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【哲学小説シリーズ4】 怪奇!開かずの扉・懐疑主義【動画版あり】

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前編

後編

あらすじ

会議ばかりするブラック企業、懐疑主義ばかりの社員とその洗礼、洗脳、恐るべき上下主義と偏見の恐怖をコメディ、ナンセンスタッチで書く

本編

私の名は先川達夫。今、仕事が辛くて迷っています。うちの会社は見かけは良いですが、中身はとんでもない典型的なブラック企業なんです。

ワンマン社長の中西社長を筆頭に、毎日のように会議が繰り広げられます。一度会議室の扉が締まると、ほぼ夕方まで開くことはありません。そうです、我社の会議室のドアは開かずの扉なんです。

中でどんなことになっているかというと、とにかく社長から始まって末端の社員まで、物事を何でも疑ってばかりの懐疑主義者で、一向に議論が前に進まないんです。
しかも、その社長のかけまくる疑いに疑問を呈しようものなら、ほぼ即座にクビが待っています。

なんでも、社長の信仰する哲学があってそれが懐疑主義として有名なピュロンの哲学ということらしいんですね。

「おい、先川君。話を聞いているのか?」
「は、はい、ちゃんと聴いております!」
「ボソボソとなにか独り言をいってるように見えたが、それなら、この新商品のキャッチフレーズについて意見を言ってみろ」
「は、はい!えーと、えーとですね…」
今私と話していたのが専務の出川さんです。社長の右腕として社内ではナンバー2として有名な頭のきれる方です。おお、そうだ。質問に答えなければ。

「あの、『風薫る柑橘の宿で疲れも癒える』ではどうでしょうか…?」
「ふーむ、『風薫る柑橘の宿』、に、『疲れも癒える』、か。我社の新製品の入浴剤としては、このフレーズはどうなのかな?」
今そうお答えになったのが中西社長です。

「なあ出川君、君は今の先川君の考えたフレーズ、どう思う?」
「はい、確かに新しい商品には柚子や金柑の香りのものもございます。しかし、宿というのはどうか。本当にこの入浴剤の効果が宿を思い起こさせるものなのか」
「疑える、というのか、出川君?」
「はい、大変疑わしいです。もしかして他社のキャッチフレーズを盗用してきたのでは?」
「そっ、そんなことは決してございません!今私が自分で考えたフレーズに間違いありません!」
「それでも、どこかで他社のフレーズを目にしていたとも限りませんよ、先川君。それが無意識に出たのかも。実に疑わしい」
「ですが、ならば他社のフレーズをリサーチするというのはどうでしょう?」
「表向きに出しているフレーズだけが、他社が持っているフレーズとは限りません。その内部に隠し持っているフレーズと競合してしまっては元も子もないではないですか?」

困った。出川さんの「疑わしい」が始まると、底なしに懐疑の目が向けられて、なし崩しに必ずその企画は潰されるのがいつものことなんです。きっと私のアイデアは、出川さんには気に入らなかったのでしょう。
「あの…、私もフレーズを考えたのですが…」
「おや、藤原さん、ではそれを発表してください」

今発言した女性は同期の藤原さん。この会社の中で珍しく懐疑主義でない普通の人で、それも私と同じ若手社員だからまだ入って年数が浅く、懐疑主義の洗礼を受けていないんです。実は、この会社の中で懐疑主義でないのは私と藤原さんだけなんです。藤原さんも、よくこの会社はキツイってこぼしてますが、ここだけの話、出川さんは藤原さんのことが気にいっていらっしゃるようで…。

「では、発表します。『果実のしずくでスッキリおうちスパ!』…いかがでしょうか?」
「す、素晴らしい!」
出川専務は手を叩いて褒めているけど、これ、いつものパターンなんです。このあと、出川さんは藤原さんに飲みに行くことを誘うと思います。いくら藤原さんが断っても毎回誘ってきて、藤原さんは3回に一回は付き合わないと根も葉もないことを社長に告げ口されて首にされかねないと言って、そのことを私が相談されたこともありました。

「まて、出川君。『おうちスパ』のあとのビックリマークだが、本当にそれは必要なのか?そこに効果があるというのは何か疑わしくないか?」
「社長、やはり、強調するところに効果があると思います。」
藤原さんはしっかり答える。度胸あるなあ。彼氏いるのにあのむっつりスケベの出川さんと酒を飲みに行くくらいだから、根性座ってる。でも、今まで一度も誘われてもホテルについて行ったことはないって藤原さんは言ってたな。私はそれを信じるけど、出川さんはそれも疑うんだろうか…。
出川さんはいつも言っています、疑って疑って、寝ても覚めても疑って、そうしてすべてを疑って、疑い尽くして死に瀕したそのときに、突如私は生きる!というのが出川さんのモットーで、名刺にも「死ぬまで疑え、生きる!」って印刷してる人だからな。

「藤原君の意見を、灰田君はどう思う?」
今社長が話を振った人は、上司の灰田さん。うちのカリスマ的存在で、一番仕事ができる人。その威風堂々とした態度が他の追随を許さない。
「私が思うに、藤原さんのキャッチフレーズには、肌の美しさの衰えた人に、明日への希望を感じさせる響きがある、私はそう感じました」
「そうか。しかし、肌の美しさの衰えた人が、我社の製品にそのキャッチフレーズで興味を持ってもらえるだろうか。そこのところが、なんとも疑わしい」
「お言葉ですが、社長」
「なんだ、出川?」
「肌の美しさの衰えた人に、明日があるのかどうか、私はそこから疑わしいかと」
「何!そう言われてみれば、そうかも知れん。しかし、そうでないかも知れん。やはり、この世に確かなことなどないのだな」
「はい、そのとおりでございます!疑えば死に瀕し、突如生きる!我社の新入溶剤は、人々に疑われれば疑われるほど、かえって死に瀕することで突如生きます!」
「そうだ!新商品は、ちゃんとそういうふうに購買者に疑われるようにつくっておいてあるのだからな。でも本当にそうつくれているかどうか、そこが疑わしい!なんて考えることさえ、それさえも疑わしい」
「確かに!それほどの疑わしさが備わってあれば、そこに突如生きて明日につながる希望があります!でも果たしてそれは本当のことなのか?」
「おお、出川君に灰田君、君らの言うことは何から何まで実に疑わしい!」
「はい、社長のおっしゃるとおり、かもしれないですし、あるいはそうでないかもしれない!」
「確かなものは何もないなら、心を開いて我々は手を取り合い、明るい気持ちで死を待ちましょう。もちろん、その時我々に死がやって来るかどうかも疑わしいですが」
「そうだな、灰田君の言う通り、死はやって来るかもしれないし、やって来ないかもしれない、から、何一つ確かなことなどありはしない、というそのことだけは間違いないな!」

私はもう黙ってはいられなかった。
「あの、少しいいでしょうか?私の提案のことですが、私が何を提案しても、いつもいつも却下されますが、そしていつも藤原さんの提案が必ずと言っていいほど採用されますが、我社に私はいらないということでしょうか?」
「出川君、先川君は何を言っているのだ?」
「さあ、社長。はたして先川君は、今の発言で何か主張したのでしょうか。主張しなかったかもしれないということを退けることはできないのではありますまいか?、いや、やはりできませんね。残念ながら、これは明晰なことではなく、私に疑いうるので、そんな判明でないことは私は決して認めません。そもそも、それ以前に彼はいま本当に発言したか、もしかしてゴムマスクをつけていて、その下に自動機械が隠れていて私達は見事に欺かれているのかも知れない。しかし、そう考えることが事実にあたるのかどうか、それすら疑わしい!」
「そうだな。私も認めん。先川君の言ったことはともかく、彼からの発言があったということを、わしはありありと疑うぞ」

「あの、私は正直この会社のやり方にこれ以上ついて行けそうもないです。勤務時間も毎日のように残業があり、過労死するかもしれない不安も抱いてやっております」
私は遂に前から言いたかったことを社長に直に訴え始めた。
「はっきり言って、給料も勤務時間の割には低すぎです。もう少し上げていただくことはできないでしょうか?場合によってはとどまることも考えてみようとは思いますが」
「うーん、君の勤務時間は週何時間だ?」
「66時間です」
「疑わしいな。特に数字が揃っているところが、実に恣意的で疑わしい!なあ、出川君」
「はい、社長!というか、私はそれ以前に、彼が本当に過労死しかかっているのか、そこからして疑わしい」
「確かに!しかも、彼の過労死寸前という主張は明日への希望が何一つ感じられず人間的でなく、許しがたい虚偽である、と私は感じます。人に希望を与えないとは、人として許せない裏切りに値しますよ、先川さんのしていることは」
「うむ、ふと、わしは思ったのだが、彼は本当に先川君なのか?」
「ということは…もしかしたらゴムのマスクを被った他社のスパイ社員かもしれません。しかし、スパイ社員でないかもしれない。海外の某政府の工作員かもしれませんよ」
「確かに、我社の新柑橘系入浴剤を奪って独占販売する気かも知れません、その政府の考えそうなことだ!それでも、疑いは残ってしまう、しかしそれでも、疑いは残らないというのが、本当なのかもしれない」
「あの…命が惜しいので、辞めさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「先川君、君は我社のためには死ねないというのかね?」
「流石に命までは…」
「馬鹿な!明日への希望がない主張をするんじゃない、君!」
「灰田君の言うとおりだ!そこで先川君、仮に、君は我社のために死ねないというのが本当のことだったとしよう。では、辞めて生き延びたら何があるのかね?仮にも我社の社員のくせに、我社のために死ねなくて、その先に生き延びてみたところで、何があるのかね?」
「私ごときの命ですが、何かあるとは思います。」
「あるわけ無いでしょうが!何かがあるなんてなんとも疑わしい!」
「まあ、出川君、ここはわしに任せ給え。なあ、先川君。君の決断の勇気は認めたい。だが、それが本当に勇気なのかどうか、実に疑わしい。わしに疑えるのだから、疑わしい。わしはこうしていま君を疑っとる。いま、このことだけは、疑えまい。わしが君を疑うとき、わしは間違いなく君を疑っとる、このことだけは疑えない!それなのに、過労死寸前とは何だ!わしらが会社を思う気持ちが君には分からんのか!しかしわしらの気持ちというのも、よく考えると疑わしいな。わしは、本当に存在しているのだろうか?存在しているかもしれない、あるいは…」
「社長は確かにちゃんと疑いなく存在されてますよ。しかし、社長は私のことを存在していないと思っていらっしゃるようですが?」
「ええい、君の言うことは疑わしいと分かっておるのに、何をもっともらしいことを言っておる!はっきりと君には言っておくぞ。我社の社員は、我社のために死ぬもの。それを避けて逃げるなどしようとすることは、そんな行為が輝く明日に結びつくかどうかについて、大変に疑わしいことなのだぞ!前言を取り消し給え!」
「いえ、私は取り消したりはいたしません」
「まだ言うか!いいか、我社に一度入ったなら、その社員は我社のために死んでこそ輝くのだぞ!」
「それは何故でしょうか?」
「いいか、社員という言葉をよく聞いてみろ。心を済ましていきいきと感じるその響きを聞いてみろ。Shineと響かないか?それはどういう意味か?シャイン、輝くという意味ではないか!そしてよく聞け。Shineとは、死ね、とも響いてないか?そうだ、社員なら死ね!つまり会社のために死ぬのだ!そうして初めて社員の君はShine、輝くのだ!」
「そうですよ、社長のおっしゃるとおり!君は死なずして輝けるなどと考えているらしいのは、疑わしいにもほどがある!」
「私も灰田君に同意します!先川君が会社のために死んでこそ、明日への希望も我社に生まれるのではないか?」
「そうだ、先川君、君は死ね、そして、明日のために輝け!」
「確かに!君はShine、そして、Shine!」
「わしからも再度言うぞ。君は死ね、そして、明日のために死ね!」
「社長、ドサクサに紛れて、死ねと二度とも言っていませんか?」
「馬鹿な!疑わしい!わしは二度とも死ねと言ったかも知れないし、あるいは言わなかったかも知れない」
「まったく話になりませんが」
「ならば、藤原君に聞こう。そう、それがいい、立案の採用率がトップレベルの藤原君にすべてを決めてもらおう。」
「それがいいですね!」
「確かに!」
「過半数の意見が一致したな!それなのにそうしないなんてことがあったりしたら、それは実に疑わしい!なあ、藤原君?」
みんなが一斉に藤原さんの席の方に振り返った時、そこにはすでに藤原さんの姿はなかった。代わりに一通の封書が置かれていた。
「辞表」
しばしの静寂。
「…思うに、まさか藤原 が某国の工作員だったという真相なのではないのかな…なあ、先川君は同期だから何か知ってるんじゃないか」
そう言って社長が見た先に、先川はいなかった。代わりに一通の封書が置かれていた。
「辞表」
「…いやあ、まさか若手が二人も同時に辞めちゃうなんてな、疑わしいな、なあ、灰田君?」
そう言って社長が見た先には、
「辞表 灰田」
「…ははは、二度あることは三度ある、って流石にないだろう、こんな疑わしいことは、なあ、出川君?」
そう言って社長が見た先には、
「辞意表明書 出川」
もう会議室には社長の1名しか残っていなかった。
「…そうしてみんな、いなくなった、か。神は死んだ。そして明日への希望も、死んだ、な」
社長はニヒルな笑みを浮かべてゆっくりと会議室の窓を開けた。沈んでゆく大都会の夕日が眩しいくらいに差し込んでくる。
「太陽が眩しいから先立つ不幸をお許しください…よし、これを遺書にしよう」
社長は書き置きを机の上に置いて靴を脱ぎ、揃えて置いた。
「これでいいだろう、どっこいしょっと」
社長は窓枠に足を掛けた。
窓の下を見ると、ゴマ粒のような通りを行く人々が見えた。
「ふふふ、あれがゴマ粒くらいの大きさに見えて実は人であるということは、私はいま感覚に欺かれているということだな。最後の最後に、懐疑が妥当であることの正しさがやっぱり証明されたな」
そう言って社長は手を合わせてしばし目を閉じていた。次の瞬間目を開けてこう言った。
「いや、これで本当に死ねるかどうか分からんからやめとこ。これで死ねるとか思ったりしたり、実行してこれで死ねたとか思ったとしても、それらはすべてそう思うように悪霊に欺かれているだけだとも限らんからな」社長は窓枠に掛けた足を再びおろして靴を履き直した。
「やっぱり懐疑主義のおかげでわしは命を救われた。これからも、わしは死ぬまで懐疑主義を続けていくぞ!あるいは死ぬまで続けていかないかもしれないぞ!」
社長は根っからの懐疑主義であった。
そこへ先川が戻ってきていた。
「すみません、忘れ物してて取りに戻りました。」
「工作員よ、去れ!」
「最後に一つお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?社長はご自身が懐疑主義を信じておられることを、お疑いにはなられないのでしょうか?」
「わしが懐疑主義しか信じないのは、疑うことでわしは疑っていることだけは確かだと分かるからだ。そのことが疑わしいと君は言ったな。もし、それが本当だったとしよう。わしが疑うとき、わしが疑っていることだけは間違いない、というそのことが、実は悪霊に欺かれているだけだったとすると、もうなにもかも疑わしい。そこに疑いは確かにある!どんなに困難でも、それでもやはり最後に疑いは勝つ!のだ!」
「何も信じないのですね。自分が勝つためには、信じることもしない。では、何も信じなく生きて、一体何と関係を持とうとされているのですか?」
「関係など求めておらん。わしが勝つこと、それが全てだ。その信念のことも、もしかすると悪霊に欺かれているだけのことなのかもしれず、何一つ本当のことはないのだ。それが確定すれば、それさえもやはり疑える!懐疑主義すらも、懐疑によって否定される。そして、何も残らない。するとそのことが再び疑いなくあることになる!一体どっちなんだ、疑いはあるのか?それとも、疑いはないのか?」
そう言って社長が先川の方を見たが、先川はすでにいなかった。代わりに一通のメモが机の上に残されていた。

「不当な残業の未払いの給料を払っていただきます。これだけは、疑えませんよ。弁護士雇いますから。このことをせいぜい懐疑して否定していてください」

後日裁判が行われ、判決が読み下されている最中に、これは不当な裁判だ!と社長が叫んで暴れ始めて取り押さえられた場面があり、傍聴していた人々の印象に残った。
社長には慰謝料と未払いの給料を支払う義務を課す裁判所命令が下りた。
社長は警備員に取り押さえられながらもボソリと一人つぶやいた。
「こんな不当な判決が確定したところで…それでも、私は疑っている……のか?」
このコメントは次の日の朝刊に載った。


第五話に続く

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