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You Are Emptyについて、語らせてくれ ~周り誰も知らないから~

 世の中流行り廃りはめざましく移り変わり、やれゲームはオープンワールドに限るだのグラフィックの進化がどうのこうだのと絶え間ない成長を続けているゲーム業界。確かに素晴らしく質の高いゲームが増えた一方で造形の細かさや機器の性能アップでプレイまでのハードルはうんと高くなった。PS5もSwitchもXboxSeriesX/Sも高性能PCも持っていない私にとって、最近のAAA級と呼ばれているゲームは遠い蜃気楼のような存在。伸ばした手は霞を掴むが如くすり抜けてしまうのだ。ちな今持ってる最新ゲーム機はXBOX360です。

  最近のゲームはグラが綺麗すぎて目が疲れるし機器もゲーム本体も高ェから古いゲームの方が好きだっていうそこの君!素晴らしいゲームがあるぞ!
ある程度低スペックのPCでも動く2000年代の素晴らしいゲーム達・・・HλLF-LIFE2にNecrovisioNにTimeshiftにDOOM3にPREYにQUAKE4・・・

You Are Empty (2007)

 ではなくYou Are Emptyだ!!!!!!!!
 
何?!知らないだと?!当然だろう日本で発売されてないウクライナ産のB級C級ゲームだから!日本語版なんてねェから!お前ェの席ねェから!
 調べても公式サイトも販売ページもないだと?!当然だPCだけでしか出てないしDL販売ページはいつの間にか消えてるしネットでは違法DLやMOD版がまかり通ってるような状態だから!
 と言うわけで今回は、日本国内での知名度が低すぎて誰も知らないFPSゲーム「You Are Empty」について思う存分語らせてもらおう。ネタバレが多少あるものの、この記事見ても多分誰もやらないだろうからヨシ!

基本情報

ゲーム名:You Are Empty
ジャンル:ホラーFPS(1人用)
開  発:Digital Spray Studios(ウクライナ)
発  売:1C Company(ロシア)
発売時期:2006年10月27日(ロシア国内版)

あらすじ

 1950年代、ソビエト社会主義連邦の軍人である主人公はいつものように朝食を食べ、軍服に着替え、自身の任務を全うしていた。しかし警備任務からの帰宅途中に車に撥ねられ、意識不明の重傷を負ってしまう。
 主人公が事故の昏睡から目覚めた時、ソビエトの街はミュータントの徘徊するゴーストタウンに成り果てていた。一体、昏睡状態だった間に何が起こったのだろうか?主人公は「鉄のカーテン」に覆われたソビエトを彷徨い、街を襲った悲劇の全貌を明らかにしていく・・・。

冒頭早々に車に轢かれる主人公。脳の損傷のおかげで化け物に変化しなかったようだ・・・。

このゲーム最大の魅力

 このゲームは1950年代のソ連の景観を忠実に再現している。第二次大戦事後の情景についての歴史的資料は少なく、このゲームが発売される前は当時のソ連の様子が美麗なグラフィックで描かれるということで話題となっていた。重苦しく淀んだ空気感は他のゲームでは味わえないものがある。重火器に加えて自販機や地下鉄路線図にいたるまで当時のガジェットを再現しており、ソ連観光にはうってつけと言える。ソビエトロシアでは人民が、モスクワの全てがあなたを歓迎する!(モスクワをイメージした街らしく、モスクワそのものではない)

1950年代のソ連の様子が忠実に再現されたマップ。影やオブジェクトの配置が素晴らしく、
独特の不気味さを醸し出している

一本道ストーリーのFPS

 このゲーム、正直に言ってシューティングゲームとしての完成度はあまり高くない。いや、ひとによってはとんでもないクソゲーに感じるかもしれない。一本道のマップ。特定の場所通過がトリガーとなって現れるジャンプスケア的な敵の登場。走れない主人公。ブレるエイム。あんま強くないSF武器。頻発するバグとクラッシュ。目的を見失いかけるゲームライン・・・。

ガスマスクマン、ガイコツスナイパー、全身○ケコプター、電撃忍者もどきなど
敵のデザインは奇抜で秀逸。ただ戦闘はちょっと単調・・・。

 だがそれが良い。
 私は無難にまとまっていて万人受けする神ゲーよりも、誰もが拒絶反応を示す中で一定の人に刺さりに刺さるクソゲーの方が好きだ。私は、皆が口をそろえて素晴らしい!と褒め称える流行りモノに、常に逆張りしていたいタチなのだ。高級で厳かな料亭やSNS映えレストランもいいけれど、ジャンキーなカップ麺だって食いたい!むしろカップ麺の脳身体神経を破壊する感覚をより味わいたい!といった感じだ。
 死んだソ連の街を徘徊するミュータント達は皆、重苦しい街の雰囲気に紛れて獲物を狙う。閉塞感のある街で起こる至近距離での戦闘!銃弾のちょっとやそっとじゃ怯まず突っ込んでくる化け物達!最高じゃないか!
 紆余曲折ありながらも、大手にはできないことを平然とやってのけるッ!そこにシビれる!憧れるゥ!いや、やっぱり憧れはない。

誰も知らない”無名の英雄”の物語

 このゲームの開発元はウクライナのDigital Spray Studios。ウクライナ・ロシアのゲームは暗く希望の見えない物語が多い。S.T.A.L.K.E.RMETROシリーズなど、戦争や人の欲望を題材とした、プレイヤーに強く訴えかけるメッセージ性がある。
 このゲームもそうだ。
 You Are Emptyに二人の主人公がいる。一人はプレイヤーが操作する元ソ連軍人。もう一人は街に起こった惨劇に深く関わってくる天才科学者だ。
 劇場、映画館、地下鉄・・・街を彷徨う主人公は一連の事件がソ連の国家主導プロジェクトによって発生した事を知る。
 それは、特殊な周波数で脳の活動を活発化させることで強制進化を促し、人民の知能レベルと運動能力を飛躍的に上昇させる「超人化計画」。それと同時に人民を完璧にコントロールすることができる監視体制を敷くための布石。ミュータントや狂った人々は、皆があらゆる面で平等なユートピアを築くという歪んだ思想による実験のなれの果てだったのだ。

ソ連の規律を守る軍人であり、傍観者だった主人公。真相を探るため、
街を徘徊するミュータントと闘うことを決意する。

 絶対に交わることのなかった二人の物語が最終的に結びつき、彼らは生き地獄を終わらせるために決断を下すことになる。だが、英雄的な行為を行った筈の主人公達の末路と、その後の世界には本当に救いがない。 
 無名の英雄によって最悪の事態は未然に防がれた。だが未来もとい現在はどうか?彼らのした決断は誰からも忘れ去られてしまった。それならば同じ悲劇が何度も繰り返されてしまうのではないか?私達の存在も選択も、彼らと同じように意味の無い虚構ではないのか? 

 私達は皆々所詮、空虚な存在に過ぎないのではないか? 

社会主義的教育によって才能をいいように利用された天才科学者。
その末路には目も当てられない。

 このゲームのタイトルは「You Are Empty (お前は空っぽだ)」だ。人民の魂が抜けたソ連の街を彷徨い、最終的に決断をしたプレイヤーに待ち受けるのはどうしようもない現実と虚しさ。そして突きつけられるタイトル。 
 砂利の中で光る一粒の砂金の如くほんの小さな、しかし特別な輝きがある。これだからB級C級Z級ゲームてのはやめられねェんだ。

言葉では語らない前衛的なムービーシーン。ソ連の目指した理想と、その最果てを見届けよう。
セリフらしいセリフも特に無く、雰囲気だけでストーリー自体は掴める。

プレイできない(物理)

 ここまで書いてきてなんなんだけど、このゲーム今のPC環境ではほぼプレイ不可能です。古めのゲームなので、WindowsのバージョンとDirectXのバージョンの関係で、Windows8以前のOSでないと起動できない。パッケージ版も日本ではほぼ入手不可能。ネットで無料配布されているようなやつは大半は違法なのでやめとこう。海外ゲームはMODやパッチなどゲームデータの取引が有耶無耶にされている節があるので何故か許されているみたいだけど。
 私はとある実況者さんの動画を見てこのゲームを知ってから、海外サイトにてDL購入。なんとかプレイにこぎ着けた。以前は海外のゲーム販売プラットフォームに販売ページがあったのだが、とっくに消えていた・・・。どうやら発売元の1CCompanyはゲーム事業から撤退しており、DLページも消えてしまったようだ。
 プレイまでの難易度が非常に高いので、実況者さんの上げている解説付きプレイ動画を見るのも良いと思う(というか多分その方が良い)。

虚構の世界・虚構の人間・虚構のゲーム

 このゲームは現代に繋がるようなストーリーラインとなっている(最後のムービーにはウラジーミル・プーチンまで出てくる)。主人公が人民強制進化実験を食い止めた世界線が、現実の世界に繋がっているのだ。

 しかし、全てはエンプティ。所詮はゲームの中に作られ、切り離されたソビエトの世界。登場人物達も、ソビエトの末路も、救いようのないラストも、プレイヤーの行動さえも意味の無いモノなのだ。

 ゲームの世界が虚構なら、現実の世界はどうだろう。

 現実は如何にして現実か。我々の存在や住んでいる世界が虚構ではないと言い切れるのか。もし死んだら全部無になるなら、人間の一生もゲームデータと同じようなモノじゃない?たいした意義・意味も無く存在し、死んだら自己という存在はフォルダからゴミ箱に入れられるように消去されてしまう。そんな風に考えるとゲームの最後に表示される

 You Are Empty (お前は空っぽだ)

というメッセージの重みが違ってくる。

たかがクソゲー。たかが文庫本。されど現実。


 虚人たち (中公文庫) – 1998/2/1 第9回(1981年) 泉鏡花文学賞受賞作

 ここで、筒井康隆著「虚人たち」という本を紹介したい。
 突然本の紹介に移ってしまって申し訳ない。しかし、この本は虚構・虚無を説明したいと思った時に、とても分かりやすい例を呈示してくれているのだ。この本は壮大な実験作で、メタフィクション的な演出がほぼ前編に渡って描かれる。この本の中では流れる「時間」が常に一定で、1ページにつき1分、主人公の時間が進む。そして文章は主人公の意識や発言を常に描いており、改行や読点もなく、主人公が眠ったり気を失ったりするとページが白紙になるなど、一見破天荒に見えて決められたルールを徹底遵守している。

 そして、本著は実験小説であり、そのお話自体にも何も意味が無い。登場人物たちは自分が小説の登場人物であると自覚しており、主人公もランダムで選抜されたキャラクターだという自覚がある。一度もあったことない人が妻娘設定だと分かったり、時折起こるイベントは「全てそうなるよう決まっていた」として片付けられる。そして訪れる地獄のようなエンディング。物語はひどく歪んでいて目も当てられない惨事が起こっているにもかかわらず、主人公はそういうモノだと片付ける。そして世界が、家が、主人公自身が消えていく。自身は虚構だと受け入れ、主人公は本の中という虚構世界の舞台装置から去るとともに、本自体のページも終りを迎える。

 重要なのは、この本の物語や主人公や登場人物の関係やらは何の意味も無いものとして一貫して描かれていることだ。あくまで本の中に存在する虚構の世界、しかし、そこには一定の時間の流れる現実と寸分違わぬ世界が確かに存在する。

 誰も知らないクソゲー、文庫本、そして私達のいる現実世界。それぞれには切り取られた世界と時間が存在していて、それは現実の我々に与えられている「人生」という時間と同義。「ガッポイまたゲームなんてやってんの?」なんて言ってるどこぞの母ちゃんは、自分もゲームと同じような虚構世界に存在していることを自覚していない。ましてや「ゲームなんてしてないで宿題やれ!」なんて言われてプラグ引っこ抜かれる筋合いはない!絶対に!!

たとえ我々が伽藍洞だとしても

 You Are Empty (お前は空っぽだ)のメッセージはもっともだ。プレイヤーがソ連の街を探る為、守る為に取った行為や決断は全て無意味で、ゲーム自体も虚構の世界である。そして、現実世界もそうゲーム内の空間と大差なく、意味や目的、大義を持つだけ無駄なのかもしれない。
 だが、You Are Emptyのプレイヤーや虚人たちの主人公には虚構の虚しさに相反する、決定的に違うものがある。

 それは「考える」という行為だ。

よく考える。普段から我々は物事に、人に真剣に向き合っているか。
常識や偏見が、考えることを邪魔し、放棄する手助けをしているかもしれない。


 このゲームでは主人公の素性は元ソ連軍人だということ以外一切不明で、徹底的にプレイヤーが主人公になりきることができる。つまり、プレイする人によって、考えていること・感じることが全く違うのだ。
 平等に進化を促す超人化実験を「人間とは思えない悪魔の所業」と考える者もいれば、「生まれつき能力で劣った人々へのせめてもの救い」と考える者もいる(私はこっち側だった)。それらは現実での体験で構築された自身の思考と論理によって180°変わる。ゲーム内体験の多くを主人公に代弁させるのではなく、プレイヤー自身に考えさせるのだ。
 虚人たちの主人公である男はどうであったか。彼は一見すると、ただ虚構の世界で決められた物語の流れに乗って、最後には消えるという流動的な「人生」を歩んでいたように思える。しかし、実際は真逆だ。彼はよく考えていた。自分のストーリーラインをただ歩むことを良しとせず、ひたすら考えに考え、たとえ虚構世界の物語であっても省略や放棄を一切許さなかった。それこそ改行無くページがびっしりと文字で埋まってしまうほどにだ。
 

「お前は空っぽ」だからなんだコンチクショー!!!!!!!

 我々のいる現実世界だってそうだ。世の中に、解決できそうもない問題や積年の怨嗟、先行き見えぬ不安がありすぎて、考えることを放棄したくなる。ただ流されるように普通に生きて、苦しみも無く楽に死にたいと思うことがある。一生ポテチ食ってコーラ飲んでゲームして、たまに面白い本を読んで、一生遊んで暮らしたいと思う奴もいるだろう。それは私だ。

 でも、それじゃダメなんだ。

 心を閉ざしても、悲しみや憎しみは消えない。現実がいくら虚構でも、努力で何も変わらないと思っても、生まれ持った変えられぬ違いが雲泥を分けても、逃げ出したくなっても、実際に逃げ出したとしても、私達が虚構世界の登場人物として存在し続ける限りは絶対に逃げられないんだ。今の社会のように、誰もかれも無関心・無干渉のままではいられないのだ。

 そして、ゲームや本のエンドロール後・あとがきのように、我々にもいつか終りがやってくる。人生も、人類も、文明も、宇宙も、いつかは必ず終わる。それはゲーム機のプラグを抜くような、小説が未完のままぷっつり途切れるようなあっけない終り方かもしれない。先進国の子ども達は自信も願望もないというニュースを見た。現代の若者は頭が良いから、よく考えなくてもなんとなく理解出来ていると思うのだ。
 この世界は、そして我々は、あらゆる面で救いようがないという事を。

 でも、正直なところそんなこと考えてどうするんだという気持ちもある。というかそっちの方が強い。どんよりした話になったから、逆に考えてみよう。我々が虚構世界の登場人物だというのなら、その中で我々がどんなヘマをやらかしても痛くも痒くもないし、何度でもリスタート出来るんだ。

 有名インフルエンサーでなくてもいい。世界的大富豪でなくてもいい。世間一般の言う普通という基準をクリアしていなくてもいい。なぜなら、我々は皆「無名の英雄」なのだから。ちっぽけな存在だろうけど、忘れ去られる宿命だけれど、その行動一つ一つは現実という虚構を本当に少しづつだけれど変えていける。そしてそれは時に1つの大きな流れとなって、現実という虚構の物語をほんの少しだけれど変えていける。その証拠に、ソビエトは解体され、ベルリンの壁は壊され、日本は軍国主義から脱却できたではないか。亀のようなトロいスピードだが、我々の世界は良くなってきていると思いたい。いや、思わなければこれまでの「無名の英雄」達の努力や犠牲を否定してしまうことになる。

本当に少しだけの努力が自分を、世界を変えるかもしれない。
だが、科学者は嘲笑と失望の渦に飲み込まれ、その努力を諦めてしまった。

 だから、誰であろうと決断できるだろう。マカロフを引き抜いて、引き金を迷わず引いてド頭かち割ってやる!そうだ私にはできる!ソビエトの兵士にボコボコに殴られ蹴られなんて何のその!精神異常者としてその場で粛正されようが何のその!大学留年して単位ギリギリでも何のその!バイト速攻でクビになって職の当てもなく、一人暮らし中に明日食う者に困りそうでも何のその!
 勇気を持って、現実という巨大な虚構に向かって叫べ!

 「お前は空っぽ」だからなんだコンチクショー!!!!!!!

とな!
  

あとがき

 というわけで好き放題語らせてもらいました。明確な結論や思想があるわけでもありませんが、とにかくこのゲームは良いものだ・・・。
 特にBGMやムービーカットは素晴らしいので是非一度見てみて欲しい。Machine of communismだけでも聴いてほしい・・・超カッケェから。
 あとリメイク作のRemind of emptyなるゲームが開発されてたらしいですが、情報更新が止まっていてどうやら開発中止状態のようです。
 世知辛いですね。最後まで読んでいただきありがとうございました。


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