歌舞伎町文学賞一次通過作品『歌舞伎町では歌えない』


それは夏。きみは私が見えなくなるまで見送った。と思う。私はただの中学生だけど、アコギ一本でどこへまで行けるか試したかった。できれば、歌舞伎町まで行ってみたかった。

「本当に行くんだな?」
先生と二人きりの体育館。私は『血反吐を吐く』という文字列を意味もなく浮かべていた。体操着からほつれた糸がてろてろと飛び出しているのを見つける。体育シューズの靴紐が縦結びだと気がつく。
「そこまでして探すものなのか。きみにとっての人生ってやつは」
私はほつれた紐を爪で切ろうとしながら、先生の言葉に耳を傾けていた。先生はおじさんだ。おじさんで体育教師だ。おじさんは観念的な生き物だ。ましてや体育教師となると尚のことだ。観念的な生き物は私のようなただの中学生の扱いを知らない。だから、先生に相談したんだ。「先生、人生ってなんだと思いますか?私、それを探しにこれから死ぬ予定のじいちゃんの形見のアコギを持って歌舞伎町へ行きます」と。
私は明日旅立つのだ。名前しか知らない街、歌舞伎町へ。

じいちゃんは毎日のように言う。「もう時期俺は死ぬ」と。だから、朝起きる度にじいちゃんが死んだんじゃないかと思ってひやひやする。だけど、じいちゃんは今ところ一度も死んでいない。私の見ていないところでこっそり死んでいるのかもしれないけれど。私が音楽の授業が死ぬほど嫌いだとじいちゃんに告げた日、じいちゃんは私にアコースティックギターをくれた。これは形見。そう思った。そして、このアコギをかき鳴らして、路上で歌う私の姿が浮かんできた。その時、意味もなく『テッペンハゲタカ』という文字列が浮かんでいた。

シューベルトとバッハとドボルザークは名前だけ知っている。私が東京に行くと知ってきみは駅まで駆けつけてくれたけど、できれば来て欲しくなかった。
「運命って誰の曲?ジャジャジャジャーーーン!ジャジャジャジャーーーン!ってやつ。あれはシューベルト?」
「きっとバッハだよ」ときみは優しく微笑んでいた。
そんな私のかき鳴らすギターのメロディーを、聴いてください。きみにはもっと無関心でいてほしいのです。でないと、歌舞伎町では歌えない。『ねえ、もしも…』って歌いかけたんだけど誰の何の歌か途端にわからなくなる。
「下手っぴだね」ときみは笑った。
「まだじいちゃんが死んでないからね」と私は意味ありげに言ってみた。一見意味のないことでも意味ありげに言うと後から意味がついてくる。人はそれを言霊という。とか、後付けの説明をして大変満足。

東京って西海岸?東海岸?ブーンバップなの?ドリルなの?それともメタル?『睡眠は死の従兄弟』なら私はたぶん従姉妹だよね?え?歌舞伎町には海がないの?それ、早く言ってよ。お父さんはよくヒップホップを聴かせてくれた。ファロア・モンチの『Simon Says』を聴かせると機嫌が良くなる赤ん坊だったっていつも言うの。でも、私ったら全然ラップを聞き取れなくて、それでもクラスでムカつくことがあったら「マザファカ!」って言うことにしてる。きみにもよく言ったよねマザファカ!って。だってムカつくんだもん。フリでもいいから私には無関心でいて欲しいのに「別に気にしてないし」とか言われたいのにきみってば私の気持ちも知らないで「行かないで」とか言っちゃう。マザファカだよね。

で、まだ見ぬ理想郷歌舞伎町を求めて私は電車に揺られているわけだ。じいちゃんが私に一万円札を三枚と五千円札二枚を渡してくれた。お父さんからは東京についたらまずお母さんに連絡を入れなさいと言われている。無事に帰ってきてねときみからのメッセージ。私は空調が効いているはずなのに酷く蒸し暑い車内のせいにして既読無視した。ごめんね、先生。ホントは人生なんてこれっぽっちも探していない。私はアコギをかき鳴らしてきみへの愛を、いや愛がなんだかわからないからこれは嘘だ。私はアコギをかき鳴らして、きみへの愚痴を、これは正しい実に正しくかき鳴らすのだ。電車は次々知らない駅を通過していく。私は何も知らない。そして、誰も私を知らない。大丈夫?ってきみからのメッセージ。『OK 余裕』

夜。無人駅で降りた。無人駅で降りてみたい衝動に駆られて、いや、衝動に狩られて無人駅で降りた。ここは東京じゃない。東京の空には星がないってじいちゃんが言っていた。ここには星しかない。私はギターをかき鳴らして歌ってみた。『ねえ、もしも…』そこからは知らない。ここまで来たらきみはもう私を見つけられないよね。ジャジャンカワイワイかき鳴らしたらそれなりに弾けている気がしてくる。ジャジャンカワイワイ。ジャジャンカワイワイ。

ねむけ
みずからをみずと
おもう

 りゅ
    う
      へ
        か
         りゅ
            う
              へ
ひるとなくよるとなく
よあけにむかって
かえりみず
おちていくみず

路上ライブって許可がいるのね。知らなかった。私は父譲りのB-Boyイズムを誇っているので、ポリ公のお世話になる訳にはいかない。そんなのとてもマザファカだわ。雨上がりの泥濘んだ道を歩く。舗装されていないからぺちゃぺちゃと泥を踏む音がする。前からトラクターが来る。狭い道の端に避ける。トラクターのおじさんが興味津々で私を視線で舐める。先生と違って観念的じゃないおじさんだと思う。観念的じゃないおじさんに私も好奇心を(たぶん汗腺あたりから)一心に放つ。でも、トラクターはそのまま通り過ぎてしまう。

ただの中学生でもここまで来れたって旅がしたかったのかも。私ね、先生。将来は面白みのないオトナになりたいの。面白みがないってすごくない?どんな人も絶対どこかは面白いんだもん。それがひとつも面白くないの。じいちゃんがホントに死んだらどうしよう。私面白くなっちゃう。きみも言ってたよね。「なんかエモいね」って。それからトラクターの観念的じゃないおじさんのご家族に手厚く歓迎された私は残念無念帰りの電車に乗っていた。楽しかったなぁ。おじさん一家はみんな私のジャジャンカワイワイ気に入ってくれて。『ねえ、もしも…』しか言ってないのにもう大爆笑。

私、わかったの。歌舞伎町では歌えない。お父さんもお母さんもじいちゃんも先生もきみもみーんな嫌いになれないから、歌舞伎町では歌えない。ねむけ。みずからをみずだとおもう。かりゅうへかりゅうへひるともなくよるともなくかえりみずおちていくみず。目がさめて、そこは知らない街で、私はまだ歌舞伎町にむかっていた。

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