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民族としての誇りと劣等感と憧れ

このお話はこれまであんこが抱えていた

底知れぬ違和感
言いようのなかった感情、想いの

絡み合った糸が解けた

そのことについて

言葉にしてみようと思う

*・*・*・*・*

あんこが高校2年生くらいまで住んでいた実家の近くには

考古学博物館があって

その周辺でよく遊んではいたけど

中に入ったのはたぶん小学生の頃に1回だけ


歴史なんてぜんぶ嘘っぱちだという思いから

ずーっとなんにも興味がなくていました

でもその一回、近所の考古学博物館を訪れたときに

そこに展示されている縄文時代の土器や着物の資料などをみて

『わたしは縄文人だな』

って思ったことは覚えています


いまでこそ縄文ブームと言われているけれど

当時は知能がなく争いばかりしている野蛮人だったと教えられていたから

むしろ弥生人ではないのか〜って嘆いていました


あんこの地元には縄文時代の遺跡がいくつかありますが

そういったのにもまったく興味がなかったのは

自分が縄文人だ
洗練された弥生人ではないんだ

という劣等感から

世界をシャットアウトしていたんだと気づきました


自分の生い立ちに引け目を感じて

いまを自由に生きられない

なんて馬鹿げたことだろうと思うかもしれないけど

自分であり、過去世でもある、このことに劣等感を抱いていたなんて

いまのいままで気がつきませんでした

あんこの時計は縄文時代で止まったままだったようです


『たくさんの歴史の嘘に巻き込まれていた』

そういうふうにも言えなくはないけど

たぶんそれだと前に進めない

いまのあんこはちょっと違うふうに捉えられるようになりました


争いはあった
たぶん負けた
とてつもない恐怖や惨めさを味わったんだと思う

当時の体験もさることながら
後世で罪人と伝えられたり
神話の中で惨めさで表現されていたり
存在自体を消されていたり

これらはあんこ自身というよりは

そういった敗者側のやるせない未昇華な心の集合体のようなもの

きっとたくさん嘆き悲しみ、恨んで怨んで、呪っていたこともあっただろう

彼らがそうなるには
嘆き、悲しみ、恨み、怨み、それらの感情のど真ん中に


間違いなく『愛』があるから


そのことを知ってほしい

愛があるからこそ嘆き悲しんで恨んで怨んで
終わりのない暗い旅路を辿っています


ではなにに対する『愛』なのか?


それは
自分や家族、民族、信仰の対象
であると同時に

自分を貶めた相手側に
でもあります


それは受け容れることは難しいかもしれない


それでもそれを知らなければ

その争いー自分との争いーは決して終わることはありません



あんこの中では
侵攻してきた弥生人がどうやらそれにあたります

古い古い記憶の中のあんこはたしかに弥生文化への憧れがあり

でもこれまでの生活すべてを変えることはそのときできなかったんだと思います

いろんなことがあったと思います


それでもいまやっと
もういいよ、赦していいよって
心からの言葉が出るようになりました

これまでの自分にお疲れさまって

いっぱい愛情かけてくれてありがとねって

これからは違うカタチで
愛を表現していこうねって


*・*・*・*・*


古い古い時代の記憶の
かたく絡まった糸が
解れたお話


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