしていた。

その日私は、家に帰ってからもずっと気分が良かった。
なんだか心がとても軽かったのだ。
夜、湯船に浸かりながら、ずっと考えていた。
なぜ、今日はこんなにも清々しい気持ちなのか。
あの美容師さんと話した時間が、とても楽しかったからだ。
では、なぜ楽しかったのか?

それは、「共感」を得られたからに他ならなかった。

自分とまったく同じ考えを持つ人は、
この地球上にひとりとして存在しない。
50歳を過ぎて、それが嫌というほど分かってきて、
そんなものだと、なかばあきらめの境地に入ることで、
かなり楽に軽く生きることができるようになった。

でも、人は「共感」を得られると、やっぱりうれしいのだ。
他人の、自分とは違う考え方の部分を教えてもらったりして
それが自分のさらなる新たな気づきにつながっていくことも大いにある。
意見を交わし合うことで深まっていく仲もある。
でも、やっぱり「共感」が得られるということは
何事にも変えがたい、至福や安心感になるのだ。

現代は、自分の考えを世界中の人に発信できるSNSというツールがある。
このnoteもまさにそうだ。
では、人はなぜ発信するのか。
それは、ただ「共感」を得たいから。
この世界にたった一人でいい、自分の考えに共感してくれる人がいたら、
それは、とても幸せなことなのだ。

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