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カフェオレ広場を読んで(その3)

今回でカフェオレ広場season3の感想はラストです。

前回は木葉揺さんの『街の灯』まで書きました。
それではさっそく前回同様敬称略でいってみよー


こんな夜にかぎって 星野灯

「ほかほか」「つらつら」「なみなみ」「せらせら」各オノマトペに語り手の感情の起伏を感じた。
真夜中で他の店は「全て閉店時間」で「こんな夜に限って ハンバーガー」。故人を思うと「こんな夜」なのだが、「こんな夜」だから「ハンバーガー」というどこにでもある日常が心にそっと寄り添うのだろう。

ギフト

「与えらていたことに/気づいていく」それは自らが「与え」る側になることでもある気がする。だから、「できないが/増え」「できていたことを/知って」「もう一度/産まれなお」すのだろう。


潮騒 よしおかさくら

「私は海だったのか」
まるで原初の記憶にアクセスするように海を前にして人は言い知れぬ懐かしさを覚える。それは一瞬のことで「呼ばれて振り返り」「ひとことふたこと話した」が会話の内容は判然としない。いつの間にか「水は濁り」「全ての小魚たちも居なくなった」。混沌とした今が眼前に現れ何度も「振り返り」どこともなく帰路につく。だれによばれ、何を話したのか誰も「知る由もない」。


漂流

これも海をモチーフにした作品。こちらも何かつかみどころのない記憶以前の記憶をたどるように「頷き/或いは/首を振り続けて」いる。
午睡の後なのか、夢から醒めた後のどこか遠くへ来たような感覚があったのかもしれない。しかし、自らのうちにある「海は凪いでいる」のだった。


ゑはら ことぶき

パチンコ屋の喫煙所での出来事。日常に少し不思議を混ぜるとストーリーが動き出す。
女性店員の「現実に帰らせない為に」という言葉が不気味だ。それに何でもなさそうなカレーライスに異様な熱量で感動する主人公も不気味だ。果たして彼はパチンコ屋から現実に帰れたのだろうか。答えは………。


甘い匂いを拾う 横尾憲孝(ねねむ)

小児科の待合室に甘い匂いが漂う。子供がビスケットを食べたのだと語り手は想像する。そのことから、子供の家庭環境に思い馳せる。優しさの詰まった作品だが、その優しさには人を傷つける力があると語り手は知っている。だから、「幸いあれ」この一言につきる。


みすずとベジタリアンと私 よしおかさくら

金子みすゞの詩から食べることの意味をかんがえる。ということを吉野家で書いている。
食文化は多くの犠牲の上に成り立っている。日々の食事に感謝したいと思わせてくれる良質なエッセイだった。


【まとめ】
それぞれの「食」への考え方やアプローチ、見え方の違いがバランスよくバラけていて面白かった。
「食べる」というのは体に取り込むわけだけど、取り込んだものを蓄えるまたは排泄するか日々体が答え合わせをしている。
生き方もそう。たくさんの記憶を取り込んで蓄えたり捨てたりしながら成長しているのだと思う。
何かを食べることは同時に何かを捨てているのかもね。そんなことを思ったりした。

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