すべてのことを「これは投資か?」と考える習慣
(読了時間:約1分30秒)
これ、33歳になったさいきん身に付けつつある思考法です。
(もうちょい早く気付きたかった。。笑)
よくお金の使い方は3つに分けられると言います。
「消費」「浪費」「投資」
「消費」っていうのは、毎日の生活に“最低限”必要な食費、水道光熱費、生活日用品などへの支出が該当します。
ま、必要なものってことです。
「浪費」っていうのは、払ったお金よりも将来に渡って得る利益・メリットが少ない支出のことを言います。
ま、必要のない無駄な支出のことですね。
衝動買いや無駄な会合の費用などがそれにあたります。
「投資」っていうのは、「将来的に資産を増やすために、現在の資産を投下すること」。
つまり、将来自分の知識・能力・財産を向上させるために使う出費のことです。
僕はいま、すべてのこと、ものと対峙した際に自分にこう言い聞かせています。
「これは投資か?」と。
お金の面では、「これを買うことは投資か?」「本当に必要なものか?」「自分のためになるものか?」といちいち問いかけます。
(酔っていても最近はコンビニでの衝動買いをしなくなったのはこのおかげ。ありがとう投資脳笑)
それに付随しますが、人に対しても同じようなことを考えています。
「この人とごはんに行くことは投資か?」「この子に何か上げることは投資か?」「双方にとって価値のあることか?」などと一度気持ちを落ち着かせて考えます。
(だいたいのことは数秒で答えはでます)
僕は過去、貯めに貯めてきた貯金をほぼほぼ娯楽のために溶かした経験があります。
その時期は確かに楽しかったですし良い思いもしてきました。
ですが、いま現在、その時に使ったお金がどれほどの「投資」になったかと振り返ればほぼほぼゼロで、「浪費」だったなと感じています。
(こうやって過去の失敗談として語れることは「投資」としての意味があったように思っていますが笑)
なぜなら、その時につるんでいた人とはほとんど疎遠です。
お金がなくなって普通の生活に戻ったときに当時の「仲間」っぽかった人たちはまわりから姿を消しました。
そんなもんです。
お金お金言ってますが、結局は「人」との時間に「投資」していた感覚もあるっちゃありますが、やはり私利私欲が勝っていた、というか私利私欲だけだったなといまは思いますし、その経験がいまの思考に繋がった経緯ではあります。
いま、コンビニに行く必要はありますか?
きょう、その飲み会に行く意味を持っていますか?
あした、あの子と遊びに行くメリットはありますか?
自問自答の世界ですが、こういった小さなことから始めていかないとおいおい取り返しのつかない事態が待っている可能性は十二分に考えられます。
いったん深呼吸して「これは投資か?」と考える習慣はとても面白いですよ。
※ちなみにいま、僕は資産運用を始めています。 「一回コンビニに行かなければ約500円浮く。そのお金は運用しよう」という感じで、いわばゲーム感覚で始めています。 塵も積もればなんちゃらですよ。
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