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#036 怒鳴る指導は滑稽

 先日、隣の教室からベテラン教師の怒鳴っている声が聞こえてきた。しばらくしても落ち着かない(教師の怒鳴りが)ため、学年主任ということもあり様子を見に行った。人の振り見て我が振り直せという言葉があるが、まさにそのような気分で自分の指導を見直すきっかけになった。

恐怖とストレスしか生まない

 ベテラン教師の怒鳴って指導する姿を後ろから見ていて、一部の児童は耳を塞いでいた。露骨に耳を塞いでいるにも関わらず、その教師は怒っている児童の方しか見ていないので気づいていない。また、怒り感情のコントロールができなくなったその教師は、立て続けに大きな声で怒っていた。周りの児童は恐れていた。また、しばらくの間そのような声を聞き続けることは不快であった。隣の教室で授業をしていた私のクラスの児童も不快に感じていた。(私も)。そのような環境で長時間いるとストレスを感じない方が難しい。

指導効果ゼロ

 今回、指導されていた対象の児童に話を聞いたところ、「何を怒られていたのかわからない。」と言っていた。それもそのはずだ。怒鳴っている教師は、感情的になり論点が次々と変わっていた。後からその学級の子に事情を聞くと「授業中に無断で席を立ったこと」が原因であったらしい。しかし、怒っている内容は「教科書が出ていない。」「みんなの時間を無駄にしている。」など論点がずれていた。
 感情的になると、自分でも整理ができず伝えたいことが伝わらないと改めて感じた。また、怒鳴る指導は、子供のためではなく、自身の感情を満たす欲が目的になっているなと感じた。

まとめ

 結局今回の指導のあり方は、問題があると感じ、管理職に伝え指導してもらった。また、該当児童や学級の児童には担任や私を通じてフォローすることになった。
 この一連の流れを振り返って以前の私の姿を思い出した。大きな声を振りかざし、感情的に怒っていたことがあった。また、そういった指導中に他の教師が来ると自分の指導の正当性を振りかざそうと声を大きくしていた。まさに自分のための指導だった。恥ずかいしい限りだ。自分が見回る立場になり、そういった指導を見ていると本当に滑稽である。そして、そのような指導をした分、子供の心が離れていくのがわかった。その影響は、怒っている対象の児童だけでなく、同じ空間に児童にも及ぶことも感じた。
「人の振り見て我が振り直せ」私が、こういった指導をしないように肝に銘じたエピソードであった。

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