平和な日々の一コマ(勉強)

こんばんは。統合失調症の林山将佐です。夜分、遅くなりましたが…一日の勉強について振り返りたくなりました。駄文ながらも、これは訓練です。先ずは言葉に書き出して、伝えてみる。そういう大事な勉強です。

さて、積ん読だった静岡新聞によれば沼津で街作りについて高校生が何か発表をして意見交換する大会があったようです。なるほど…これら高校の方々が「自分の古里」をどう盛り上げるのか。それは大事なことです。大抵、県外に出てしまう生徒が多いように見受けられるので、大都市の大学で教育を受けたらUターンして欲しいです。

積ん読状態だった新書も読んでました。メンタルトレーニングについての技法が書いてありました。久しぶりに読んだので前のページを忘れていましたが、メンタルトレーニングは演習と一緒。との趣旨で書いてありました。自分に合うエクササイズをすることだ大事だと知り、僕としてはDNA呼吸法を試したいものです。

他にも読んだものがありますが、感激したのは防衛研究所のバックナンバーです。白兵主義の研究…鮮やかだなぁ…と思いました。それはちょっと僕自身にも反省が必要で「己は原則や基本について批判精神を持っていたのだろうか」と思いました。恐らくは同期や知人が危惧する林山の勉強法は旧陸軍のそれだろうと考えられます。良い記事に出会えました。ありがとうございました。

METT-TC(I)についての記事も読みましたが、福祉の現場では戦術的判断に迫られることが余りないせいなのか、それとも戦術的行動の自覚がないせいなのか、僕には机上の理解に止まりました。とはいえ今から民間企業や治安機関に転職する訳でもないです。あくまで教養としてですが。仕事にとって遠い勉強や趣味を持つと良い。ということで小4からの趣味で歴史や軍事の勉強を続けています。

総じて言えることは、浅学非才な林山に気軽な気持ちで雑談に付き合ってくれる同好の方が欲しいなぁ…とは思いながら、この記事をまとめました。そうすると異口同音に言われるのは、「それなら修士課程が楽しいよ」なんですが…。一周回って、その真意がよく分かりません。現場では使い物にならないかもしれませんが、今の仕事も好きなんです。

では、8/13(火)の勉強はこの辺で。余り大したことないインプット・アウトプットですが、これからも少しずつ勉強が出来ますように。平和を味わいながら。

我が国の弥栄を祈ります。

(2024.08.18 追記)
放送大学(院)の単位は、無事に取得できていました。これで3科目、6単位になりました。時間を見つけながら取得できて良かったです。統合失調症でも単位が取れること、つまり自らの回復過程について感謝。また、周囲のキュア・ケアもありがたいことでした。

さて、これからどう勉強を続けていくのか?も大事になってきます。残念ながら今の林山の給与+年金は、大学院後のポストドクターと総年収上は変わらないのです。「それならば研究室を見つけて好きな勉強をすれば良いのにな」という大学同期諸氏の感想を頂くこともあります。

ピアスタッフとしては悩むところです。今のまま仕事を続けようにも社内では評価されないどころか、祖母亡き後はこのままだとB型作業所に出戻りする可能性がかなり高い状況です。上司や同僚に言っても「知らぬ存ぜぬ」状態で、まだ動ける内に研究室を探すべきか?粘ってピアスタッフを続けるのか?という心理的な負荷が毎日、あります。

しかし、勉強していると…そういうことを忘れて、何か自己表現をしたくなるような…とてもポジティブな気持ちになれるのでした。

(2024.08.22 追記)
記事を書きながら思ったことは、勉強したことが自分の血となり、肉となり、骨となる…にはそれなりの時間が必要だと言うことです。

今年の総年収(額面)が190万円くらい低年収とは言え、統合失調症ながらもこうして今の生活は仮にも安定していること、心身の方も医療者から見えれば大きなクライシスや所見もないことを考えると…これは幼少の頃から10代・20代・30代と勉強したり経験したことが身体化してきたことが大きいと思います。

統合失調症の発病時は生気を失っているかのような21歳でしたが、それに比べて今は血色も良く、声も優しいながら大きくなった様子です。身体も二回りくらい大きくなりました。大学生の時よりも健康的で、勉強も楽しいです。

バラ色の人生ではないけれども、この先も一歩ずつ基盤を固めていければと思います。そう考えると、研究室・専攻の話はちょっと勇み足でしたね。