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想像と理解とゆるすこと⑪

父とサシでスシを食べた。

父と二人きりで食事をするのはいつぶりだろう。
記憶を辿っても辿っても思い出せる場面がない。
もしかして初めてなのか。

いや、母を介護施設に入居させた年に、施設からの帰り道、蕎麦屋に寄ったか…。
でもあの時は妹もいた気がする…。

どちらにしても『父と二人きりで食事をする』行為は私にとってはハードルの高い行為だった。


以前のnoteにも書いたが、若い頃の父は瞬間湯沸し器ですぐに手が出る父親だったので、幼い私にとっては『怖い』以外の何ものでもなく、そんな父との食事は『緊張の時間』だった。

味噌汁をこぼしては箸で叩かれ、肘を付けば「肘を付くな!」と怒られ、音を立てて食べれば「口を閉じろ。」と凄まれる。
箸の持ち方ももちろん厳しく躾けられた。
おかげさまで社会人になってから上司に行儀作法について注意されることはなく、むしろ褒められる場面が多かった。
「躾が行き届いている。」という理由で人事課に配属されるほどに。

そんな父との食事。
私から「一緒に食べませんか?」と誘った。「お話があります。」と。

自分のこれからの人生における大きな決断を下した事、ついては身辺を徐々に整理して、荷物を実家に送りたい事、そして現在空き家となっている実家にゆくゆくは一人で住みたいと考えていること。

母を介護施設に入居させたあの時の決断、父の胃がん手術、義理の両親の死去、娘の将来、そして父の今後。

色々な話をし、沢山の想いを聞いた。

父は父なりの葛藤と不安を抱えて生きていた。
そして父は父なりの感謝を、娘の私に伝えていた。「子どもたちがみんな仲良くしてくれてて良かったよ。」「(私の娘が)本当に良い子に育った。」という言葉で。

それはおそらく、父本人が親と絶縁状態であったがゆえに兄弟姉妹と疎遠だったことと無関係ではないだろう。

ああ、父も一人の人間として自分の来し方を折々に考え、反省し、自分を形作る枠を再構築していたんだな。

もしかしたらこの人は、私が考えるよりも遥かに広大な視点で、子どもたちと妻を愛しているのかもしれない。

ずっと『怖い』だけだった父が、ようやく私の前に温もりを持った人間として現れた瞬間だった。

歳を取るのもまんざらじゃない。
あれだけ憎んで、恨んで、嫌っていた父を、一人の人間としてまじまじと見つめ、心を交わす日が来るとは、25年前の私は想像だにしていなかった。

全てをゆるしたわけではない。
だが、話ができて良かった。
父が生きているうちに、父の口から、父の想いを聞けたことが、私にとっては何よりの幸福だった。

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