「休職という〈人生の前進〉に繋がらない行動をしている」という言葉を投げかけられて思ったこと

2023年の1月1日から適応障害で休職している。

そのことをTwitterのスペースで話したところ、Twitter上の知人(会ったこともないし、本名も知らない)から「休職という〈人生の前進〉に繋がらない行動をしている」という言葉を投げかけられた。

僕はその言葉に酷く傷ついた。

そもそも「人生の前進」とは何なのだろうか。人生がAからBという場所になるべく早く移動するためのゲームだとしたら「前進」するのをとめて休まないほうがいいかもしれないが、そういうゲームはやりたい人がやればいいと思っている。

僕はTwitterのスペースで「人生の前進」とは何ですか?と聞いてみた。

なんと、「子孫繫栄に資する行動をすること」という回答が返ってきた。
子孫繫栄と休職の関係性を見出すことは難しい。「人生の前進」=「子孫繫栄に資する行動をすること」という言説は、論理的に導出されたものではなく、僕にマウントを取ろうとして思わず吐いてしまった暴言ではなかろうか。

そもそも他者から「子孫繫栄に資する行動をしていないこと」についてとやかく言われる義理は無いし、「休職という〈人生の前進〉に繋がらない行動をしている」という暴言を吐くことは見苦しいことだ。

また、僕は彼と「人生がAからBという場所になるべく早く移動するためのゲーム」であることを合意した覚えもないので、人生観の押し付けもされたという感覚も覚えた。

一人ひとりの人生観を抑圧し、労働をすることができない身体を有する人間に対する差別的発言である「休職という〈人生の前進〉に繋がらない行動をしている」という暴言を強く批判するものである。



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