報告書

報告書


村上さんは「ぼ、ぼくは米田さんと一緒にお仕事できてめちゃくちゃ嬉しい」と言った。私は村上さんの純朴な瞳に気圧されて、ぎこちない笑みを浮かべて「ありがとうございます」と言って俯いた。何でこんなことしているのだろうか?とふとよぎった。良くない思考だ。そうとわかっていても、良くない思考を止めることができない。何の意味がある。意味なんて求めていないくせに。村上さんは「い、一生懸命お仕事して、ホームの人と旅行に行きます」と元気よく宣言した。
心にもなく「頑張りましょうね」と言った私の顔は最高にブサイクな気がした。

施設の車がものすごいスピードを出して走っていた。もしくは、私の住むマンションの駐車場に勝手に止めるなとか。おたくの施設は職員にどういう教育をしているんだ的なクレームの電話が、月に一回乃至二回はかかってくる。
事務員の私は謝りながら、然るべき部署に取り次ぐ。後は野となれ山となれだ。時には、電話だけでは満足できず、施設に乗り込んでくる猛者もいる。しかし、恐れることはない。電話口で謝るか、窓口で謝るかの違いにすぎない。窓口で私が謝り、本格的な謝罪等は事務長におまかせする。
事務長は人当たりの良さにステータスを全振りしたような人物なので、乗り込んできた人のほとんどが何故か笑顔で帰っていく。そんな事務長の神対応にすげえなと思いいつつ、矢面に立つ立場にはなりたくないもんだと、一事務員であることに安堵する。
私は福祉施設で働いている。特養とデイサービス、訪問看護が一体となった施設だ。介護施設には介護施設特有の匂いがあって、尿と加齢臭と何かいい匂いとは言い難いものを混ぜた匂いだ。だが、臭いかと言われたら、不思議と不快感は少ない。心做しか落ち着く作用がある気がする。私だけの感覚かもしれないから、同僚に言ったりはしない。
村上さんは施設の清掃員だ。彼はダウン症で事務長いわく小学校低学年くらいの知的レベルらしい。背が低くて、くりくりの坊主頭で初対面の時、思わずかわいいと思ってしまったが、後から彼の方が四つも年上だと知って驚いた。私は事務の仕事とは別で村上さんの指導を頼まれている。指導と言っても特別なことをするわけではない。少々、サボり癖のある彼をたまに見に行って、四角いところを丸く拭いてないかとかちょっとした口出しをする係だ。それ以外は基本的に彼の報告を信用することにしている。これからどこの掃除をするか事務所まで来て報告してもらうのだ。
事務長から村上さんの指導を頼まれた時は、正直戸惑った。彼の仕事ぶりを報告する報告書を作り、毎日提出するようにと言われた。事務長によると、同じ障害者雇用の職員として、私にはリーダーになってもらいたいらしい。リーダーなんて私には向いてないと思った。そうそう、私は障害者雇用でこの仕事についたのだ。
大学でヒモ彼氏に手酷くフラれてから、鬱になり、三年引きこもって、ようやく就いた仕事がここだった。職員同士の仲が良く、これが所謂アットホームな雰囲気というやつかと思う。私の知らないところでギスギスした人間模様があるのかもしれないが、見えないならないも同じである。まあ、そんな感じで事務員として働き始めて二年が経つ。そろそろ慣れてきただろうからと、村上さんの指導を頼まれたわけだ。
村上さんは人懐っこい性格で、無愛想が服をきて歩いているような私にも、物怖じせずに話しかけてくれた。昼休み、隣に座って彼が暮らすグループホームでの出来事をジェスチャーを交えて話してくれた。人付き合いが得意とは言えない私としては、最初のうちこそ戸惑ったが、向こうから気軽に話しかけてくれることで直ぐに打ち解けられて助かった。他の職員と打ち解けていなかったわけではないが、村上さんには親愛の情を持って接していた。
しかし、指導する立場になってから、村上さんはよそよそしくなった。明らかに私のご機嫌をうかがうようになった。仕事をサボっているところを何度か注意したのがいけなかったのだろうか。
報告書には村上さんのその日の業務内容と、勤務態度、改善点を箇条書きにして提出している。最初はありのままにサボっていたことや、いい加減にしていたことを報告していた。報告の度に事務長からはサボらないようにちゃんと見といてよと言われた。もしかしたら、事務長から村上さんに何か注意したり、指摘したことがあったのかもしれない。彼の態度が変わってから、私の報告書も次第に変わっていった。採点が甘くなったのだ。というより、無理やり嘘の報告をした。サボっていても、見て見ぬふりをした。いい加減に拭いていても、指摘しなかった。報告書には真逆のことを書いた。
私は嘘の報告書で村上さんとの友情を再び手に入れようとしたのだ。しかし、それがかえって村上さんの態度を硬化させるだけだった。村上さんは日に日に私に気を使うようになり、訊いてもないのに、どこどこの掃除は終わりましたと、報告するようになった。つまり、ちゃんとやってますアピールを露骨にするようになったのだ。私は戸惑った。しかし、嘘の報告書をやめられなかった。
ある日、昼休みに村上さんは私が他の事務員と昼食を食べているところに入ってきた。
「ぼ、ぼくは米田さんと一緒にお仕事できてめちゃくちゃ嬉しい」と席に着くなり他の事務員に訴えるように言った。米田とは私のことだ。私は「ありがとうございます」と言うのがやっとだった。早くこの場を去りたかった。その場にいた事務員がよかったねと村上さんに優しく声をかけていた。彼に悪意はないのだ。むしろ、彼なりの一生懸命なのだ。それはわかっているのだが、何でこんなことしているのだろうか?ふとよぎってしまった。

その日の午後、デイサービスの送迎車が猛スピードで走っていて、危険運転をする職員がいる職場なんてどうかしているという旨のクレーム電話を受けた。さっさと謝ってデイサービスの主任に取り次ぎしようと思った。しかし、口は謝罪とはかけ離れた言葉を吐いていた。
「うるせえな!」それだけ言うと、私は電話を切っていた。事務所は静けさに包まれていた。私は自分が仕出かした事の大きさがわからなほど馬鹿ではなかった。しまった!と思ったがもう遅い。
数分後、電話の主と思われる老人が事務所に詰めかけた。窓口に立った私は何食わぬ顔で「そんな電話がかかってきたなんて記憶にございません」と言った。事務長がすぐに私を押しのけて、深々と頭を下げた。

私は何もかも投げ出して、そのまま帰った。そして、そのまま二度と出社することはなかった。またしても引きこもり生活に逆戻りしていた。失業手当が切れるまで引きこもるつもりだ。しかし、何がいけなかったのだろうか。嘘をついたからか。それともはじめから全て私がいけなかったのか。もう辞めたから答えなんて出さなくていいよねって自らに言い聞かせていても、ぐるぐると思考は巡る。村上さんはサボり癖はあっても嘘つきではなかった。
「米田さんと一緒にお仕事できてめちゃくちゃ嬉しい」
あれは本心からの言葉だと信じたい。もう何もかおわってしまったのに、この言葉だけが今も私を励まし、同時に私を苛むのだった。

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