アマテラスは男装女子でヤマトタケルは女装男子だ

前回の続きです。
https://note.com/nice_cosmos457/n/nc1edcc92f0b9


前回までのまとめ
・ある属性をもつ者(ここでは女性)の権利は慣習によって規定されており、能力に依存しない。
・慣習というのものは究極的には根拠がなく、今までそうであった、という事実によってのみさだめられる。
・慣習は個々人の良心を集合させた宗教が源泉であり、確立された宗教が良心・慣習を補強する。
・伝統的一神教において女性の権利は限定されており、その意味でフェミニストたちはアメリカ黒人と違い男尊女卑を打破するための根拠として宗教の利用ができない。
・そのため、フェミニストの主張は根拠のない現状変更の主張とならざるを得ず、現状の慣習と整合的な主張とそうでない主張を原理的に区別することができない。
・しかし、わが国の神話においては最高神は女神であり、その女神は現在の通念においては男性的とされる行為を行っている。
・そのため、旧来の一神教的価値観を廃し、日本古来の神道的価値観をブラッシュアップすることにより、保守派も納得し、且つ現代の社会に整合的な価値観を提示することができると考えられる。

という事で、今回は神道の価値観でLGBT問題を見ていこう。

LGBT問題というとおおざっぱなので、こいつを二つに分ける必要がある。
①は性的自認の問題で、②は性的志向の問題だ。

LGBTという言葉の中には2種類の概念が混在している。

上でも言っている通り、
①性的自認(自分のことを男と思うか女と思うかどっちでもないと思うか両方と思うか)
②性的志向(①とは関係なく、どっちと付き合いたいか、あるいはどっちとも付き合いたいか付き合いたくないか)

をまず分けて議論していかないといけない。

まずは①から行こう。
いきなり極論から行くけど、自分以外の人が、自分のことを男と思ってるか、女と思ってるか、どっちでもないとかどっちでもあると思ってるか、本質的にはどうでもいいことだ。

ただ、人類は裸で人前に出ない習慣を身に着けていて、衣類がなぜか知らないけど男物と女物に分かれている以上、肉体的には男だけど女の服を着てる、あるいはその逆を見ると正直ぎょっとするよね。

なんでぎょっとするか、それは単純に今の世の中的にそういう人があまりいなくて、僕たちがそれを目にすることに慣れてないからだ。
道を歩いていていきなりシマウマがそこらへんを走ってたらぎょっとするでしょ?

それは別にシマウマを差別してるわけじゃない。

なので今現時点でぎょっとすること自体は許してほしいかな、と思う。

でも、キリスト教徒の価値観ではそれは罪になる。

前回、ジャンヌダルクさんがちらっと登場したけど、彼女が宗教裁判にかけられ、火あぶりの刑になった原因の一つに『女なのに男の格好をしていた』というのがある。そりゃ戦争なんだから身を守る鎧みたいなもん着るよね、
そして女物の鎧なんてないんだからしょうがないじゃん、みたいな忖度はキリスト教にはないらしく、それも罪状に加えられたらしいっすよ。

それを異性装っていうらしいんだけどキリスト教では明確に罪とされているんだね。

これも前回の話に戻るんだけど、わが国においてはアマテラス様はスサノオ君を迎えるにあたって髪型をみずら=男の髪型にしている。

さらに、ヤマトタケルはクマソとの戦争で女装して敵地に忍び込んでいるんだ。

つまり、天皇陛下のご先祖様は女装男子で、さらに先祖のアマテラス様は男装女子ってこと。キリスト教だったら火あぶりだねえ。

という事で、神道においては、自分の性的自認がどうであれ、異性の服を着ることが別に罪ではないんだ。

そして、冒頭でも言った通り、自分が心の中で自分のことを男と思うか女と思うかは自分の心の中の問題だから勝手にすればいいことであって、人がとやかくいう事じゃないよね。あくまでも外から見える形で、男が女っぽい恰好をすること、あるいはその逆が一神教では罪、不道徳にあたる、という事になっているんだ。

という事で、神道においては性的自認が肉体的な性と違っていることに対して何もとがめていない。好きにすればいいよ、という前提だ。

次回は②性的志向について話そう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?